静かな実況

 平昌五輪、アイスダンスフリーの上位2組の演技はすばらしかった。まさに芸術。スケートでここまで表現できるのかと思う。フィギュアより、見てて感動する。実況、解説とも口数少なく(やっぱり感動していたからか)、静かなのもよかった。今回は音声多重で言葉なし、会場音だけってできないんだね。残念。

 

 複合見てていつも思うが、解説のO氏、なんであんなにえらそうでうるさいのか。たいしたこと言ってないし、いい間違えてるし。

 

 それに比べて(比べたくもないが)、ジャンプの原田さんの解説、いいなあ。面白いし、出場選手たちへの愛情が感じられる。原田さんと居酒屋で一杯やりながら、いろいろ今までの経験から面白い話なんか聞けたら、楽しいだろうなあ。ホントいい人だなと思う。船木さんもジャンプという競技の機微がわかってよかった。

 

 宇野昌磨選手の話で面白かったのが、待っている間、他の選手の演技を見て、得点が何点か当ててるってやつ。「暇つぶしに」って言ってた。これを聞いた荒川静香さんが「はっ!」って絶句ぎみに、素で笑ってた。あきれてたというか。

 

 カーリングって、戦略や戦術、その局面に応じた臨機応変の作戦も大事だが、根本的な思想がないとだめだと思う。方針というか姿勢というか。その表現の場が、試合なのだと。

 

 小平さんと李相花の感動的なシーンは、五輪が政治で汚されそうだったのを、スポーツの力できれいに吹っ飛ばしてくれた。開会式が終わって本格的に競技が始まる頃、二宮清純氏がテレビで「これからはスポーツの力。スポーツは微力かもしれないが無力ではない」と言っていた。芸術、文化もそうだが、政治には負けない。

 

 でも、じゃないけど、スケートのショートトラックって、政治みたい。やったら性格悪くなりそう。あれを人生の縮図とは思いたくない。誰もそう言ったわけじゃないけど。昔、ローラースケートでガンガン当たりぶっ飛ばすのあった。あれの方がまだマシ。

 

 


テレビスポーツ教室かい? 五輪中継

 羽生、宇野両選手おめでとう。昨日のショートでネイサン・チェンがこけた時点で、羽生選手の勝ちと見ていたが、その通りになった。「五輪の戦い方を知っている」という羽生選手の圧力に、チェンがやられた。演技で得点を競う競技だが、目に見えない戦いがある。まさにスポーツは、殺るか殺られるか、つぶし合いなのだなあと思う。

 

 さて、カーリングの実況を見て思うのだが、アナウンサーがうるさい。のべつ初歩的なカーリングの規則をしゃべりまくっている。見ている人みんなもうわかってるよ。石崎さんの解説もっと聞きたいよ。他の競技でもそうだが、規則ばっかりしゃべってるアナウンサーってほかに知識がないから、実は詳しいネタがないから、時間つなぎにルールを解説する。わかってる人はもうわかってる。わからない人は聞いてもわかりません。だから意味がないんですよ。

 

 それとワイドショー、ニュースショーでスタジオのメーンキャスターと現地の解説者のやり取りで、タイムラグでイライラすることの多いこと(五輪だけじゃないけど)。解説者の話が大事なところに差し掛かると、キャスターが質問して、タイミングがかち合って、両者が黙り、またかち合う。その繰り返し。キャスターは少しだまって解説者のいうことを聞きなさい。

 

 この前、ある司会者が「私しばらく言わないので、お願いします」と現地解説者に振って、すごくよかったことがあった。視聴者のことを考えている。羽鳥さんだったかなあ。ほかのことではかなり首をかしげざるを得ない人だが。自分の口数が多いのが仕事をしているアピールになると思ったら大間違い。辛坊治郎氏までこの点、今朝はだめだった。佐野さんにしばし言わせなさいって。

 

 上記に共通して言えるのは、キャスターとして「視聴者にわかりやすく伝えるため」という間違った考え方、えらそうな姿勢、根本的な妄信、そして人がわかりやすく伝えれば人はわかるといった「信仰」があるのだと思う。そんなことはないのだ。人から人に何かが正しく伝わるって、かなり難しい。至難の業といってもいい。あるいは視聴者、国民を素人とバカにしちゃいけない。みんな知ってるって。で、繰り返すが、知らない人はどう解説されても知らないって。

 

