医師の疎通

 WOWOWのドラマ「グッド・ドクター〜名医の条件」は興味深い。フレディ・ハイモア主演で、自閉症だが天才的記憶力を持つサヴァン症候群の青年医師ショーンが、膨大な医学の知識を駆使して大病院に旋風を巻き起こす、というもの。

 

 何よりフレディ・ハイモアの演技力というかキャラクターが抜群なのだが、普通はあり得ないと思われる自閉症の医者という設定が浮かび上がらせるのは、現代におけるコミュニケーションとは何か、コミュニケーションは十分図られているかという問題だ。

 

 自閉症の主役は、当然ながら他の医師やスタッフ、また特に患者の家族などとうまくコミュニケーションが取れない。患者に、とりあえずは言ってはいけないこともいう。「あなたはガンだ」とか。ところがドラマでは患者本人は意外に反応はいいのだ。

 

 それは言葉、会話を通してというより、ショーンの真摯な態度(真摯にしか向き合えない、嘘が言えない)を患者が肌で感じるというか直感でわかるというたぐいのものだ。これは患者だけでなく、後見人みたいな院長、そして仲間先輩の医師も徐々にそうなってくるのだが。

 

 そこで問題になるのは、ショーン以外の医師やスタッフは実によくしゃべり合い、コミュニケーションが取れているように一見みえるのだが、実はなんも取れていないということなのだ。そして意外にもショーンがホントのコミュニケーションを取っていることなのである。

 

 現代は情報過多といわれるが実は真に有益な情報が得られることは少ない、といわれてからもう久しい。さらに昨今はナマの人間同士の会話でもコミュニケーションが図られていないし、メディアを通しても、コミュニケーションはブレークダウン状態だ。

 

 マスメディアだって厳正な事実より、憶測や願望、思い込みの情報ばっかりではないか。同じ電波でドラマや何やフィクションを流しているメディアが、ニュースやワイドショーで事実を伝えることは本来、本質的にできないことなのだ。それはフィクションなのだ。

 

 かつて三島由紀夫氏が新聞を「出来の悪い文学」と見抜いたように、テレビは出来の悪い映画・ドラマなのだ。真の情報、真のコミュニケーションがどんどん減少していく中で、それによる犠牲者はどんどん増えていく。世間的に被害者と呼ばれる人にも、そして加害者と呼ばれる人にも。

 

 あらゆるジャンルは人間の一生のように、生まれて成長して全盛期を迎えて衰退期を経て死ぬ。ところが実物の人間はホントに死ぬからいいのだが、ジャンルは死んでもその残骸は存続するからやっかいなのだ。

 

 このジャンルには本当にあらゆるものが含まれる。政治、企業、会社、思想、芸術、文化、音楽、民主主義、平和。音楽でいえばジャズ、ロック、その他一時代を画した流行音楽。厳密にいえばクラシックもそうだが、とりあえずは一番生きながらえているように見える。どうせなら音楽でも美術でも文学でも、長く生き残っているように見えるものを愛好した方が被害は少ない。つまり偽物に毒されることは少ないだろう。

 

 実際、目の前の生身の人間が発する言葉より、スマホの字や画像映像に注意を向けている、そんな社会になってしまった。人間同士の会話も、実は自分が言いたいことを言うだけで、相手の言うことに注意深く耳を傾けていることは少ない。みんながテレビのワイドショーのようになりつつある。真実は、CMの後で! なのだ。


怠けるを探せ!

満月

 

 今宵は満月である。久々に午後ウォーキングして、シャッフルで音楽を聴きながら歩いていたら、ちあきなおみ「紅い花」がかかった。ちょうど歩き始めて30分ぐらいで脳内快楽物質が噴出していた。歌のサビのところでブワーンと何かが爆発した。コリン・ウィルソンの言葉でいえば「至高体験」だ。久々だった。

 

 夜はNHKの歌番組で、AKB48の「365日の紙飛行機」を久々に聴いた。「明日頑張ろう」ってとこがいいよね。365日それを実践したら、永久に頑張らないことになるが、それでもいいじゃん。この歌大好き。

 

 テレビのCMなどで「夢は何ですか」とか「目標は何ですか」という問いがあるが、こういう質問が大嫌いだ。答の方も変だ。「毎日成長すること」とか。「運転免許を取ること」とか「歯科技工士!」とか。それって手段でしょ。質問はゴールを聞いてるのに。そもそも簡単にひと言では答えられない質問だ。「あなたにとって○○は」という質問と同じ。手間を省き、失礼ですらある質問だ。

