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  • 2017.07.02 Sunday
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世界の中心だと思うな! 郷愁に惑わされるな!

 先週末、テレビで久々に「ニュー・シネマ・パラダイス」を見た。アカデミー賞が近づいた今頃は名画がちょくちょく放映される。見てよかった。何度見てもいい。映画そのものも、エンニオ・モリコーネの音楽もいい。

 

 軍隊から故郷に帰ったトトにアルフレードが言う。「ローマに行け。外に出て自分の道を探せ」。そして次の言葉が印象深い。「ここが世界の中心だと思うな。不変だと思うな。2年もすれば変わる」。さらにこの言葉。「郷愁に惑わされるな!」。

 

 地方の人口減少、流出で、最近は若者に「地元で暮らそう」みたいな変なキャンペーンがある。地方の自治体に加えて、その広報予算をもらっている地方マスコミ(新聞、テレビ)がPRに努めている。地元の魅力を伝えながら。

 

 ふざけるな! と言いたい。人間、特に若者がどこに行こうと、暮らそうと自由だ。東京でも海外でも。人生は一度きりだ。どこで何をしようと自由だ。それが保障されなければいけない。地方自治体や地方マスコミは憲法違反をしている。ファシズムだ。

 

 ま、それなりの能力、夢があり目標がある若者はこんなキャンペーンに惑わされず、どこかに出ていきたい者は行く。行きたくない者は行かない。その中間ぐらいで迷っている若者に、こうしたキャンペーンが与える影響が心配だ。

 

 「きずなと思いやりが日本をダメにする」という本が出ていて、タイトルに驚いた。いい意味で。その通りと思っていたからだ。著者は進化生物学者の長谷川眞理子氏と社会心理学者の山岸俊男氏。萱野稔人氏の書評によれば

 

 ----本書を貫いているのは、人間は進化の過程でつくられてきた性質に大きく条件づけられている、という視点である。人間が利他行動をとるのも、身内びいきをしれしまうのも、裏切者を罰しようとするのも、すべて人間が進化の過程で身につけてきた性質である。社会もまた、そうした人間が環境や他の人種と複雑に相互作用することで形成されてきた。それを無視して人間社会の問題を解決することはできない。----

 

 冒頭では、いじめの問題を解決するには子供の道徳心を高めなくては、とか、少子化の問題では家庭のきずなや母性の役割の再認識が必要、といった紋切型の解決法などに対して、そうした人間への過大評価は「人間の理解として適切でもなければ、問題の解決にとっては有害ですらあること」をこの本は指摘しているという。

 

 そうした「過大評価」をするのは一体だれでしょう。自治体、教育委員会、マスコミ、一部の学者、評論家だと思う。国民にうえつけるという点ではマスコミでしょう。

 

 話は私の中では関連づけられているのだが、「ニュー・シネマ・パラダイス」はやっぱりいい。トトを演じる子役、中年になったトトを演じるジャック・ぺランがまた味わい深い。テレビも役に立つ。


真夜中の大統領

真夜中のカーボーイ

 

 トランプ米国大統領就任の一連の報道を見て、まるで西部劇のカウボーイだなと思った。最初はジョン・ウェインなどの時代を思い出したが、そのうち「いや、違うな」と考え直した。これは「真夜中のカーボーイ」だな、と。

 

 映画「真夜中のカーボーイ」は1969年公開。主演はジョン・ヴォイト(アンジェリーナ・ジョリーの父)、ダスティ・ホフマン。いわゆるニューシネマの代表作の一つで、アカデミー作品賞などを受賞した。ちなみに正式な邦題が「カーボーイ」なのでそれに従っているが、英語を日本語にする場合、どう考えても「カウボーイ」でしょ? と言いたい。

 

 小説はもちろん、映画、漫画などのフィクションの世界が現実になってきたなと思ったのは、もうかなり以前のことだが、トランプ大統領については、ついにここまで来たかというのが率直な印象。悪い冗談というか。

 