 羽生が演技に入る直前、右手でつくったかたちは、キツネ。フォックスゴッド。まさに陰陽師、安倍晴明。例えば、優勝後の羽生の言葉を、誰かが代弁してしゃべって、彼の言わんとすることが正しく伝わるだろうか。羽生の口から(テレビ中継ではあっても)直接聞かないと、意味がないのではないか。

 

 NHKのスタジオの総合司会みたいなの、だめだね。男も、不手際で、かんでばっかし。ベテランそうなのに。昨日なんか、女子ばっかりで、そこら辺のガールズトークだもん。で、「陣内さんいかがですか」状態ばっかり。専門外の人に聞いてもしようがないでしょう。

 男女差別するつもりは毛頭ないが、スポーツについて同じぐらいの知識しかない男女のアナウンサーがいたとして、男性はしゃべりが仮になんとかなったとしても、女性はいかにも知らなさそう、付け焼刃、無理してるって感じがするのは、なんでだろうなんでだろう、なんでだなんでだろう〜お〜お〜。

 

 あっ、今NHKの男が、「途中ですが」って神妙な顔で言ったので、何か重大な事件か事故でもあったのかと思ったら、羽生、宇野両選手が現地のNHKのスタジオに来てくれたのでインタビューをお送りします、だって。もっと明るい顔しろよ! 小さいことのようで、大事なことだと思う。「伝える」ことが仕事でしょう。言葉だけでなく、表情でも。やっぱりこの人、わかってない。

 

 実際スタジオでインタビューしてるアナウンサーは、いいなあ。いい質問して、いい答を引き出している。

 

 


車椅子テニス国枝選手の逆転なぜ放送しない?

 さっきWOWOWで錦織圭のテニスをやっていた。復帰2戦目、相手は1戦目で負けた同じ選手だったがストレート勝ち。ご同慶の至りである。解説者も言っていたが、サーブなど体の使い方、素直でコンパクトでシンプルでよくなったなと思う。ビッグサーバーみたいに無理することないのだ。分をわきまえる、それが一番強い。それではじめてその選手の長所が出てくる。明るい兆しだ。

 

 それはいいが一昨日終わった全豪オープンのWOWOWの放送について文句がある。車椅子テニス男子シングルス決勝で国枝選手が優勝したが、その試合尻切れトンボで、女子シングルス決勝にうつっちゃったのだ。国枝選手が1−1のセットオールから第3セット、かなりリードされピンチだった。そこから(放送ではすぐにはわからなかったが)逆転したのだ。それなのに! 肝心の逆転のところが見れなかった。オンデマンドではやってるよというかもしれないが、テレビだけの人もいっぱいいる。

 

 そりゃ、ハレプとウォズニアッキの決勝も見たい。でも中継がうつってそれから試合前の練習などかなり時間あったじゃない。国枝選手のものすごい逆転劇を最後までやってからでも女子決勝は試合のほとんどは放送できた。しかも翌日でも録画でやるかなと思ったら、やらなかった。何を考えてるんだ! 車椅子テニスを差別してるのか! 責任者出て来い!


時間泥棒

 昨夜テレビで、たけし氏が負けたと思った芸人は? というのをやっていた。氏よりちょっと下の世代あるいは最近のの漫才コンビについて、サンドイッチマンは面白いとか、まあまあそうだろうなという常識的な線だった。

 

 氏より上の世代の大物についてが興味深かった。萩本欽一氏は、コント55号で二郎さんの背中に跳び蹴りしてた頃はすごいと思った、でもその後いい人になった、ファミリー的なものなど、ちょっと残念、と言っていた。

 

 立川談志師匠については、なにしろツービートを面白いと引き上げてくれた人、でも三遊亭小さん師匠みたいにかわいくならず、突っ張ったまま往っちゃった、みたいなことを言っていた。

 

 なんか矛盾してるみたいな。欽ちゃんと談志師匠の対比で。たけし氏の言ってることもうなずけるのではあるが。欽ちゃんの「めだかの兄弟」の時代は、嫌悪感しか感じなかった。遠ざかった。でも談志師匠がかわいくなっちゃったら、談志じゃないでしょ。あっ、これってたけし氏の照れ隠しなんだね、談志師匠に対する畏敬の念というかその辺の。

 

 で、最後の最後に、かなり引っ張った後に、たけし氏が負けたと思った芸人が明かされた。それが明石家さんま氏だというのだ! ひょうきん族のブラックデビルなどのアドリブ、切り返しがすごい、かなわない、というのだ。

 