 

 中学の頃、同じクラスの男子生徒が生徒会長選挙に立候補して、立会演説会で「努力という言葉が好きです。生徒会長になったら一生懸命努力することを誓います」と言った。終わってから、そいつに「それは公約でも何でもないだろ。努力するのは当たり前だろ」と突っ込んでやったら、黙り込んでしまった。先生方にはこういうヤツは受けるのだが、小生みたいないやな生徒もたまにいるからね。

 

 とか思ってたら、今NHKの歌番組で、なんと! シルヴィ・バルタンさんが歌っていた! あの効果音みたいなところを自分の声でやって、サービス満点。とにかくお元気で、おきれいで何より。うれしい。BSはともかく、地上波のテレビは質の低下にあきれ返っていたが、たまにはいいこともするね。

 

 満月の日は昼から、夜はもちろん、何かが起こる。


息が粋だね

 昨夜のNHKEテレ「スイッチインタビュー」はおもしろかった。文楽の六代目竹本織太夫さんと中川家礼二さんの対談である。織太夫さんが礼二さんのファンで、ぜひにとリクエストしたとのこと。異なるジャンルの話芸の達人同士、話は示唆に富んでいた。

 

 織太夫さんが言っていた。自分のブレス(息)でやってはだめで、役の人物のブレスでないと、と。そして、人形、三味線とともに語りで観客の呼吸を支配することが目標だ、と。礼二さんに対しては「名もなき人々」の真似をするところがいい、と。

 

 いき、という言葉、大事だね。息、意気、粋、生き、行き、域、活き、閾、位記、そして逝き……か。人の一生だ。

 

 息、呼吸というのは話芸でもそうだが、書き言葉、文体でもそうだ。これのだめな、息苦しい文章がいかに多いことか。

 

 で、今朝新聞の書評欄を読んだら、呼吸以前に、内容のレベルの低さに驚いた。本もだめ、書評もだめ。時代は深刻だ。最近どこかのブログかツィッターで、新聞が大量の木材を消費しているのに、資源やエネルギー問題について、よくいうよ、と指摘していたが、その通り。もう紙の無駄遣い、やめたら?

 

 


テレビと人間

 今朝のNHK「あさイチ」に樹木希林さんが出ていたが、司会者もメッセージ・質問を寄せた視聴者も、根本的に樹木さんという人を間違って認識しているのではないかと思った。「飾らない」とか「時間や何やに制限されない」「仙人のような人」とか。ご本人が怒るのではないかとハラハラしたが、よくこらえて一つ一つにていねいに答え、話していた。マネージャーがいないから時間の管理も大変だし、とか。あさイチに出るのも大変だよね。何にもしばられない、とらわれない生き方なんてできるわけがない。そのわずらわしさと、この人ほど葛藤し戦っている人はいないのではないか。「夫が嫌いです」という視聴者の相談には、その分相手もあなたを嫌い、と答え、「欠点のない人なんていない」と言っていた。スケールが違うんだよね。NHKやメッセージを寄越した視聴者に言いたい。「ボーっと生きてんじゃねえよ!」。

 

 感情移入って何だろうと思う。「あさイチ」の前、「半分、青い」を見ていて、ヒロインより豊川悦司さん演じる秋風羽織に同情してしまう。こんな弟子というか新入社員、がまんできないだろうなあ、と。これは演技力の差で、仕方ないのかなあ、と。誰かに同情とか応援とか思い入れとか、そんなのではなく、小説でいえば文体というか、それに乗って進んでいけるかどうかの問題。ヒロインがあまりにドジで無神経に見える。もしかしてキャスティングあるいは脚本の問題か。って話してたら、カミサンに朝ドラそんなに思いつめて見なくていいんじゃないの? と言われた。それもそうか。笑って見てればいいか。でも、たとえばストーリーでも、所詮ドラマだからフィクションだからと言っても、場面設定など無茶苦茶でいいわけでなく、最低限守られるべきリアリティってのはあると思うのだが。これも大人げないか。


真如の月を眺めあかさん

 テレビの平昌五輪メダリストに関する放送もようやく一段落したようだ。テレビだけじゃないが、会見だの報告会だの、同じようなのをなんであんなに何回もやらなくちゃいけないのか。選手の皆さん、疲れてるうえに同じこと何回も聞かれて、大変だろう。中にはもう次の試合に行く人もいる。なんであんなにインタビューしなくちゃいけないの? 意地汚いというか、むさぼり、しゃぶりつくすみたいな。昔の悪い男が女にとことん貢がせるみたいな。日本のいやな部分だ。