 彼の掲げる「偉大なアメリカ」について、もちろんコメンテーターたちは時代錯誤と言ってるが、1950年代とかもっと前、30年代とかよりも、少なくとも1960〜70年代より前という意味じゃないか。ニューシネマ、ニューロック、ヒッピーにフラワーチルドレン、フォークソングなど価値観の転換の時代、動乱の時代。やがて米国はベトナム戦争を終結し、中国に接近する。

 

 今朝の新聞で見たが、トランプ大統領の外交政策にヘンリー・キッシンジャー氏が協力するらしい。中国接近の提唱者・立役者だったが、バランス感覚から今度はロシア接近政策をとるらしいという。すんなりこの政権が政策を進められるかはわからないが、「真夜中のカーボーイ」からキッシンジャーの時代を思い出したのは確か。

 

 あのカウボーイなのだ、トランプ氏は。偉大なアメリカの幻想がニューヨークの町で崩れ、最後は温暖なフロリダにバスで行き、ダスティ・ホフマン演じるホームレス&男色の女衒は息絶える。あのカウボーイの約半世紀後の姿なのだ。そう思えば納得はいく。とりあえずは。でも……。


イミテーション・パワーのすごさ

 昨夜WOWOWで映画「イミテーション・ゲーム」を見た。久々に見応えある作品で、あらためて映画の力を感じさせてくれた。特にベネディクト・カンバーバッチの演技はすごかった。彼は15世紀イングランド王の子孫なのだという。「シャーロック」でホームズの演技を見て注目していたが、まだ39歳とは。この映画が昨年のアカデミー賞各部門にノミネートされていたのもうなづける。

 でもエイドリアン・モンクもそうだが、天才ってどうしても性格が偏るのかな。でもそこからコンピューターが生まれた。インターネットもそうだが、戦争や軍事からそういう新技術が出てくる、というのは宿命か。

 そういえば相手役の女優、キーラ・ナイトレーはオックスフォード大出だって。恐れ入りました。俳優がよく、脚本、演出がよければ映画って現実を上回るリアリティを出せる。そんな映画が、どこかの国では少ないことか。

 三島由紀夫「春の雪」の映画が何年か前に公開されたが、恋に焦がれ死にするような美男子と仏門に入るような美女を、読者はそれぞれ想像して読んだのに、実際のキャストは幻滅!

 せめて今だったら松枝清顕はディーン・フジオカがぴったりでないかな。聡子は、……いない!

殺陣師、剣会がんばれ!

  昨夜のNHKBSの「太秦ライムライト」撮影舞台裏の特集は面白かった。時代劇の衰退とともに仕事がなくなってきた斬られ役大部屋俳優と新人女優とのエピソード。虚構と現実が二重写しになっている。
 斬られ役55年の福本清三氏が中心人物だが、同様な斬られ役たち、殺陣師にスポットが当たっている。ハリウッド帰りの若くかっこいい監督、米国人の撮影監督と殺陣師の撮影中の対立は、この映画の内容よりも現実の方がテーマを如実に表していた。
 同じカットを幾通りも違うアングルから撮って後で編集するハリウッド流と、一発勝負の日本時代劇の殺陣との対立。周囲が凍りついていた。いやホント、映画より制作過程が面白いかも。
 ベテラン殺陣師いわく。一発撮りの最初のでないとだめ。二回目三回目とやっていくと慣れてきて呼吸が合い、約束通り完璧に滑らかに殺陣が運ぶ。だが現実は違う。若干のタイミングの狂いなどが必ずある。そこで一瞬、修正する。目、顔に焦りも浮かぶ。それで本当の斬り合いのように見える、ということだった。なるほど。
 映画に出てくる場面で、福本氏演じる斬られ役が仕事を求めて事務所に行くが、「テーマパークぐらいしかありませんよ」といわれる。今じゃテーマパークも厳しいだろう。映画もともかく、テレビがもっと時代劇つくってくれなきゃ。小説はあんなに売れている。
 あらためて感服したのは松方弘樹氏。その殺陣はもちろん、斬られ役はじめスタッフに対する心遣いはさすがだ。
今度、太秦に行こうっと。

おばちゃん最高!