 ああ、つまんない! 何十分も(CMまたいで)引っ張った挙句、「たけしが負けたと思った芸人」が、さんま氏だというのだ! これって、あんまりでないかい? 面白くも何ともない。

 

 これはたけし氏が、というのではない。テレビ局の責任だ。時間を損した。

 

 たけし氏が負けたと思った芸人。それは「タコ八郎!」 なんて答えをひそかに期待していたのだが。つまり、狂気だ。


21世紀の南北戦争〜米国の分断〜

 

 昨夜たまたまNHKBS1の夜11時からの番組を見てたら、気がついたことがあった。今の米国の状況は「南北戦争」なのだ。21世紀の南北戦争は南軍が勝ち、19世紀の南北戦争の勝者北軍に雪辱を遂げた。とりあえず大統領選では。だがこれからどうなるか。

 

 番組は「ようこそ! トランプワールドへ」。フランスの局が昨年取材、放送した。

 ----トランプを支持したサイレント・マジョリティー(声なき多数派)とはどんな人々なのか。グローバル経済によって産業と雇用を失い、トランプに希望を託す人々の姿を描く。

 トランプの当選を決定づけたのは、アメリカ中部から南部に広がる「ラストベルト=さびついた工場地帯」の人々からの支持。かつては重工業や製造業で栄えたが、工場の海外移転などによって多くの労働者が仕事を失い、苦しい生活を強いられている白人労働者とその家族たちだ。ラストベルトを訪ね歩き、ワシントン政治や大手メディアに無視され、アウトサイダーのトランプに賭けざるを得ない人々の心情を浮き彫りにする。----

 

 女性ディレクターがさまざまな人にインタビューし、トランプ支持の理由を探る。労働者、保守的キリスト教徒、移民など各層の本音を聞いていた。

 

 思った。今回の大統領選は、昔敗れ、今も敗者の南軍の怨念が噴出したのだ。しかしまぜ今? という疑問は残る。これまでとの違いは?

 

 恐らくこれまでは、怨念のガス抜きがどこかで少しでも行われていた。それがなくなったのではないか。それには政治行政的、論理的言語ではなく、情念の世界が関わっている。

 

 ここで思い出すのは、メリル・ストリープ氏のスピーチだ。ハリウッドから外国人や異人種の人がいなくなったら、アメリカの娯楽はアメリカンフットボールと格闘技(プロレスのことか)しかなくなる、というあのスピーチ。反トランプというくくりで聞けば別にどうということはないのだが、どこか引っ掛かった。違和感が残った。なぜなのか。

 

 まずフットボール、プロレスを見下ろしているかのようなニュアンス。映画が、ハリウッドがそんなに偉いんかいってこと。この辺はトランプ支持者からすれば、トランプ自身が言ってるように「過大評価の女優が」ということになり、「そんなに美人でもなく演技が特にうまいわけでもないのにセレブ気取りで」ということになる。

 

 ブランド着て、高価なアクセサリーつけてアカデミー賞の会場に集まる「セレブ」たち。トランプ支持者からすれば「敵」ということになるだろう。そこはうなずけるのだ。

 

 仮にトランプ支持者たちのような階層の心理、ドラマを描いた優秀な作品の映画があって、あるいは小説の映画化があって、それをリアルに演じ、表現するのが映画であり俳優なのではないか。

 

 過去、アメリカでは文学や音楽、映画でそれはあった。フォークナーとか。だが今はなくなった。あるのはオバマ、クリントンに代表されるきれいごとの世界、メディアというセレブなどだ。

 

 この番組を見て、その辺がわかった。ただ番組に出てくるキリスト教徒で中絶反対運動なんかやってる10代の少女なんか見てると、やっぱりちょっとおかしい。他の労働者、ミュージシャンなんかを見ても。白人貧困層なんて言葉を使うメディアもメディアだが、彼らが表だっては言えないだろう表現をあえて使うと、知的レベルが低いのだ。(えらそうだが)

 

 そして思ったのは、こんな番組をつくれるフランスの底力だ。これこそドキュメンタリーというものだ。日本のテレビ局じゃ到底つくれない。

 

 かつてアメリカの闇という言葉があった。マフィアの話ではなく、南北戦争以来くすぶり、鬱屈した情念、怨念の世界だ。血も凍るような虚無。カーペンターズやカレン・カーペンターの拒食症、母との確執。あの歌声。それがよみがえった。南北戦争はアメリカの病理、闇、恥部で、触れられたくないだろうが、それが今表れたのだ。

 


本家は銀髪、噛みつき魔

フレッド・ブラッシー

 

 

 昨日テレビを見ていたら、みうらじゅんさんがトランプ米国大統領を「ブラッシーが出てきたみたい」と言って、ああなるほど! と思った。当欄では先日、トランプ大統領を「真夜中のカウボーイ」みたいって言ったのだが。繰り返すが映画の邦題「真夜中のカーボーイ」はどうしてもおかしいって。クルマの整備というか改造、アクセサリーの店みたいでしょ、それって。

 

 さてブラッシー。銀髪鬼、噛みつき魔といわれ196070年代中心に活躍した米国のプロレスラー、フレッド・ブラッシーである。なにしろ噛みつく。日本での試合でグレート東郷にさんざん噛みつき、あまりの流血にテレビを見ていたお年寄りがショック死するという事態にまでなった。

 

 力道山、ジャイアント馬場らとも名勝負を繰り広げた。吉村道明という跳び蹴りが得意なレスラーも噛みつかれていた。最初、ブラッシーの子分みたいに振舞っていた四の字固めのデストロイヤーがその後反旗を翻し、ブラッシーを破ったが、リターンマッチで思い切りかじられ、白い覆面マスクを赤く染めて敗れた。

 

 でも素顔はとても紳士で、服装にも気を遣いカッコよかった。確か夫人は日本人で、大変な日本びいきだったという。2003年に亡くなったが、生きていて今の大統領を見たら、みうらじゅんさんに異議を唱えるだろう。冗談じゃない、あんな男と一緒にするな! って。でも風貌とある種のインパクトが似ている。ってもうさんざん言われているみたいだが。

 

 それにしても、テレビでみうらじゅんさんが出ていたら、いつもその発言に注目する。どんな面白いこと、「正しいこと」を言うか。でもMCの東野幸治さんが、あまりみうらさんに振らない。それに知ったかぶりで半可通で。もっとみうらさんに発言させて。お願い。絵馬を見物?した話も面白かった。ある絵馬に、武道館でライブをやりたい、今年中にバンドを編成したい、とあって、みうらさんいわく「後先逆だろ!」。こんな話、最高!

  


「コールドケース」と脱亜入欧

 この時期、WOWOWでは「コールドケース」の日本版を放送しながら、元祖、本家の米国オリジナル版も一挙再放送している。昨夜は日本版をじっくり見た。ドラマの出来も、吉田羊さんら出演者の演技もよくて、いい作品になっていると思う。

 

 ところがドラマの最後の方で、エルビスコステロの「She」が流れてきた時、ガクンときた。違和感がありすぎるのだ。とたんにドラマが韓国か台湾かどっかアジアの国のイメージになった。

 

 「コールドケース」の日本版についてはいろいろ議論があるようだ。前にも書いたが、時代、歴史、社会背景が日米では異なり、同じようなストーリーでは無理があるのではないかと思っている人は多いようだ。

 

 「She」が流れてきた途端、オリジナルをつくった「米国」が、日本のアジア性を照射してしまった。普段、日本のロックバンドや洋物、洋風な娯楽を何の違和感もなく視聴していても、アジアのそれを見ると、妙な違和感に襲われる。

 

 欧米が認める、中には熱狂する現代日本の文化はある。けれどもロックやダンスやヒップホップなんかを、欧米人に見せたらどんな反応をするのか危惧してしまうことがある。日本がアジアに向けるのと同じ視線を浴びるのではないか、と。

 

 「She」が聞こえてきた時の違和感が、やがて何だか悲しい気持ちへとつながった。WOWOWが、日本版のスタッフ、役者が一生懸命やっているだけに、かえって空しさが漂う。

 

 もともと時代背景にぴったりの洋楽からこのドラマはつくられる。ジャズ、スタンダード、ロック、バラード……。歌詞は(もちろん)英語。元来がこのドラマ、洋物なのだ、「米国」そのものなのだ。

 

 昔、欧米のポップスを漣健児という人がうまく日本語に翻訳して、日本の歌手が歌っていた。あれはあれで成り立っていたと思う。坂本九の「グッドタイミング」とか、弘田三枝子の「ヴァケーション」とかね。

 

 一つ確実に言えるのは、誰かもどこかで言っていたようだが、同じ時期に米国オリジナル版と日本版をやるな、ってこと。離してやればまだいいのに。でも日本版で流れる洋楽はどうしようもないか。

 

 「She」はもともとシャルル・アズナブールの曲で、彼の歌ったのももちろんすばらしい。その名曲のイメージがこわれかけた。寒い。冷たい。私の「コールドケース」だ。


普通の表情

夕雲

 

 タレントの上地雄介氏がテレビでおもしろいことを言っていた。自宅で子育て主夫をやってると、テレビのバラエティーを見て、スタジオと茶の間の温度差を感じるという。そんなに盛り上がっても、こっちは忙しく疲れていて、楽しめない、しらけるというのだ。自分も仕事ではスタジオで盛り上がっているのに。

 

 そうだね。笑い声が気になるというか気にさわることもよくある。とにかく笑い、笑顔、笑い声。スタジオにいる人間はみんな笑わなくてはいけない法律でもありそうだ。そんな落ち込んでいなくても、普通な静かな雰囲気がいい時や人は存在する。朝、イノッチの笑い声も、うるさく感じることがある。

 

 なぜ笑いなのだろう。普段のバラエティーで「笑ってはいけない」をやったらどうだろう。あれだけ笑いが必要ということは、実は事態はよほど暗く悲しいのでは? と思ってしまう。

 

 逆に、この頃思うのだけれど、道行く人、買い物をしてる人、すれ違う人で、不機嫌そうなあるいはガン飛ばすような挑戦的な表情をしている人がけっこう多い。もっと普通の表情で歩いていただけないだろうかと思う。何も笑顔で歩けというのではない。それは気持ち悪い。

 

 あっ、それと甲子園なんかでいやなのが笑顔の球児。投手でも野手でも打者でも、笑顔のがいる。そしてそれは概ね、褒められている。苦しい局面でも、いつも笑顔で。明るくさわやか。けったくそ悪い! 人をバカにしてるのかと思うのだが。

 

 深刻な表情はいつでもいらない。笑顔は時には必要だ(自然発生的に)。普段は普通の表情であってほしい。普通の表情がいい人はいい人、中身、魅力のある人だ(である場合が多い)と思う。


ボケ防止クイズとモンクの夜

 水曜日の夜はBSが面白くてついついグラスが進む。BSフジの「クイズ脳ベルSHOW」は地上波を含めて今最高のクイズ番組だ。「あの人は今」みたいな中年、高齢の芸能人が解答者で、ボケ防止クイズに臨む。司会の岡田さんの仕切りがまた切れ味、スピード抜群。意外な才能、側面をみた。アシスタントの女性アナがまたいい味出している。昨夜ある女性解答者が「最近(人の)名前がなかなか出てこなくて。毎日がクイズ!」と言っていて吹き出した。「毎日がクイズ」と思って生きてれば、お年寄りもポジティブになれる。

 

 その後は「名探偵モンク」。昨夜はついに最終回。モンクに対するこちらのイライラもともかく、脇役がいい。アシスタントのシャローナ、ナタリー、その子どもたち。そしてストットルマイヤー警部、ディッシャー刑事の絶妙なおかしさ。最終回はハッピーエンドで、何か普通の映画の結末みたいだったが、驚いたのはディッシャー刑事がニュージャージーの署長に栄転、しかもシャローナとできてたとは!

 

 ナタリーの美人ちゃんの娘、どうしたかな、なんて思ってしまう。昔地上波で、その後NHKBSでと何度も見てるのだが、ついにこれが最後の放映か。いやどこかの局でまたやるか。小生このごろ、食事の時、手についた油が気になってしようがない。「母さん、ティッシュ!」なんて言ってる。モンク現象、モンク症状、アブナイアブナイ。影響されてる。


狙いの可能性も連絡取れない

 最近テレビのニュースを見て気になるのが「〜〜狙いがあるとみられます」「〜〜の可能性もあるとみて」という表現。「狙い」という日本語には、どこかよこしまな意思がありそうなニュアンスがある。

 「可能性」の方は、なぜ「も」なのかと思う。なぜ「が」でないのか。一つある見方を紹介して、その後に二つめとしてだったらわかる。最初からなぜ「も」なのか。その前の可能性は何なのか。

 

 こうした表現は、英語などの訳から来ているのかな。火事や災害で行方不明か死者の身元がまだ判明しない時の言い方で「@@さんと連絡が取れなくなっていて」とよくいう。連絡って何だよ! これってコンタクトということでしょう。日本語として何か別の言い方できないもんだろうか。

 

 アナウンサーのアクセントや言葉の切り方、強調部分もでたらめだ。もっと教育できないのか。教える人もいないのか。日本語だめになっちゃう。


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