 

 と思ったら女子レスリングに関するパワハラ問題。いやんなっちゃう。でもスカッとしたのが、コメンテーターで出た長田渚左さん。実に明快! ズバッズバッと語ってくれる。で、感心したのが、知らないことについては「知りません!」「わかりません!」とはっきり言うところ。いよっ! 男前! ほとんどのコメンテーターは知ったかぶりばっかり。大体、そんな知識ないくせに、知らないことに関してどうしてあんなにコメントできるのか。テレビ局はおそらく視聴者目線、素人目線でというだろう。そんなの求めちゃいません。プロの、玄人のコメントが聞きたい。

 

 あ〜あ、テレビって。と思っていたら、テレビで視聴できることにも捨てがたいものもあるなあと思わせてくれたのが、昨夜Eテレで見た「玉三郎 歌舞伎女方考」。すごいね、驚異だね。「京鹿子娘道成寺」。玉三郎さんの舞台を流し、その後玉三郎さんが解説するのだが、ただの解説ではない。この世の不条理への恨み、娘が女になってしまったことへの恨みを表現しているのです、とか。

 

 さらに舞は詩である、とか、演じるものが観客に入り込み、観客との間で生まれるのです、とか。「娘道成寺」の言葉、「真如の月を眺めあかさん」には参った。今一番あこがれるのはこの境地だ。それにしても、玉三郎さんのあの舞、動き、相当な体力と鍛錬、研ぎ澄まされた感覚が必要だろう。フィギュアスケートなんて足元にも及ばない。

 

 歌舞伎は、梨園とかえらそうなところが嫌いだったが、その中で松本白鴎さんなんかはその辺わかっているような気はするが、いずれにしても、相撲と同様、実際以上に高貴なものにとらえられていると思っていたが、玉三郎さんは違います。詩であり芸術であり、それ以上のものです。もし玉三郎さんが、といっても誰でもいつかは必ずこの世を去るのでしょうが、同じような存在はもういない。それを思うと悲しい。でも今ハイビジョンで見ることができるのはうれしい。Eテレ、ありがとう。でも今度必ず、歌舞伎座で実物見たい。絶対見る。


AI(実は人類)対人類、勝負あり!

 昨夜のNHK「超絶凄ワザ AI対人類3番勝負」は面白かった。3番勝負とは、デパートのベテラン販売員つまり洋服選び、タクシードライバー、俳句の3種目。洋服選び&コーディネートは、着る女性が選んだ方が勝ち。タクシーはAIの指示を受けた若い女性ドライバーと男性ベテランドライバーが、客の乗降回数を競う。俳句は俳句家3人がいい句を選ぶ。

 

 結果はほとんどで人類が勝った。タクシーでは、AIが人の多く集まる地点などをリアルタイムで分析するが、ベテランドライバーは乗せた客との会話で、どこで何のイベントがあり大勢が集まる、何時ごろ終わるなどの情報を得て、口コミを生かし、また経験から客がいそうな場所に行く。オジサンドライバーが勝ったときは、なんだかうれしかった。

 

 洋服と俳句に共通しているのは、AIの選択、作品が意外にオーソドックスであることだ。本来の勝負とともに、どっちがAIの作品かもクイズみたいにしていたが、ほとんど当たっていた。オーソドックス、無難、つまり面白くない。比べて人類がつくり人類が選んだ作品は、ちょっと奇抜なところもあるのだ。そこが、ファッションでも俳句でも魅力となっている。

 

 AIの作品には破綻、意外性がない。洋服もそうだが、俳句では意外な言葉の連なりがあるのでは、と期待したが、ない。俳句の専門家はAIを担当した人たちに、何かが足りない或いはシステムとして間違ってるのではないか、とちょっと厳しい口調で言っていた。ここは司会のジュニアではないが、夏井先生の意見も聞きたかった。

 

 人類がほとんど勝ってうれしい面もあったが、AIがもっとやってくれると期待もしていた。今回の勝負を見て、AIもやはりそのシステムなどをつくる人間の能力によるのだろうなと思った。結局、人類対人類なのだ。

 

 それと俳句のところで、システムをつくった側が何百万語だかを入れたとか豪語?していたが、人間の脳はそんなもんじゃないんでないかい? もっと複雑でないかい?