 WOWOWで「寅さん」全作品を放映中だ。つい先だっても毎週金曜日の夜だったかにやっていたが、今度は5月から連日、朝の放送である。休みの日でもなければゆっくり見れないが、録画録るなら録ってということだろう。

 あらためて見てみると、作品のパターンは大きく言えば同じだが、弟分の存在=出番がやがて甥の満男になったり、さくらの夫の博の実家のことはあまり出なくなったりと変化もある。

 何か寅さんがやらかすと、おいちゃんは「バカだねえ」と頭を抱え、おばちゃんは泣くが、どうしてどうして寅さんはバカではない。

 誰か(マドンナでも満男でも誰でも)の人生相談に乗った時の、答えの的確さ。冒頭の夢や途中で出てくる語りの、想像力の豊かさ。人生ってこんなものという悟りがある。

 よく寅さんの自由気ままさが指摘されるが、けっこう苦しいんだと思う。すごい照れ屋で、ホントにマドンナに惚れられると、引く。寅さんはフラレルのでなくて、フッてるのだ。

 助演役がまたいつも見事だが、私がナンバーワンに挙げたいのは三崎千恵子さん演じるおばちゃん。笑ったり泣いたり失言したりズルッと滑ったり。最高! この人がいなかったら、この映画シリーズはこれほど名作にはならなかったろう。

 寅さんが旅先の古い店や食堂で、そこの婆さんなんかと二言三言交わす会話がいい。寅さんと百パーセント同じ人はいないが、その要素を持った人物はいたと思う。こんな伯父さんなんかがいれば子供にはいい。満男は幸せだ。


神話の訪れ

 平日の休み。テレビで映画のはしご。大川橋蔵の「赤い影法師」(昭和36年)を見た。あの時代の東映の時代劇、いいなあ。原作は柴田錬三郎氏の小説だが、荒唐無稽で妖しくて。大川恵子という女優があの頃、大川橋蔵の相手役を多く務めたが、清楚なお色気がステキ。近衛十四郎、大友柳太朗、大河内伝次郎といった大物の演技もさすがだ。

 次が、おおっと予期してなかった。「世にも怪奇な物語」だ。何回か見ているが、やっぱり見てしまう。ピーター・フォンダとジェーン・フォンダの兄妹のもいいが、気の毒なのはアラン・ドロンとブリジット・バルドー。すげえ力演なのだが、最後の「悪魔に首を賭けた男」にイメージを一掃されてしまう。フェリーニはずるい。映画祭のシーンの音楽と全編に流れる音楽、最後のフェラーリ・サウンドが効いている。なんかビートルズみたいなのも出てる。あの、首を持つ少女の目線、ギャー!!

 今日は新聞にちらっと目を通したぐらいで、活字をほとんど読まなかった。でも思考は来る。

 王子様、お姫さまとか想像するのは幼稚だということになっているのかな。でも今日考えたのは人は神話を信じているかもしれないということ。いや信じていない人にも、どんな人間にも神話の瞬間、時間、状態が訪れることはあるのではないかということだ。

 その時、一笑に付して振り払うか。それともまともに向き合うか。あるいはのめり込むか。一笑に付すというのでなくても、なんか怖くて避けようとするかもしれない。

 繰り返すが頭脳やセンス、知識、経験にかかわらず、どんな人間にも神話は訪れるのだ。それにのまれず、十全に受け止め、それを生きること。それは誰でもできるというわけにはいかないのかもしれない。そのことだ。

 怖くて避けようとすることにも種類があって、あまりに貴重なものに感じて息苦しくなって、場を外しちゃうということもありそうだ。その後すぐまた来るとは限らないのに。

 神話に敢然と立ち向かい、同化といってもいいケミストリーができるか。その神話がごくごく小さなものであっても。そこにかかっているのではないか。
 敢然と立ち向かって(でもなくてヤケッパチか)、フェラーリで飛んで行って、フェラーリは向こう側にジャンプできたが……ってのは映画の話だが、あながち違う話でなく、象徴しているのかもしれない。


