野生のケイト

ケイト・バリー

 最近立ち読みの雑誌でも男性誌がつまらない。女性誌の方が面白い。さっき「エル・ジャポン」見たら、最後の方に写真家のケイト・バリーのことが載っていた。モノクロの繊細な作品が目を引いた。

 ジェーン・バーキンとジョン・バリーの間に生まれた。ジョン・バリーはおなじみ「007」シリーズの音楽を手がけた作曲家だ。007もいいが「野生のエルザ」の主題曲が好きだったな。

 2013年12月11日、ケイトはパリのアパルトマンで死んだ。4階から転落死。雑誌にははっきりと自死とあった。46歳。最初はデザイナーを目指し、その後写真家に転じたという。

 繊細だが、底に力強さも秘めているような気がした。2011年の日本の震災後に、三陸を訪れて写真を撮ったという。

 女性誌で勉強をさせてもらいました。

吉田類氏の絵を見ました

 昨夜のBSTBS、関口宏氏の対談番組に吉田類氏が登場した。土佐の地酒「船中八策」とうるめを持参。一杯やりながらのトーク。さすが酒場放浪詩人。

 興味深かったのが、吉田氏が若かりし頃描いた絵が見られたことだ。シュール、世紀末、ウイーン派。予想していた、はおかしいか思い描いていた通りの画風だった。いや予想以上に予想通りというか。

 氏が自らの画法を話していたが、短時間に無意識のままにまず描く。その後、細筆で丹念に描いていくという。シュールと細密。それが後年の氏の俳句とも通じる。詩プラス手作業だ。

 パリや欧州にいた頃や、登山の時の氏の写真も出た。ヒゲ蓄えて今よりガッシリ。ちょっと近づきがたい印象。いや怖いというべきか。目にぎらぎらした野生がある。

 今はスマートにマイルドに、古酒のような風貌だが、でも奥底にあの若き頃の野生は秘められているような気がする。いや、にじんでいる。

 それはともかく、うらやましい、本当の自由人だ。少なくとも自由に対抗するものに打ち勝った人の風貌だ。17年間飼った、人生をともにした猫の話をする時は、寂しがり屋の目だった。

本物と贋物

テムズ川

 最近、ホィッスラーについてずいぶんテレビでやってるなあと思ったら、昨年から京都、横浜と展覧会やっていた。記憶の中にホィッスラーの名前がかすかにあった。何だったか、必死に思い出して心当たりの本を開いたら、やっぱりだった。

 それは吉田健一氏が本格的に小説を書き始めた頃の作品「絵空ごと」に出てくるのだった。主人公が昔、ロンドンで絵画の贋作を買う。その待ち合わせ場所がテムズ川の畔で、相手が「貴方は絵が好きなんですか」と話しかけてくる。主人公はこう答える。

 ----「ウィツスラーのことなら、」と勘八は笑って言った。「そうですね、併しこの夜の河はこの夜の河でウィツスラーを持ち出すこともないでしょう。併しこういう大きな河は羨しい。」----

 主人公勘八は絵を買う。それは徽宗皇帝の絵で、年代から言ってもどう見ても贋作だった。相手のオーストリア人の老人はシェンブルン宮にもいたことがあるらしく訳ありの様子。英国から出る旅費に充てたいという。

 部屋に帰ってゆっくりその絵を眺める。そして翌朝、テムズ川に捨てる。

 ----人生に失敗したと言える部類に属するものは愚痴っぽくなる。その愚痴が美しいものに就てである為に愚痴も美しくなるだろうか。勘八は自分の前にある絵を駄作よりももっと悪いものと断定した。それはその失敗を人に訴えて止まないからで、これが弱いものをその嘆きに溺れさせ----

 と理由が書かれる。夜のテムズ川、ホィッスラーから古い中国の贋作の絵。すごく印象的な場面だ。

 ところでこの「絵空ごと」には、作品を通して贋の絵画がテーマになっている。勘八の友人の元さんは長年にわたって絵画の(自分の好きな)名作を、人を使って模写させ、それを見て楽しんでいる。