静かな実況

 平昌五輪、アイスダンスフリーの上位2組の演技はすばらしかった。まさに芸術。スケートでここまで表現できるのかと思う。フィギュアより、見てて感動する。実況、解説とも口数少なく(やっぱり感動していたからか)、静かなのもよかった。今回は音声多重で言葉なし、会場音だけってできないんだね。残念。

 

 複合見てていつも思うが、解説のO氏、なんであんなにえらそうでうるさいのか。たいしたこと言ってないし、いい間違えてるし。

 

 それに比べて(比べたくもないが)、ジャンプの原田さんの解説、いいなあ。面白いし、出場選手たちへの愛情が感じられる。原田さんと居酒屋で一杯やりながら、いろいろ今までの経験から面白い話なんか聞けたら、楽しいだろうなあ。ホントいい人だなと思う。船木さんもジャンプという競技の機微がわかってよかった。

 

 宇野昌磨選手の話で面白かったのが、待っている間、他の選手の演技を見て、得点が何点か当ててるってやつ。「暇つぶしに」って言ってた。これを聞いた荒川静香さんが「はっ!」って絶句ぎみに、素で笑ってた。あきれてたというか。

 

 カーリングって、戦略や戦術、その局面に応じた臨機応変の作戦も大事だが、根本的な思想がないとだめだと思う。方針というか姿勢というか。その表現の場が、試合なのだと。

 

 小平さんと李相花の感動的なシーンは、五輪が政治で汚されそうだったのを、スポーツの力できれいに吹っ飛ばしてくれた。開会式が終わって本格的に競技が始まる頃、二宮清純氏がテレビで「これからはスポーツの力。スポーツは微力かもしれないが無力ではない」と言っていた。芸術、文化もそうだが、政治には負けない。

 

 でも、じゃないけど、スケートのショートトラックって、政治みたい。やったら性格悪くなりそう。あれを人生の縮図とは思いたくない。誰もそう言ったわけじゃないけど。昔、ローラースケートでガンガン当たりぶっ飛ばすのあった。あれの方がまだマシ。

 

 


テレビスポーツ教室かい? 五輪中継

 羽生、宇野両選手おめでとう。昨日のショートでネイサン・チェンがこけた時点で、羽生選手の勝ちと見ていたが、その通りになった。「五輪の戦い方を知っている」という羽生選手の圧力に、チェンがやられた。演技で得点を競う競技だが、目に見えない戦いがある。まさにスポーツは、殺るか殺られるか、つぶし合いなのだなあと思う。

 

 さて、カーリングの実況を見て思うのだが、アナウンサーがうるさい。のべつ初歩的なカーリングの規則をしゃべりまくっている。見ている人みんなもうわかってるよ。石崎さんの解説もっと聞きたいよ。他の競技でもそうだが、規則ばっかりしゃべってるアナウンサーってほかに知識がないから、実は詳しいネタがないから、時間つなぎにルールを解説する。わかってる人はもうわかってる。わからない人は聞いてもわかりません。だから意味がないんですよ。

 

 それとワイドショー、ニュースショーでスタジオのメーンキャスターと現地の解説者のやり取りで、タイムラグでイライラすることの多いこと(五輪だけじゃないけど)。解説者の話が大事なところに差し掛かると、キャスターが質問して、タイミングがかち合って、両者が黙り、またかち合う。その繰り返し。キャスターは少しだまって解説者のいうことを聞きなさい。

 

 この前、ある司会者が「私しばらく言わないので、お願いします」と現地解説者に振って、すごくよかったことがあった。視聴者のことを考えている。羽鳥さんだったかなあ。ほかのことではかなり首をかしげざるを得ない人だが。自分の口数が多いのが仕事をしているアピールになると思ったら大間違い。辛坊治郎氏までこの点、今朝はだめだった。佐野さんにしばし言わせなさいって。

 

 上記に共通して言えるのは、キャスターとして「視聴者にわかりやすく伝えるため」という間違った考え方、えらそうな姿勢、根本的な妄信、そして人がわかりやすく伝えれば人はわかるといった「信仰」があるのだと思う。そんなことはないのだ。人から人に何かが正しく伝わるって、かなり難しい。至難の業といってもいい。あるいは視聴者、国民を素人とバカにしちゃいけない。みんな知ってるって。で、繰り返すが、知らない人はどう解説されても知らないって。

 

 羽生が演技に入る直前、右手でつくったかたちは、キツネ。フォックスゴッド。まさに陰陽師、安倍晴明。例えば、優勝後の羽生の言葉を、誰かが代弁してしゃべって、彼の言わんとすることが正しく伝わるだろうか。羽生の口から(テレビ中継ではあっても)直接聞かないと、意味がないのではないか。

 