「ひまわり」の鍵

 昨夜、今朝とテレビで2本の映画を続けて見て(局は違うが)、考え込んだ。どちらもストレートに声高に叫ぶのではないが、強烈な反戦映画だ。

 イタリア版「岸壁の母」の「ひまわり」(I Girasoli)は、もう何回目だろう。日本での公開は1970年9月という。ああ、そうだったか。いろんなことあった年だ。
----マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演。監督はヴィットリオ・デ・シーカ。音楽はヘンリー・マンシーニ。戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品。地平線にまで及ぶひまわり畑の美しさと、もの悲しさが圧巻。----

 戦争とは第二次大戦だが、イタリア軍がソ連(当時)に攻め込んでいた。冬の戦闘は厳寒でかなり厳しかったようだ。

 ----1943年2月に解散を命ぜられた時点でロシア戦域軍(ARMIR)及び伊第8軍の兵員数は150,000名にまで減少しており、生き残った者の2割は重度の凍傷を患っていた。対戦車装備の乏しさに加え、寒さで故障して爆発しない手榴弾や事前に火で熱を与えておかないと稼動しないライフルや機関銃といった粗悪な装備----
と資料にあった。

 今回最も印象に残ったのは、こんな場面。ソフィア・ローレン演じる女が、夫がロシアで生きていると信じて探しに行く。サッカー場の大スタジアムで試合が終わり出て来る客たちを見る。ああ、イタリア出身だからサッカーの試合を見に行くということはあり得るものね。夫は見かけない。だがイタリア人らしい男を見つけ、追いかけて、尋ねる。男は最初、イタリア人を否定する。最後に認め、夫については知らないという。その次だ。イタリアの故郷はどこ?ときくと、男は「故郷はない。私は今はロシア人だ」という。その寂しそうな表情に、女は会話を終える。ここってある意味一番悲劇を表すシーンではないだろうか。そう思った。

 次はこれ。
----「サラの鍵」( Elle s'appelait Sarah 英: Sarah's Key)は、2006年に出版されたタチアナ・ド・ロネの小説、及びこれを原作とした2010年に公開されたフランスの映画。
 夫と娘と共にパリで暮らすアメリカ人女性記者ジュリアは45歳で待望の妊娠を果たすが、報告した夫から思わぬ反対を受け人生の岐路に立たされる。そんな中、彼女が祖父母から譲り受けて住んでいるアパートのかつての住人が1942年のヴィシー政権によるヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件で検挙されたユダヤ人で、その内の10歳の娘・サラが収容所から脱走していた事を知る。ジュリアはサラの足跡を取材する事に。一斉検挙の朝、すぐに戻れると思っていたサラは弟を納戸に隠して鍵をかけた。しかし、彼女は両親と共に検挙され、納戸の鍵を持ったまま収容所に送られた。サラは納戸の鍵を開け弟を出すべく脱走を図ったが……。----

 ナチスドイツ占領下とはいえ、フランスでもユダヤ人弾圧を行っていたという史実はシラク元大統領も認めた。サラという女性の人生、それを追っかける女性記者の人生、それが悲しくも美しく描かれていて、トイレに行く暇もないほど集中して見た。

 それであらためて思った。歴史とは故国とは故郷とは何だろう。そんなオーバーなといわれるのなら、自分のhomeとかポジションというか。


 単に故郷を自賛している人たちを見ると、その自意識過剰に対する無意識、無自覚に怒り、憎しみすら覚える。

 「ひまわり」の「今はロシア人だ」と言った(言わざるを得なかった)男のような人がいる。一人でもいるのだったら……。単純に「故郷はいいな」なんて言えないと思った。

 だったら複雑に?屈折して?「故郷はいいな」と思うのはいいか。その場合の故郷とは何か。そしてまた東日本大震災で故郷に帰れない人たちに対してはどうか。

 戦争に関していえば、欧州の映画があんなに本質を見つめているのに日本は……。

 考えてみると1970年って終戦からまだ25年しか経っていなかった。あの年、三島氏がやったことは、戦争を忘れるなということだったのだろう。日本は忘れていた。今は?


オールド・シネマ・パラダイス

 久し振りに映画「ニュー・シネマ・パラダイス」をテレビで見た。よかった。中年になったトトを演じるジャック・ペランもいいし、何と言ってもエンニオ・モリコーネの音楽が美しい。

 この映画は1989年の作品で、カンヌとアカデミー(外国映画)を受賞しているが、ストーリーやセリフや音楽とともに、映像というか「つくり」がいい。

 なんということはないストーリーだが、人生とは世界とはこんな感じだと思わせる。イメージの作用、総合、残像が、である。

 最後の、名作名場面集(ラブシーン)を見て思ったが、かつての映画は今のデジタル映像とはやはり別ものだ。

 心地よい映像と音楽に包まれながら、梅酒を飲んだ。


プロメテウスの象岩

象岩

 映画「プロメテウス」の宇宙人(のヘルメット)

トスカーナの真作

トスカーナの贋作

 昨夜、BS11で映画「トスカーナの贋作」を見た。事前に知っていたわけではなく、各局あまりにつまらないものだから、チャンネルをパッパッと変えてたら、偶然見た。

 派手なところは一つもなく、登場人物(ほとんどが男女2人の)対話と、美しい景色だけ。英語、仏語、イタリア語のセリフが語られる。カミさんは「アメリカ映画のようにスカッとしない」と熱心ではなかったが、こちとらは見るうちに引き込まれていった。


 ----数々の名作によってイラン映画の魅力を世界に知らしめた巨匠アッバス・キアロスタミ監督が、母国イランを離れて初めて撮った本作は、中年に差しかかった男女の出会いを会話劇で編んだ、一見シンプルなラブストーリーだ。だが、「Copie Conforme」=「認証された贋作」という原題が示すように、これまでのキアロスタミ作品同様、含蓄のあるセリフの数々と、“虚”と“実”があいまった、一筋縄ではいかない魔術的ともいえる語り口で、観る者を魅了する。一方でユーモアを交えたエロティックなアプローチもあり、こちらは新境地と言えよう。北イタリアの柔らかい陽光と、名画から抜け出してきたかのような景観は眼福の一言だ。

 ----イタリア、南トスカーナの小さな町。新作発売の講演に訪れたイギリス人作家ミラーは、講演を途中退席したフランス人女性が経営するギャラリーを訪ねる。車で出かける事になった二人は、車内で“本物”と“贋作”についての議論を繰り広げる。議論に疲れて入ったカフェで女店主から夫婦と勘違いされた事から、二人はあたかも長年連れ添った夫婦であるように装う。そして“夫婦”の会話を重ねながら、秋のトスカーナを散策する…。----

 後半、「あれっ? この2人ホントに夫婦だったの?」と混乱。だって前半はまったく違うもの。やられた。でもそんなのがこの映画の本質でなく、人間って不思議だなあというのが感想。

 2人を演じる俳優の演技力と、監督の演出のたまものだと思う。女はどこか無神経なところがあって、でもきれいでかわいくて、許しちゃうような。男は知的で冷静だが、徐々に情緒的になってゆく。美しい景色の幻惑だろうか。 

 前半の絵画、彫刻を巡る会話で、男の言ったセリフが残っている。「贋作だって、いい作品はそれでいいじゃないか。所詮、絵画は贋だ。モナリザはジョコンダ夫人の贋物だ。ダ・ヴィンチによる贋物だ」。
 この芸術の贋作と、後半の贋夫婦の話とがかぶさってくる。

 ジュリエット・ビノシュとウィリアム・シメルの演技力にはほとほと感心した。めっけものだった。


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