 題名は添えてないし、売買するわけでもない。だから犯罪にはならない。精巧な緻密な模写、それは果たして贋物だろうか。というのが一つのテーマになっている。

 この小説が書かれたのは1970年ごろで、三島由紀夫氏が割腹自決したころだ。戦後の日本は贋物だ、と三島氏は訴えた。吉田氏もそのころの知識人やマスコミにはそう思っていたようだが、三島氏と違うところは、「本物にも本物と贋物があり、贋物にも本物と贋物がある」と考えていたのではないか、ということだ。この辺は今でも(尚更?)生きる主題だと思う。

 しかしホィッスラーの写真見たら、ホント、ダンディーそのものを自認してたようだ。カッコつけて! でも夜のテムズ川の絵は、いいね。

プラスゼロとマイナスゼロの間

 フィギュアのグランプリシリーズ米国大会の町田樹の演技を見た。よかった。本人も演技後に言うように、一部まだ不本意な部分もあったろう。だが音楽(「ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲」)と完璧に合っていた。

 浅田真央さんでも誰でも、フィギュアの名演技は音楽に乗っている。というより音楽をリードしているのだ。あたかも指揮者が指揮して音楽を奏でているように。

 だから時間的に音楽よりも、もちろん遅くはなく、むしろ早い(速い)。そこをもっと厳密に言うと、時間的な早さ遅さではなく、エネルギーの上下関係だと思う。

 音楽の力に引っ張られていくのでなく、自らの運動=演技で音楽をリードしていくかのような。それには高い技術と強い体力、そして精神力というか感覚、感性が必要とされる。

 一流のフィギュア選手、あるいはスポーツ全般の一流アスリート、プレーヤーだけでなく、普通の人びとの日常生きていくうえでのヒントが象徴的に潜んでいるのではないか。

 一流のスポーツや芸術は、すべてそういうものなのではないか。普通の人びとがそんなのそのまま簡単に真似できはしない。だが普段の暮らし、活動、思考に生かせるヒントを、あの人たちは体を張って(身を削って)極限の形で、結果的には象徴的に垣間見せてくれているのだ。

ターナー雲

 夕べBS日テレでまたターナーについてやっていた。山田五郎氏とおぎやはぎなどの美術番組だ。法政大の女性教授が解説していたが、実に話がよどみなく的確で、多くの興味深いことが聞けた。

 ターナーは風景画が売りだが、人物はホント、ヘタだったんだね。実際作品に描かれている人物を見ると、いつかのキリストの絵の修復途中みたいで笑っちゃった。

 売り込みになかなかしたたかだったこと。ついにサーの称号はもらえなかったこと。当時の事件、出来事を描いてジャーナリスティックな側面があったことなど、とても面白かった。

 前に画壇のクリムゾンと書いたが、どうやら現代でいえばカッコいい写真家みたい。しかしすぐれた画家や芸術家で晩年に抽象画の方にいく人がけっこういるのは何故だろう。逆の人もいるだろうけれど、ターナー的方向の方が優れている気がする。

 おっと、夕方の空を見たら、ターナー雲だ。

ターナー雲

画壇のクリムゾン

 インディアン・サマーの日曜日。用事で出がけに、ふとEテレにチャンネルを合わせると「日曜美術館」に松岡正剛氏がゲストで出ていた。新聞のラテ欄なんか最近は見ていない。今やってる展覧会をぐるっと記憶の中からサーチして、ターナーだ!と思った。正解だった。今、松岡氏がしゃべるのは、ターナーしかない。

 ターナーはいわゆる絵描きではない、という人もいる。いい意味か悪い意味かは別にして。しかし今日この番組を見て、あらためてすごいなと思った。風景画に革命をもたらし、画面に時間の変化も表現する。絵の具に鯨の脂でつくったロウを混ぜ、塗ってさらに引っ掻く。遠近法の消失点が1画面に3つもある。

 松岡氏のターナーについての言葉で印象に残ったのが「普通は認識してそれから表現なのに、ターナーはまず表現だ」というもの。ここ、大事だね。他のジャンルでも、たとえば文学でもある。プログレッシブだ。

 さしずめターナーはロックでいえばプログレ。絵画界のキング・クリムゾンだ。英国でもあるし。ものの見方を変えてくれる。世界への対し方を変えてくれる。ああ、行きたい! ターナー展!