 NHKのスタジオの総合司会みたいなの、だめだね。男も、不手際で、かんでばっかし。ベテランそうなのに。昨日なんか、女子ばっかりで、そこら辺のガールズトークだもん。で、「陣内さんいかがですか」状態ばっかり。専門外の人に聞いてもしようがないでしょう。

 男女差別するつもりは毛頭ないが、スポーツについて同じぐらいの知識しかない男女のアナウンサーがいたとして、男性はしゃべりが仮になんとかなったとしても、女性はいかにも知らなさそう、付け焼刃、無理してるって感じがするのは、なんでだろうなんでだろう、なんでだなんでだろう〜お〜お〜。

 

 あっ、今NHKの男が、「途中ですが」って神妙な顔で言ったので、何か重大な事件か事故でもあったのかと思ったら、羽生、宇野両選手が現地のNHKのスタジオに来てくれたのでインタビューをお送りします、だって。もっと明るい顔しろよ! 小さいことのようで、大事なことだと思う。「伝える」ことが仕事でしょう。言葉だけでなく、表情でも。やっぱりこの人、わかってない。

 

 実際スタジオでインタビューしてるアナウンサーは、いいなあ。いい質問して、いい答を引き出している。

 

 


車椅子テニス国枝選手の逆転なぜ放送しない?

 さっきWOWOWで錦織圭のテニスをやっていた。復帰2戦目、相手は1戦目で負けた同じ選手だったがストレート勝ち。ご同慶の至りである。解説者も言っていたが、サーブなど体の使い方、素直でコンパクトでシンプルでよくなったなと思う。ビッグサーバーみたいに無理することないのだ。分をわきまえる、それが一番強い。それではじめてその選手の長所が出てくる。明るい兆しだ。

 

 それはいいが一昨日終わった全豪オープンのWOWOWの放送について文句がある。車椅子テニス男子シングルス決勝で国枝選手が優勝したが、その試合尻切れトンボで、女子シングルス決勝にうつっちゃったのだ。国枝選手が1−1のセットオールから第3セット、かなりリードされピンチだった。そこから(放送ではすぐにはわからなかったが)逆転したのだ。それなのに! 肝心の逆転のところが見れなかった。オンデマンドではやってるよというかもしれないが、テレビだけの人もいっぱいいる。

 

 そりゃ、ハレプとウォズニアッキの決勝も見たい。でも中継がうつってそれから試合前の練習などかなり時間あったじゃない。国枝選手のものすごい逆転劇を最後までやってからでも女子決勝は試合のほとんどは放送できた。しかも翌日でも録画でやるかなと思ったら、やらなかった。何を考えてるんだ! 車椅子テニスを差別してるのか! 責任者出て来い!


時間泥棒

 昨夜テレビで、たけし氏が負けたと思った芸人は? というのをやっていた。氏よりちょっと下の世代あるいは最近のの漫才コンビについて、サンドイッチマンは面白いとか、まあまあそうだろうなという常識的な線だった。

 

 氏より上の世代の大物についてが興味深かった。萩本欽一氏は、コント55号で二郎さんの背中に跳び蹴りしてた頃はすごいと思った、でもその後いい人になった、ファミリー的なものなど、ちょっと残念、と言っていた。

 

 立川談志師匠については、なにしろツービートを面白いと引き上げてくれた人、でも三遊亭小さん師匠みたいにかわいくならず、突っ張ったまま往っちゃった、みたいなことを言っていた。

 

 なんか矛盾してるみたいな。欽ちゃんと談志師匠の対比で。たけし氏の言ってることもうなずけるのではあるが。欽ちゃんの「めだかの兄弟」の時代は、嫌悪感しか感じなかった。遠ざかった。でも談志師匠がかわいくなっちゃったら、談志じゃないでしょ。あっ、これってたけし氏の照れ隠しなんだね、談志師匠に対する畏敬の念というかその辺の。

 

 で、最後の最後に、かなり引っ張った後に、たけし氏が負けたと思った芸人が明かされた。それが明石家さんま氏だというのだ! ひょうきん族のブラックデビルなどのアドリブ、切り返しがすごい、かなわない、というのだ。

 

 ああ、つまんない! 何十分も(CMまたいで)引っ張った挙句、「たけしが負けたと思った芸人」が、さんま氏だというのだ! これって、あんまりでないかい? 面白くも何ともない。

 

 これはたけし氏が、というのではない。テレビ局の責任だ。時間を損した。

 

 たけし氏が負けたと思った芸人。それは「タコ八郎!」 なんて答えをひそかに期待していたのだが。つまり、狂気だ。


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