カラヤンがエロ事師?

 さっきNHK第一のラジオを聴きながら風呂に入っていた。「新日曜名作座」が楽しみなのだ。西田敏行さんと竹下景子さんの語りがいい。この番組の音楽担当は池辺晋一郎さんだが、テーマ音楽は古関裕而さんの作品でこれがまたいい。日本の歴史伝統、それも偉い方のでなく庶民のそれを思わせる。番組のテーマ音楽としては富田勲さんの「新日本紀行」と双璧をなすと思っている。

 

 いい気分で汗を流していたら、あれっ?と思う言葉、正確にはアクセントが出てきた。次の番組の「音の風景」だった。今日は東京・日比谷公園あたりの音で、昭和何年だかに市政会館(日比谷公会堂)で開かれたクラシックコンサートの録音を紹介した。チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を指揮していたのが、「カラやん」という女性アナウンサーの読みだった。そのアクセントが「ラ」に来ているのだ。もちろん指揮していたのは、ヘルベルト・フォン・カラヤンである。

 

 カラやん? まるで大阪の親しいオッサンみたい。思い出したのは野坂昭如氏の代表作「エロ事師たち」のスブやんである。スブやんの友だちのカラやんが「悲愴」を指揮していたのか! 吹き出してしまったが、直後に思った。天下のNHKでも、アナウンサーがアクセントを間違うてしまうようになったんか!(大阪弁)。

 

 昔、漫才かコントでカラヤンをカラやんと言って、相方が「お前の友だち、大阪で指揮してんのか」みたいなのがあった。ホントです。コントの世界が現実になってしまったような(変な言い方だが)なさけない気持ちになった。指導したりチェックする人はいないのか。あの、老いてなお貴公子然とした端正なマスクと金髪のカラヤン氏に、失礼ではないか。

 

 最近のテレビ(ラジオ)の日本語のアクセント、ほかにも目茶苦茶だけどね。それこそNHKからはアクセント辞典みたいな本も出ていたと思う。せっかくの音楽、音源も指揮者名のアクセントひとつでお笑いになってしまう。NHKさん、気をつけてほしい。


ニュースにならないだけ

 テレビのニュースというか、どこか地方の面白い話題を扱った中で、地元の人が「世の中暗いニュースばかりなので、せめて明るい話題を発信したい」旨の発言があった。そういえばそう。地震、台風、豪雨など災害をはじめ事件事故でニュースはあふれかえっている。

 でも、もう一度考えてみれば、新聞やテレビはそうした「暗い」といわれるニュースを扱うものなのだ。あるいは政治や経済、エネルギー、環境など幅広い分野で「問題」を扱うメディアなのだ。時には「問題」を曲げて、或いはつくってでも。

 

 以下はネットで見つけた言葉。勇気づけられました。こうした言葉を発見することが「ニュース」なのだと思う。

 

 「世界は歴史上もっとも住みよくなっている。日本も住みよくなっている。それがニュースにならないだけ」(池田信夫氏)

 

 「世界の中であなたが見たいと思う変化にあなた自身がなりなさい」(マハトマ・ガンジー)

 

 池田氏のは環境問題に関することで、ガンジーのは哲学的だが、私の中では結びつくのです。毎日毎日、世界は、自分は、変化している。思うのだが、メディアの仕事って本来、日々発生する無数の出来事の中で、新しい潮流の表れ、現れ、顕れ、或いは兆しといったものを発見発掘することなのではないか。

 

 そうすればどんなに面白くどんなに貴重な仕事になるだろう。わくわくする。ごくまれにそういうニュースもやってるけどね。ほとんどはもう腐ってる。セミの死骸をつついているようなもんだ。マスコミが毛嫌いする(最近はそうでもないが)官庁、官僚みたいに、いや地方の役所のように「前例」を重視した手法。新しいものはすぐには、よくわからないものだ。だから避ける。虫の触角には到底及ばないだろうが、せめてアンテナをよく張ってほしい。真にエキサイティングなニュースを流してほしい。


客観というフィクション

 久しぶりにページをめくるのがもどかしい、でも最後はページをめくるのがもったいなくてためらわれる、そんな小説を読んだ。塩田武士「歪んだ波紋」だ。マスメディア、インターネットが題材の、これは推理小説だ。