落葉河畔

怪奇幻想妖艶画

海の幻想 いやこの人の絵すごいね。世紀末の欧州の絵から影響を受けたようだが、あくまで日本を土台にして、なんともいえない妖しい世界を確立した。これは「海の幻想」。



 ----橘小夢
(たちばな-さゆめ)
 1892−1970 
 大正-昭和時代前期の挿絵画家。明治25年10月12日生まれ。洋画を黒田清輝(せいき),日本画を川端玉章にまなぶ。雑誌や小説の挿絵を中心に,版画,日本画を手がける。民話,伝説をモチーフに女性の魔性を表現,たびたび発行禁止処分をうけ,「幻の画家」とよばれた。昭和45年10月6日死去。77歳。秋田県出身。本名は加藤凞(ひろし)。版画に「水魔」,挿絵に矢田挿雲(そううん)「江戸から東京へ」。----
 

花の都スラブ

煙草

 昨日の「日曜美術館」はよかった。アルフォンス・ミュシャ。チェコからパリに出て、最初はポスターで才能をみせた。女優のサラ・ベルナールので認められ、次々と商業美術で売った。上は煙草のポスターだ。ミュシャは色使いや女性の顔がとてもユニークで上品だ。

 成功を収めたミュシャは油絵に転向、米国に渡り、やがて故国に帰る。常に侵略にさらされてきた故国の歴史を20年にわたって描き続ける。「スラブ叙事詩」である。一説によると、スメタナの「わが祖国」を聴いて触発されたという。

 昨日のテレビでは触れてなかったようだが(聞きもらしたかも)、晩年はドイツ・ナチスに迫害され、作品は黙殺されたという。チェコの愛国心を高めるためだ。

 全然関係ない書物を読んでいて、同時にこのミュシャのことを知って、思った。芸術は最後は歴史、それも自分を脈々と貫く国、土地、血の歴史の流れに行き着くのではないか、と。

 特に故国とか愛国心とかでなくても、時には自分がつくりだした歴史でもいい。その「Tide」に触れ、分け入り、それを表現すること。存在させること。何か悲愴な感じでなく、楽しくやってもいいのではないか。今、日本でそれやってる人が少ない。「裏打ち」がない作品世界ばっかり。虚構ですら愛国心、愛郷心を失ったのか。

 何度も言うが、実際の国だとか故郷だとかでなく(でもいいが)。自分にとっての「故郷」。日本では敗戦後、それすら「禁止」されたかのような錯覚にとらわれているのではないか。だから当たり障りない「昭和30年代」でごまかす。それを言いたかったのだ。

 しかしこの煙草、うまそうだ。

坂東玉三郎は宇宙

 前回、歌舞伎について書いたのがちょっと舌足らずだった。歌舞伎界そのものをどうこう言うのが本意ではない。要するに歌舞伎ファンとされる人たちやメディアについて言いたかった。

 それは昨日、新歌舞伎座こけら落としの模様を(テレビのニュース、ワイドショーで)見る限りにおいて何ら変わらない。ひでえもんだ。あの「各界の著名人も」というの、何だ!

 さてその夜(昨夜)、たまたまWOWOWにリモコンを合わせたら、「坂東玉三郎の宇宙」をやっていた。すごい! 人間の体はこんなにも美しい動きをするのか。

 西洋に同様な芸術はない。強いていえばモーツァルトやチャイコフスキーなどの音楽か、或いは絵画か。バレーや舞踏でもこんなのはない。番組紹介はこんなふう。



 ----歌舞伎女形・坂東玉三郎、踊ることと生きることがぴたりと重なるその活動を20年前と最新のステージからご紹介。しなやかで繊細・流麗な動きのなかに凝縮された美の軌跡。

