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  • 2017.07.02 Sunday
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21世紀の南北戦争〜米国の分断〜

 

 昨夜たまたまNHKBS1の夜11時からの番組を見てたら、気がついたことがあった。今の米国の状況は「南北戦争」なのだ。21世紀の南北戦争は南軍が勝ち、19世紀の南北戦争の勝者北軍に雪辱を遂げた。とりあえず大統領選では。だがこれからどうなるか。

 

 番組は「ようこそ! トランプワールドへ」。フランスの局が昨年取材、放送した。

 ----トランプを支持したサイレント・マジョリティー(声なき多数派)とはどんな人々なのか。グローバル経済によって産業と雇用を失い、トランプに希望を託す人々の姿を描く。

 トランプの当選を決定づけたのは、アメリカ中部から南部に広がる「ラストベルト=さびついた工場地帯」の人々からの支持。かつては重工業や製造業で栄えたが、工場の海外移転などによって多くの労働者が仕事を失い、苦しい生活を強いられている白人労働者とその家族たちだ。ラストベルトを訪ね歩き、ワシントン政治や大手メディアに無視され、アウトサイダーのトランプに賭けざるを得ない人々の心情を浮き彫りにする。----

 

 女性ディレクターがさまざまな人にインタビューし、トランプ支持の理由を探る。労働者、保守的キリスト教徒、移民など各層の本音を聞いていた。

 

 思った。今回の大統領選は、昔敗れ、今も敗者の南軍の怨念が噴出したのだ。しかしまぜ今? という疑問は残る。これまでとの違いは?

 

 恐らくこれまでは、怨念のガス抜きがどこかで少しでも行われていた。それがなくなったのではないか。それには政治行政的、論理的言語ではなく、情念の世界が関わっている。

 

 ここで思い出すのは、メリル・ストリープ氏のスピーチだ。ハリウッドから外国人や異人種の人がいなくなったら、アメリカの娯楽はアメリカンフットボールと格闘技(プロレスのことか)しかなくなる、というあのスピーチ。反トランプというくくりで聞けば別にどうということはないのだが、どこか引っ掛かった。違和感が残った。なぜなのか。

 

 まずフットボール、プロレスを見下ろしているかのようなニュアンス。映画が、ハリウッドがそんなに偉いんかいってこと。この辺はトランプ支持者からすれば、トランプ自身が言ってるように「過大評価の女優が」ということになり、「そんなに美人でもなく演技が特にうまいわけでもないのにセレブ気取りで」ということになる。

 

 ブランド着て、高価なアクセサリーつけてアカデミー賞の会場に集まる「セレブ」たち。トランプ支持者からすれば「敵」ということになるだろう。そこはうなずけるのだ。

 

 仮にトランプ支持者たちのような階層の心理、ドラマを描いた優秀な作品の映画があって、あるいは小説の映画化があって、それをリアルに演じ、表現するのが映画であり俳優なのではないか。

 

 過去、アメリカでは文学や音楽、映画でそれはあった。フォークナーとか。だが今はなくなった。あるのはオバマ、クリントンに代表されるきれいごとの世界、メディアというセレブなどだ。

 

 この番組を見て、その辺がわかった。ただ番組に出てくるキリスト教徒で中絶反対運動なんかやってる10代の少女なんか見てると、やっぱりちょっとおかしい。他の労働者、ミュージシャンなんかを見ても。白人貧困層なんて言葉を使うメディアもメディアだが、彼らが表だっては言えないだろう表現をあえて使うと、知的レベルが低いのだ。(えらそうだが)

 

 そして思ったのは、こんな番組をつくれるフランスの底力だ。これこそドキュメンタリーというものだ。日本のテレビ局じゃ到底つくれない。

 

 かつてアメリカの闇という言葉があった。マフィアの話ではなく、南北戦争以来くすぶり、鬱屈した情念、怨念の世界だ。血も凍るような虚無。カーペンターズやカレン・カーペンターの拒食症、母との確執。あの歌声。それがよみがえった。南北戦争はアメリカの病理、闇、恥部で、触れられたくないだろうが、それが今表れたのだ。

 


本家は銀髪、噛みつき魔

フレッド・ブラッシー

 

 

 昨日テレビを見ていたら、みうらじゅんさんがトランプ米国大統領を「ブラッシーが出てきたみたい」と言って、ああなるほど! と思った。当欄では先日、トランプ大統領を「真夜中のカウボーイ」みたいって言ったのだが。繰り返すが映画の邦題「真夜中のカーボーイ」はどうしてもおかしいって。クルマの整備というか改造、アクセサリーの店みたいでしょ、それって。

 

 さてブラッシー。銀髪鬼、噛みつき魔といわれ196070年代中心に活躍した米国のプロレスラー、フレッド・ブラッシーである。なにしろ噛みつく。日本での試合でグレート東郷にさんざん噛みつき、あまりの流血にテレビを見ていたお年寄りがショック死するという事態にまでなった。

 

 力道山、ジャイアント馬場らとも名勝負を繰り広げた。吉村道明という跳び蹴りが得意なレスラーも噛みつかれていた。最初、ブラッシーの子分みたいに振舞っていた四の字固めのデストロイヤーがその後反旗を翻し、ブラッシーを破ったが、リターンマッチで思い切りかじられ、白い覆面マスクを赤く染めて敗れた。

 

 でも素顔はとても紳士で、服装にも気を遣いカッコよかった。確か夫人は日本人で、大変な日本びいきだったという。2003年に亡くなったが、生きていて今の大統領を見たら、みうらじゅんさんに異議を唱えるだろう。冗談じゃない、あんな男と一緒にするな! って。でも風貌とある種のインパクトが似ている。ってもうさんざん言われているみたいだが。

 

 それにしても、テレビでみうらじゅんさんが出ていたら、いつもその発言に注目する。どんな面白いこと、「正しいこと」を言うか。でもMCの東野幸治さんが、あまりみうらさんに振らない。それに知ったかぶりで半可通で。もっとみうらさんに発言させて。お願い。絵馬を見物?した話も面白かった。ある絵馬に、武道館でライブをやりたい、今年中にバンドを編成したい、とあって、みうらさんいわく「後先逆だろ!」。こんな話、最高!

  


「コールドケース」と脱亜入欧

 この時期、WOWOWでは「コールドケース」の日本版を放送しながら、元祖、本家の米国オリジナル版も一挙再放送している。昨夜は日本版をじっくり見た。ドラマの出来も、吉田羊さんら出演者の演技もよくて、いい作品になっていると思う。

 

 ところがドラマの最後の方で、エルビスコステロの「She」が流れてきた時、ガクンときた。違和感がありすぎるのだ。とたんにドラマが韓国か台湾かどっかアジアの国のイメージになった。

 

 「コールドケース」の日本版についてはいろいろ議論があるようだ。前にも書いたが、時代、歴史、社会背景が日米では異なり、同じようなストーリーでは無理があるのではないかと思っている人は多いようだ。

 

 「She」が流れてきた途端、オリジナルをつくった「米国」が、日本のアジア性を照射してしまった。普段、日本のロックバンドや洋物、洋風な娯楽を何の違和感もなく視聴していても、アジアのそれを見ると、妙な違和感に襲われる。

 

 欧米が認める、中には熱狂する現代日本の文化はある。けれどもロックやダンスやヒップホップなんかを、欧米人に見せたらどんな反応をするのか危惧してしまうことがある。日本がアジアに向けるのと同じ視線を浴びるのではないか、と。

 

 「She」が聞こえてきた時の違和感が、やがて何だか悲しい気持ちへとつながった。WOWOWが、日本版のスタッフ、役者が一生懸命やっているだけに、かえって空しさが漂う。

 

 もともと時代背景にぴったりの洋楽からこのドラマはつくられる。ジャズ、スタンダード、ロック、バラード……。歌詞は(もちろん)英語。元来がこのドラマ、洋物なのだ、「米国」そのものなのだ。

 

 昔、欧米のポップスを漣健児という人がうまく日本語に翻訳して、日本の歌手が歌っていた。あれはあれで成り立っていたと思う。坂本九の「グッドタイミング」とか、弘田三枝子の「ヴァケーション」とかね。

 

 一つ確実に言えるのは、誰かもどこかで言っていたようだが、同じ時期に米国オリジナル版と日本版をやるな、ってこと。離してやればまだいいのに。でも日本版で流れる洋楽はどうしようもないか。

 

 「She」はもともとシャルル・アズナブールの曲で、彼の歌ったのももちろんすばらしい。その名曲のイメージがこわれかけた。寒い。冷たい。私の「コールドケース」だ。


普通の表情

夕雲

 

 タレントの上地雄介氏がテレビでおもしろいことを言っていた。自宅で子育て主夫をやってると、テレビのバラエティーを見て、スタジオと茶の間の温度差を感じるという。そんなに盛り上がっても、こっちは忙しく疲れていて、楽しめない、しらけるというのだ。自分も仕事ではスタジオで盛り上がっているのに。

 

 そうだね。笑い声が気になるというか気にさわることもよくある。とにかく笑い、笑顔、笑い声。スタジオにいる人間はみんな笑わなくてはいけない法律でもありそうだ。そんな落ち込んでいなくても、普通な静かな雰囲気がいい時や人は存在する。朝、イノッチの笑い声も、うるさく感じることがある。

 

 なぜ笑いなのだろう。普段のバラエティーで「笑ってはいけない」をやったらどうだろう。あれだけ笑いが必要ということは、実は事態はよほど暗く悲しいのでは? と思ってしまう。

 

 逆に、この頃思うのだけれど、道行く人、買い物をしてる人、すれ違う人で、不機嫌そうなあるいはガン飛ばすような挑戦的な表情をしている人がけっこう多い。もっと普通の表情で歩いていただけないだろうかと思う。何も笑顔で歩けというのではない。それは気持ち悪い。

 

 あっ、それと甲子園なんかでいやなのが笑顔の球児。投手でも野手でも打者でも、笑顔のがいる。そしてそれは概ね、褒められている。苦しい局面でも、いつも笑顔で。明るくさわやか。けったくそ悪い! 人をバカにしてるのかと思うのだが。

 

 深刻な表情はいつでもいらない。笑顔は時には必要だ(自然発生的に)。普段は普通の表情であってほしい。普通の表情がいい人はいい人、中身、魅力のある人だ(である場合が多い)と思う。


ボケ防止クイズとモンクの夜

 水曜日の夜はBSが面白くてついついグラスが進む。BSフジの「クイズ脳ベルSHOW」は地上波を含めて今最高のクイズ番組だ。「あの人は今」みたいな中年、高齢の芸能人が解答者で、ボケ防止クイズに臨む。司会の岡田さんの仕切りがまた切れ味、スピード抜群。意外な才能、側面をみた。アシスタントの女性アナがまたいい味出している。昨夜ある女性解答者が「最近(人の)名前がなかなか出てこなくて。毎日がクイズ!」と言っていて吹き出した。「毎日がクイズ」と思って生きてれば、お年寄りもポジティブになれる。

 

 その後は「名探偵モンク」。昨夜はついに最終回。モンクに対するこちらのイライラもともかく、脇役がいい。アシスタントのシャローナ、ナタリー、その子どもたち。そしてストットルマイヤー警部、ディッシャー刑事の絶妙なおかしさ。最終回はハッピーエンドで、何か普通の映画の結末みたいだったが、驚いたのはディッシャー刑事がニュージャージーの署長に栄転、しかもシャローナとできてたとは!

 

 ナタリーの美人ちゃんの娘、どうしたかな、なんて思ってしまう。昔地上波で、その後NHKBSでと何度も見てるのだが、ついにこれが最後の放映か。いやどこかの局でまたやるか。小生このごろ、食事の時、手についた油が気になってしようがない。「母さん、ティッシュ!」なんて言ってる。モンク現象、モンク症状、アブナイアブナイ。影響されてる。


狙いの可能性も連絡取れない

 最近テレビのニュースを見て気になるのが「〜〜狙いがあるとみられます」「〜〜の可能性もあるとみて」という表現。「狙い」という日本語には、どこかよこしまな意思がありそうなニュアンスがある。

 「可能性」の方は、なぜ「も」なのかと思う。なぜ「が」でないのか。一つある見方を紹介して、その後に二つめとしてだったらわかる。最初からなぜ「も」なのか。その前の可能性は何なのか。

 

 こうした表現は、英語などの訳から来ているのかな。火事や災害で行方不明か死者の身元がまだ判明しない時の言い方で「@@さんと連絡が取れなくなっていて」とよくいう。連絡って何だよ! これってコンタクトということでしょう。日本語として何か別の言い方できないもんだろうか。

 

 アナウンサーのアクセントや言葉の切り方、強調部分もでたらめだ。もっと教育できないのか。教える人もいないのか。日本語だめになっちゃう。


零戦が優勝!

 昨夜は全仏オープンもさることながら、エアレースに興奮しちゃった。日本の室屋義秀さん! 優勝! かっこいい! 室屋といえばサッカーU23だったが、こっちの室屋は世界チャンピオンだ。

 こんなのをNHK(BS1)でやるって、ちょっと見直した。空のF1、ルールもレースの鍵も面白い。ただ速ければいいってものでもない。オーバーGで即失格なんて。

 各選手の各機体のデザインも興味深かった。室屋さんのがやっぱりいい。すっきりしていて、日本で。室屋さんのレースを見ていてなんか零戦を思いだした。いや自分が覚えているわけでなくて。

 テニスはジョコビッチの生涯グランドスラム達成。マレーも強くなったが、精神面と戦術面で引き出しの豊かさが違う。雨でさんざんだった今大会。

 でも昨夜に関してはエアレースの勝ち。あの突き抜けてる感が爽快! おやそうかい。

一人スタンドバイミーの勝ち!

 今朝のニュース速報には驚き、本当によかったと思った。水は飲んでいたらしいが、自衛隊員がくれたおにぎりはおいしかったろうね。急に食べて大丈夫かと心配してもしようがない。

 しかし大したもんだ、この子。テレビ各局見てると、コメンテーターたちがまた勝手なこと言ってる。長嶋一茂氏は「この間の我々のストレス」みたいなことを言ってた。ストレスとは何だ! なぜ「心配」と言えない!

 ま、いろんな人を含めて大人の負け。子供の勝ち。心配掛けたのはよくないが、誰かコメンテーターが言ってた、子供は心配を掛けるものって。この発言はまともだ。

 それにしてもラッキーな偶然の重なりに驚く。自衛隊の廠舎にたどり着いたこと、鍵が開いていたこと、水道の水やマットレスがあったことなど。

 映像で近くにはローカル線の線路が通っているのが映されていた。途端に思いだした。スタンドバイミーを想起された方も多いのではないか。ムーディー・ブルースのアルバム「童夢」を思いだした。原題は「Every Good Boy Deserves Favour」。

こころ旅の越後の「想い出の渚」

 今日の「こころ旅」見て泣いちゃった。

 新潟の海岸が「とうちゃこ」の地。59歳の男性の投稿で、小さい時に母に海水浴に連れていってもらったという。普段母は夜の仕事で帰るといない。寂しい思いもしたが、毎年夏に必ず一回、その海岸に海水浴に行く。バスで行き、歩いて遠浅の砂浜の海へ。

 おそらく母一人子一人だったのだろう。海に入って砂浜を振り返ると、母が日傘を差して見ていてくれたという。母は50代で病気で死んだ。苦労しただろう母との思い出の風景。

 キラキラまぶしい夏の海。子供が海水浴してるのを日傘を差して見ている母親。情景が目に浮かぶ、というよりイメージがきれいで鮮烈で、哀しくて。感動の度合でいえば、「こころ旅」でもベストに近い。

 火野正平さん、いつも通り淡々と手紙を読んでいた。でもあるところでぐっと来た瞬間はあったと感じた。でもすぐにまたちょっと高めのトーンで明るく読み続けた。さすがです。だから感動がこっちにそのまま、あるいは増幅して伝わる。

 ゲートボールなんかでくっついた球の一方を足で固定して、それを打つともう一方の球が飛んでいく。あの物理学の法則みたい。歌ったり何かを話したり伝えたり読む人が感動しちゃって泣いたりしたら、聞く人はしらけるか感動が半減してしまう。そんな歌手や役者やタレントが多い。美空ひばりは「悲しい酒」を歌う時必ず涙を流したが、それで歌が乱れたことは一度もない。

 それと昼飯のチャーハン。上にエビとウズラの卵が乗って、飯には刻んだ赤いナルトが入っていて。うまそうだった。チャーハンでナルトが入ってるのが好きだ。

 「想い出の渚」は恋愛ばっかりじゃないのだ。

暮しの手帖を君に

 「トト姉ちゃん」、やっとしっくりきました。宇多田ヒカルさんの主題歌、お母さんの悲しい死を乗り越えた証し。ドラマは主人公と母親、そしてその母親=おばあちゃんとの話。

 激越な、強靱なものを秘めながら、見た目はソフト、パステルカラー。あっ、それは「暮しの手帖」だ。そして宇多田ヒカルさんの主題歌もだ。「ライフ=生の手帖」なのだ。

 そう思ったら、とてもいい歌だ。ドラマもなんだかわかってきた。急いで結論を出さず、じっくり見てみるものですね。

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