 

 新聞やテレビがいかに誤報、さらには虚報をつくり、それを流すか。インターネットのフェークニュースの怖さ。ホントに読んでいてゾッとする。それにより被害者がどれほど大きなダメージを受けるか。フィクションではあるが、現実的だ。こんな箇所がある。

 

 ----特にカポーティの記事には海馬が疼き、垣内と『冷血』について話したことを思い出した。最初はニュー・ジャーナリズムとノンフィクション・ノベルの違いについて語り合ったが、そのとき垣内が言った「客観報道ほど真実から遠いものはない」という言葉が印象に残っている。----

 

 ----現役時代、美沙は記者クラブが当然のシステムだと思っていた。しかし、大半が民間企業である新聞社や放送局は、一体何の「資格」があって第一級の情報を独占しているのか。情報を発信する人とそれを受け取る人が、直接結びつく時代。双方向性と透明性が求められる中で、記者クラブのような問屋の存在が、美沙には浮いているように見えた。----

 

 ----「テレビの本質は消費や。君の言うように虚実関係なく『分かりやすさ』と『面白さ』に無上の価値を置くから、短い時間でシロかクロかはっきりさせなあかんし、飽きっぽい視聴者のために常にオモチャを探してる」

 「まぁ、でもうちは人のこと言えんわな。新聞も時代遅れな『マス』を引きずって生きているから。その上再販制度に守られて、軽減税率で嫌われて、それでも苦しいんやから、時代が変わりつつあるとしか言えんな」----

 

 作者は新聞記者OBのようだ。新聞記者という仕事の苦労も、時には落とし穴も知っている。またテレビの「つくり方」も知っている。さらにネットのニュースについても詳しい。雑誌(出版)、新聞、テレビといった従来のメディアの凋落とネットへの移行は避けられない流れと認めつつ、ネットというメディアの落とし穴にも警鐘を鳴らす。

 

 上記引用3か所の中で、特に、激しく共感するのは

 

 ----大半が民間企業である新聞社や放送局は、一体何の「資格」があって第一級の情報を独占しているのか。----

 

 という点である。日本に特有の記者クラブ制度を何とかするのが、新聞やテレビにとって存続の方策の第一歩ではないかと思う。いわば身を切る改革だ。

 

 それにしても日本は昔から、問屋とか仲買人とか、中間で利益を得る商売が多い。それって意外に日本の特性なのかも。

 

 


「被災地」という言葉

 東北のある町に来て、今朝NHKテレビ見ていたら、これは東北ブロック限定のニュース番組なのだろうか、仙台放送局からの放送だった。内容は東日本大震災の復興を願う伊達正宗公の砂像の制作、災害時の病院受け入れの講習会、漁港の学生のインターン受け入れなど、東日本大震災関連のテーマばかりだった。

 

 まだまだ復興途上であり、取り上げるのはいいだろう。でも、今、この時? 北海道の地震やその前の台風、その前の西日本豪雨の被害の影響がまだ続き、まして安否不明者の捜索が続く中で、何か違和感を覚えた。もちろん、被害の規模が違う。そして東北限定の番組だったらという考え方もあるだろう。でも、今、この時?

 

 「被災地」という言葉が何度も出てきた。東日本大震災の後、「被災地」といえば東日本大震災のことみたいになっていた。ある時期までは、それで通っていたし、それが自然だったろう。でも今は日本中どこも「被災地」じゃないか! 何か特権みたいに、頭に何もつかない「被災地」という言葉を使うのは、無神経か、逆にえらそうだ。言葉数が多くなっても「東日本大震災の被災地」というべきだ。

 

 それと、仙台が東北の中心みたいな意識、ニュアンスが番組を通して感じられた。札幌が北海道の中心なのと、東北ではまた意味合いが違う気がする。行政やNHKのブロックの考え方、古い日本の因習みたいで、すごくいやな感じがする。地方分権なんて聞いてあきれる。

 

 前にも書いたが、災害時の放送、特に発生直後の映像はNHKより民放がいい。各県の放送局がすぐに現場に行くし、小回りが利く。NHKはお天気カメラとヘリコプターだけ、あとはスタジオで延々としゃべってる。NHKは根本的に考えたら?


酒の種類

 ある人が書いていたが、24時間テレビでトライアスロンを完遂したみやぞん氏の言葉をほめていた。

 

 ----まぁー楽しく出来たので大満足です
   何かやったから人間価値があるわけじゃない
   ただ生きてるだけで人間十分価値がある----

 

 そして障害者に何かをやらせ、やると称賛するという番組の姿勢に疑問を呈していた。それができなければその人に価値はないのか、というのである。だから、みやぞん氏の言葉は番組への実は批判にもなっているのではないか、と。

 

 書いた人の考えすぎということはないだろう。みやぞん氏は考えの深い教養人だ。この通りだと思う。

 

 いつかある番組で実にいい酒場、いいシチュエーションでみやぞん氏が呑み、他の客と語らい、その感想を言っていた。ビールとか焼酎とかそんな酒の種類というのでなく、そこでは「酒の種類」がほかと違う、と言った。それに対して所ジョージ氏が「距離感ってことでしょ?」と安易な言葉でまとめようとした。みやぞん氏は最後まで首をかしげていた。その時、この人は本物だなと思った。

 

 別のサイトで気象報道の言葉のインフレについて書いていた。全く同感だ。「数十年に一度の」「生命を守る行動を」などの言葉がもはや切迫感を持たないというのだ。気象庁の考えた言葉をそのまま伝えるのでなく、言葉を考えて伝えることはできないのか今のマスコミは。

 それと「竜巻」「雹」の使い方というより使わない方というか、断定せず「突風」とか「雹のようなもの」という言い方にこの人は疑問を呈していた。学者の検証なんかどうでもいい。「竜巻が発生した(発生しそう)」「雹が降った(振りそう)」という言葉で住民や農家の人に注意を喚起すべきではないか、というのだ。全く同感。つまらない責任回避みたいなので、テレビは役割を放棄している。どこか回路がずれている。ホントの日本は正常なのに、マスコミに限っていえば「世も末」だ。


記者・キャスターに国家試験を

奥入瀬渓流

 

 2歳(になったばかり)の男の子をなめちゃいけないね。すごいねこの子。2歳でスタンドバイミーやってる。

 

 民放テレビのワイドショーを見ていて、恵氏でも宮根氏でも、なぜあんなにお天気キャスターの人をからかうみたいな態度を取るのだろうと不快に思う。あなたにはない知識をいっぱい持っている人でしょう。もっとリスペクトしなきゃ。そして途中で余計な口をはさまないで、ちゃんと言わせて。視聴者は聴きたいんだから。

 

 最近いろんな方面で日本って劣化したなあと思う。でもすぐに気がついた。そのもとになっている情報やものの見方考え方はテレビなどマスコミから流れてくるものだということ。ネットで得られる情報にもひどいのもあるが、日本も(世界も人間も)捨てたもんじゃないという情報も多い。

 

 マスコミの記者やキャスターは会社や局が喜びそうなスタンスからの報道が無意識に体に染みついているのではないか。さらには狭小な、偏った知識教養から、思い込みや憶測、感情で言っているのではないか。

 

 もう一度原点に返り事実だけを伝えてほしい。昔もそうすれば戦争回避の道もあったろうに、と思う。真に事実だけをとらえ伝えるということはものすごい知識、見識が必要だと思う。さらには想像力。それも変な「角度」じゃなくて。本を読みものを考える力のある人間でないと、本当は記者なんて仕事をする資格はない。無免許、無資格の人間が危険な機械を操作している感じがする。


ワンパターンの災害報道

 西日本の異常な豪雨災害のテレビ報道を見て、激しく疑問に思うのはNHKだ。特別警報の気象庁が言う「生命を守る行動を」ばっかり繰り返す。震災の頃の状況を思い出す。視聴者=住民がかえってタカをくくる恐れがある。

 

 今、あるいは最新の状況を映像で見せて、こんな状態にあなたのいる地区もなりそうですよ、と知らせることが重要ではないか。映像はヘリコプターからのばっかり。たまに現場の中継につなぐと、「今は小降り」とか小康状態の場所ばっかり。逆効果ではないか。

 

 その点、意外に民放の方がいい。各地元局の方が、より現場に近いところまで行って、リアルな映像を流す。地方局のスタッフは土地勘があるし、小回りがきく。NHKは戦艦大和か。

 

 いくらメディアその他で危険だと呼びかけても、安易に楽観していた住民もいないことはないだろう。でも事情ですぐ避難できない人も多いと思う。どうすればいいか。今回の雨の危険度を選挙の連呼のようにただ繰り返すのでなく、いかにして今回の雨の異常さを伝えるか。今後検証してほしい。

 

 そうした点で今朝の日テレで気象予報士の高塚哲広氏が解説していたことはわかりやすかった。いかに今回の雨が異常で未曾有なのかがわかった。さすがベテランだ。要するに伝える努力の大小だ。異常さ、怖さを伝えるのは難しい。おおよその括りで標語のようなことを言ってもだめだということだ。


華丸氏の「オフサイド」最高!負けるな信用金庫!

 NHK朝ドラ「半分、青い。」に関して、面白いこと考えちゃうことがあった。昨日の放送分の最後に、律が突然鈴愛にプロポーズした。そこでこの回は終わり。直後の「あさイチ」の冒頭、司会者の華丸大吉はどういえば困ったかのよう。そこで華丸氏がひと言、得意の川平慈英氏の物まねで「プロポーズは、オフサイドだ!」。腹を抱えて笑ってしまった。

 

 唐突なプロポーズ、半年の放送期間の中で今の時期を考えれば、鈴愛がOKするわけはない。恐らくここはNOだろう。律のプロポーズはフライングもしくはオフサイドでノーゴールしかない。さらに言えば、昨日の朝はW杯で日本がセネガルと引き分けて勝ち点を取り、決勝トーナメント進出に大きく前進したばかりなのだ。

 

 民放の朝ワイドだったら華丸氏もサッカーについて言いたくてしかたがないところ。そこでプロポーズは「オフサイド!」と出た。今日の放送では大吉氏が、北川さんが華丸に話があるそうだ、と言っていた。北川さんとは作者の北川悦吏子氏のことだ。これは面白いことになりそう!

 

 さて考えちゃうこととは何か。今日の放送では、いきなり4年後に飛び、鈴愛は漫画が売れなくて、アルバイトなんかしてる。心配した母親が鈴愛に見合い結婚を画策。師匠の秋風羽織に手紙を出し、鈴愛本人にも手紙と見合い写真を送る。そして見合いの相手とは地元の信用金庫に勤める男性だというのだ。

 

 いかにもありそうだ。最初、鈴愛の就職がいったんは決まった職場は地元の農協だった。今度は見合いの相手が「信用金庫」! でもこの設定、地方に暮らす人や、特に信用金庫に勤めている人にちょっと失礼ではないか。漫画家、恋愛、都会……その対極にあるのが信用金庫というのは。イメージとしてわかるというかすっぽりはまっているけど、でもなあ。都会の脚本家の大家が、田舎をばかにしてるという構図に誤解されないかと心配する。

 

 それにしても華丸大吉の司会は面白い。民放と違ってNHKは制約も多い。だがかえってその中での発言、切り返しが面白くなっている。で、「半分、多い。」の今日の放送分では、律のプロポーズは、やはり「オフサイド」だった。


医師の疎通

 WOWOWのドラマ「グッド・ドクター〜名医の条件」は興味深い。フレディ・ハイモア主演で、自閉症だが天才的記憶力を持つサヴァン症候群の青年医師ショーンが、膨大な医学の知識を駆使して大病院に旋風を巻き起こす、というもの。

 

 何よりフレディ・ハイモアの演技力というかキャラクターが抜群なのだが、普通はあり得ないと思われる自閉症の医者という設定が浮かび上がらせるのは、現代におけるコミュニケーションとは何か、コミュニケーションは十分図られているかという問題だ。

 

 自閉症の主役は、当然ながら他の医師やスタッフ、また特に患者の家族などとうまくコミュニケーションが取れない。患者に、とりあえずは言ってはいけないこともいう。「あなたはガンだ」とか。ところがドラマでは患者本人は意外に反応はいいのだ。

 

 それは言葉、会話を通してというより、ショーンの真摯な態度(真摯にしか向き合えない、嘘が言えない)を患者が肌で感じるというか直感でわかるというたぐいのものだ。これは患者だけでなく、後見人みたいな院長、そして仲間先輩の医師も徐々にそうなってくるのだが。

 

 そこで問題になるのは、ショーン以外の医師やスタッフは実によくしゃべり合い、コミュニケーションが取れているように一見みえるのだが、実はなんも取れていないということなのだ。そして意外にもショーンがホントのコミュニケーションを取っていることなのである。

 

 現代は情報過多といわれるが実は真に有益な情報が得られることは少ない、といわれてからもう久しい。さらに昨今はナマの人間同士の会話でもコミュニケーションが図られていないし、メディアを通しても、コミュニケーションはブレークダウン状態だ。

 

 マスメディアだって厳正な事実より、憶測や願望、思い込みの情報ばっかりではないか。同じ電波でドラマや何やフィクションを流しているメディアが、ニュースやワイドショーで事実を伝えることは本来、本質的にできないことなのだ。それはフィクションなのだ。

 

 かつて三島由紀夫氏が新聞を「出来の悪い文学」と見抜いたように、テレビは出来の悪い映画・ドラマなのだ。真の情報、真のコミュニケーションがどんどん減少していく中で、それによる犠牲者はどんどん増えていく。世間的に被害者と呼ばれる人にも、そして加害者と呼ばれる人にも。

 

 あらゆるジャンルは人間の一生のように、生まれて成長して全盛期を迎えて衰退期を経て死ぬ。ところが実物の人間はホントに死ぬからいいのだが、ジャンルは死んでもその残骸は存続するからやっかいなのだ。

 

 このジャンルには本当にあらゆるものが含まれる。政治、企業、会社、思想、芸術、文化、音楽、民主主義、平和。音楽でいえばジャズ、ロック、その他一時代を画した流行音楽。厳密にいえばクラシックもそうだが、とりあえずは一番生きながらえているように見える。どうせなら音楽でも美術でも文学でも、長く生き残っているように見えるものを愛好した方が被害は少ない。つまり偽物に毒されることは少ないだろう。

 

 実際、目の前の生身の人間が発する言葉より、スマホの字や画像映像に注意を向けている、そんな社会になってしまった。人間同士の会話も、実は自分が言いたいことを言うだけで、相手の言うことに注意深く耳を傾けていることは少ない。みんながテレビのワイドショーのようになりつつある。真実は、CMの後で! なのだ。


怠けるを探せ!

満月

 

 今宵は満月である。久々に午後ウォーキングして、シャッフルで音楽を聴きながら歩いていたら、ちあきなおみ「紅い花」がかかった。ちょうど歩き始めて30分ぐらいで脳内快楽物質が噴出していた。歌のサビのところでブワーンと何かが爆発した。コリン・ウィルソンの言葉でいえば「至高体験」だ。久々だった。

 

 夜はNHKの歌番組で、AKB48の「365日の紙飛行機」を久々に聴いた。「明日頑張ろう」ってとこがいいよね。365日それを実践したら、永久に頑張らないことになるが、それでもいいじゃん。この歌大好き。

 

 テレビのCMなどで「夢は何ですか」とか「目標は何ですか」という問いがあるが、こういう質問が大嫌いだ。答の方も変だ。「毎日成長すること」とか。「運転免許を取ること」とか「歯科技工士!」とか。それって手段でしょ。質問はゴールを聞いてるのに。そもそも簡単にひと言では答えられない質問だ。「あなたにとって○○は」という質問と同じ。手間を省き、失礼ですらある質問だ。

 

 中学の頃、同じクラスの男子生徒が生徒会長選挙に立候補して、立会演説会で「努力という言葉が好きです。生徒会長になったら一生懸命努力することを誓います」と言った。終わってから、そいつに「それは公約でも何でもないだろ。努力するのは当たり前だろ」と突っ込んでやったら、黙り込んでしまった。先生方にはこういうヤツは受けるのだが、小生みたいないやな生徒もたまにいるからね。

 

 とか思ってたら、今NHKの歌番組で、なんと! シルヴィ・バルタンさんが歌っていた! あの効果音みたいなところを自分の声でやって、サービス満点。とにかくお元気で、おきれいで何より。うれしい。BSはともかく、地上波のテレビは質の低下にあきれ返っていたが、たまにはいいこともするね。

 

 満月の日は昼から、夜はもちろん、何かが起こる。


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