 2012年に歌舞伎女形として人間国宝に認定された坂東玉三郎が、人生を賭して取り組んできた舞踊の世界。それらを「坂東玉三郎の宇宙」と題し、2番組として放送する。
 「PART1」は1991年に大阪フェスティバルホールで上演された舞踊公演から歌舞伎女形舞踊の大曲「京鹿子娘道成寺」と、作家の夢枕漠と美術家の天野喜孝による妖艶で魅惑的な中国唐代の皇妃を描いた舞踊「楊貴妃」。20年前にWOWOWの開局記念として、開発されたばかりのハイビジョンカメラで収録された幻の映像が、時を経てよみがえる。玉三郎の妖艶な美しさ、歌舞伎の美しい舞台は感動的だ。
 「PART2」は2012年11月に日本最古の劇場である香川県の旧金毘羅大芝居(金丸座)で上演された最新の舞踊公演。地唄舞の「雪」と「鐘ヶ岬」は、静かな動きだけで女心と雪景色、桜の景色を舞台に映し出す。鼓童とのコラボレーション「いぶき」は対照的にダイナミックな舞台。
・坂東玉三郎の宇宙 PART2 金丸座「雪」「鐘ヶ岬」「いぶき」。日本最古の劇場、香川県琴平町の金丸座で行われる坂東玉三郎の舞踊公演をお届け。美しい地唄舞の世界、鼓童とのダイナミックなコラボレーションで構成。
 <ストーリー>
坂東玉三郎にとっては初の出演となる香川県旧金毘羅大芝居(金丸座)での最新公演。稀代の舞踊家・武原はんより受け継いだ地唄舞「雪」、14歳から舞い続けている「鐘ヶ岬」、そこにある静寂に包まれた幽玄な世界にひきこまれる。また2012年より芸術監督を務める鼓童と共演する「いぶき」は日本の子守唄をモチーフにした太鼓と舞の融合が見どころ。----


 単に美しいとか妖艶とかの言葉で言い表せるものではない。タイトル通り、ここには宇宙がある。何かが取りついたようというのも不十分。それがあるとすれば、神。それしかない。

 再放送だったようだが、奇しくも新歌舞伎座こけら落としの日。私には皮肉な取り合わせに思えた。歌舞伎座に来た「著名人」とはM元総理、Nサッカー元日本代表ら。真逆な世界を夜に見て、心が洗われた。


永遠の午後

 ドビュッシーは好きだ。特に「アラベスク」「月の光」「牧神の午後」「交響詩『海』」など。でも印象派とされていたのが唯一気がかりというか疑問に思っていた。

 そしたら氷解、納得、かすかな衝撃、うれしいマイニュース(マイブームみたいな)! 今日の朝日の書評欄に載っていた。「生誕150年 印象派か象徴派か」という記事だ。

 要するに、印象派とされてきたドビュッシーは実は象徴派だ、というのだ。だって印象派って嫌いだもの。よかった。

 念のためにウィキってみたら、やっぱり。


 ----クロード・アシル・ドビュッシー
 (Claude Achille Debussy, 1862年8月22日〜1918年3月25日)は、フランスの作曲家。長音階・短音階以外の旋法と、機能和声にとらわれない自由な和声法などとを用いて独自の作曲を実行した。
 ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。また歌詞やテーマの選択は象徴派(象徴主義)からの影響が色濃いと目されることもあるのだという。


 印象主義音楽
 ドビュッシーの音楽は印象主義音楽と俗に呼ばれている。印象派(ないし印象主義)という表現はもともと、1874年に最初の展覧会を開催した新進画家グループ(モネ、ドガ、セザンヌら)に共通していた表現様式に対する揶揄表現が定着したものであり、音楽における《印象主義》も、若手作曲家の作品への揶揄の意味合いを込めて用いられた表現である。ドビュッシー自身も、出版社のデュランに宛てた書簡(1908年3月)の中で、この用語に対して否定的な見解を示した。----


 記事によるとドビュッシーは身近にマラルメ、ヴェルレーヌがいて、曲のイメージ源となっていた。またエドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」に惹かれ、オペラ化を試みたという。彼は詩も絵もかいた。日本からもずいぶんインスパイアーされていた。

 印象派でなく象徴派。ああ、すっきりした。曇り空、それも明るい高曇りの午後なんかに聴いているとなんか得も言われぬ世界に誘い出してくれる。一つの、独特な世界をつくりあげている。憂鬱とは違う明るい愁い、人生の余暇、人間がつくりだした人間の世界。自然や神に対抗しうる作品世界。

 また聴こうっと。


calendar
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
recent trackback
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM