記者・キャスターに国家試験を

奥入瀬渓流

 

 2歳(になったばかり)の男の子をなめちゃいけないね。すごいねこの子。2歳でスタンドバイミーやってる。

 

 民放テレビのワイドショーを見ていて、恵氏でも宮根氏でも、なぜあんなにお天気キャスターの人をからかうみたいな態度を取るのだろうと不快に思う。あなたにはない知識をいっぱい持っている人でしょう。もっとリスペクトしなきゃ。そして途中で余計な口をはさまないで、ちゃんと言わせて。視聴者は聴きたいんだから。

 

 最近いろんな方面で日本って劣化したなあと思う。でもすぐに気がついた。そのもとになっている情報やものの見方考え方はテレビなどマスコミから流れてくるものだということ。ネットで得られる情報にもひどいのもあるが、日本も(世界も人間も)捨てたもんじゃないという情報も多い。

 

 マスコミの記者やキャスターは会社や局が喜びそうなスタンスからの報道が無意識に体に染みついているのではないか。さらには狭小な、偏った知識教養から、思い込みや憶測、感情で言っているのではないか。

 

 もう一度原点に返り事実だけを伝えてほしい。昔もそうすれば戦争回避の道もあったろうに、と思う。真に事実だけをとらえ伝えるということはものすごい知識、見識が必要だと思う。さらには想像力。それも変な「角度」じゃなくて。本を読みものを考える力のある人間でないと、本当は記者なんて仕事をする資格はない。無免許、無資格の人間が危険な機械を操作している感じがする。


ワンパターンの災害報道

 西日本の異常な豪雨災害のテレビ報道を見て、激しく疑問に思うのはNHKだ。特別警報の気象庁が言う「生命を守る行動を」ばっかり繰り返す。震災の頃の状況を思い出す。視聴者=住民がかえってタカをくくる恐れがある。

 

 今、あるいは最新の状況を映像で見せて、こんな状態にあなたのいる地区もなりそうですよ、と知らせることが重要ではないか。映像はヘリコプターからのばっかり。たまに現場の中継につなぐと、「今は小降り」とか小康状態の場所ばっかり。逆効果ではないか。

 

 その点、意外に民放の方がいい。各地元局の方が、より現場に近いところまで行って、リアルな映像を流す。地方局のスタッフは土地勘があるし、小回りがきく。NHKは戦艦大和か。

 

 いくらメディアその他で危険だと呼びかけても、安易に楽観していた住民もいないことはないだろう。でも事情ですぐ避難できない人も多いと思う。どうすればいいか。今回の雨の危険度を選挙の連呼のようにただ繰り返すのでなく、いかにして今回の雨の異常さを伝えるか。今後検証してほしい。

 

 そうした点で今朝の日テレで気象予報士の高塚哲広氏が解説していたことはわかりやすかった。いかに今回の雨が異常で未曾有なのかがわかった。さすがベテランだ。要するに伝える努力の大小だ。異常さ、怖さを伝えるのは難しい。おおよその括りで標語のようなことを言ってもだめだということだ。


華丸氏の「オフサイド」最高!負けるな信用金庫!

 NHK朝ドラ「半分、青い。」に関して、面白いこと考えちゃうことがあった。昨日の放送分の最後に、律が突然鈴愛にプロポーズした。そこでこの回は終わり。直後の「あさイチ」の冒頭、司会者の華丸大吉はどういえば困ったかのよう。そこで華丸氏がひと言、得意の川平慈英氏の物まねで「プロポーズは、オフサイドだ!」。腹を抱えて笑ってしまった。

 

 唐突なプロポーズ、半年の放送期間の中で今の時期を考えれば、鈴愛がOKするわけはない。恐らくここはNOだろう。律のプロポーズはフライングもしくはオフサイドでノーゴールしかない。さらに言えば、昨日の朝はW杯で日本がセネガルと引き分けて勝ち点を取り、決勝トーナメント進出に大きく前進したばかりなのだ。

 

 民放の朝ワイドだったら華丸氏もサッカーについて言いたくてしかたがないところ。そこでプロポーズは「オフサイド!」と出た。今日の放送では大吉氏が、北川さんが華丸に話があるそうだ、と言っていた。北川さんとは作者の北川悦吏子氏のことだ。これは面白いことになりそう!

 

 さて考えちゃうこととは何か。今日の放送では、いきなり4年後に飛び、鈴愛は漫画が売れなくて、アルバイトなんかしてる。心配した母親が鈴愛に見合い結婚を画策。師匠の秋風羽織に手紙を出し、鈴愛本人にも手紙と見合い写真を送る。そして見合いの相手とは地元の信用金庫に勤める男性だというのだ。

 

 いかにもありそうだ。最初、鈴愛の就職がいったんは決まった職場は地元の農協だった。今度は見合いの相手が「信用金庫」! でもこの設定、地方に暮らす人や、特に信用金庫に勤めている人にちょっと失礼ではないか。漫画家、恋愛、都会……その対極にあるのが信用金庫というのは。イメージとしてわかるというかすっぽりはまっているけど、でもなあ。都会の脚本家の大家が、田舎をばかにしてるという構図に誤解されないかと心配する。

 

 それにしても華丸大吉の司会は面白い。民放と違ってNHKは制約も多い。だがかえってその中での発言、切り返しが面白くなっている。で、「半分、多い。」の今日の放送分では、律のプロポーズは、やはり「オフサイド」だった。


医師の疎通

 WOWOWのドラマ「グッド・ドクター〜名医の条件」は興味深い。フレディ・ハイモア主演で、自閉症だが天才的記憶力を持つサヴァン症候群の青年医師ショーンが、膨大な医学の知識を駆使して大病院に旋風を巻き起こす、というもの。

 

 何よりフレディ・ハイモアの演技力というかキャラクターが抜群なのだが、普通はあり得ないと思われる自閉症の医者という設定が浮かび上がらせるのは、現代におけるコミュニケーションとは何か、コミュニケーションは十分図られているかという問題だ。

 

 自閉症の主役は、当然ながら他の医師やスタッフ、また特に患者の家族などとうまくコミュニケーションが取れない。患者に、とりあえずは言ってはいけないこともいう。「あなたはガンだ」とか。ところがドラマでは患者本人は意外に反応はいいのだ。

 

 それは言葉、会話を通してというより、ショーンの真摯な態度(真摯にしか向き合えない、嘘が言えない)を患者が肌で感じるというか直感でわかるというたぐいのものだ。これは患者だけでなく、後見人みたいな院長、そして仲間先輩の医師も徐々にそうなってくるのだが。

 

 そこで問題になるのは、ショーン以外の医師やスタッフは実によくしゃべり合い、コミュニケーションが取れているように一見みえるのだが、実はなんも取れていないということなのだ。そして意外にもショーンがホントのコミュニケーションを取っていることなのである。

 

 現代は情報過多といわれるが実は真に有益な情報が得られることは少ない、といわれてからもう久しい。さらに昨今はナマの人間同士の会話でもコミュニケーションが図られていないし、メディアを通しても、コミュニケーションはブレークダウン状態だ。

 

 マスメディアだって厳正な事実より、憶測や願望、思い込みの情報ばっかりではないか。同じ電波でドラマや何やフィクションを流しているメディアが、ニュースやワイドショーで事実を伝えることは本来、本質的にできないことなのだ。それはフィクションなのだ。

 

 かつて三島由紀夫氏が新聞を「出来の悪い文学」と見抜いたように、テレビは出来の悪い映画・ドラマなのだ。真の情報、真のコミュニケーションがどんどん減少していく中で、それによる犠牲者はどんどん増えていく。世間的に被害者と呼ばれる人にも、そして加害者と呼ばれる人にも。

 

 あらゆるジャンルは人間の一生のように、生まれて成長して全盛期を迎えて衰退期を経て死ぬ。ところが実物の人間はホントに死ぬからいいのだが、ジャンルは死んでもその残骸は存続するからやっかいなのだ。

 

 このジャンルには本当にあらゆるものが含まれる。政治、企業、会社、思想、芸術、文化、音楽、民主主義、平和。音楽でいえばジャズ、ロック、その他一時代を画した流行音楽。厳密にいえばクラシックもそうだが、とりあえずは一番生きながらえているように見える。どうせなら音楽でも美術でも文学でも、長く生き残っているように見えるものを愛好した方が被害は少ない。つまり偽物に毒されることは少ないだろう。

 

 実際、目の前の生身の人間が発する言葉より、スマホの字や画像映像に注意を向けている、そんな社会になってしまった。人間同士の会話も、実は自分が言いたいことを言うだけで、相手の言うことに注意深く耳を傾けていることは少ない。みんながテレビのワイドショーのようになりつつある。真実は、CMの後で! なのだ。


怠けるを探せ!

満月

 

 今宵は満月である。久々に午後ウォーキングして、シャッフルで音楽を聴きながら歩いていたら、ちあきなおみ「紅い花」がかかった。ちょうど歩き始めて30分ぐらいで脳内快楽物質が噴出していた。歌のサビのところでブワーンと何かが爆発した。コリン・ウィルソンの言葉でいえば「至高体験」だ。久々だった。

 

 夜はNHKの歌番組で、AKB48の「365日の紙飛行機」を久々に聴いた。「明日頑張ろう」ってとこがいいよね。365日それを実践したら、永久に頑張らないことになるが、それでもいいじゃん。この歌大好き。

 

 テレビのCMなどで「夢は何ですか」とか「目標は何ですか」という問いがあるが、こういう質問が大嫌いだ。答の方も変だ。「毎日成長すること」とか。「運転免許を取ること」とか「歯科技工士!」とか。それって手段でしょ。質問はゴールを聞いてるのに。そもそも簡単にひと言では答えられない質問だ。「あなたにとって○○は」という質問と同じ。手間を省き、失礼ですらある質問だ。

 

 中学の頃、同じクラスの男子生徒が生徒会長選挙に立候補して、立会演説会で「努力という言葉が好きです。生徒会長になったら一生懸命努力することを誓います」と言った。終わってから、そいつに「それは公約でも何でもないだろ。努力するのは当たり前だろ」と突っ込んでやったら、黙り込んでしまった。先生方にはこういうヤツは受けるのだが、小生みたいないやな生徒もたまにいるからね。

 

 とか思ってたら、今NHKの歌番組で、なんと! シルヴィ・バルタンさんが歌っていた! あの効果音みたいなところを自分の声でやって、サービス満点。とにかくお元気で、おきれいで何より。うれしい。BSはともかく、地上波のテレビは質の低下にあきれ返っていたが、たまにはいいこともするね。

 

 満月の日は昼から、夜はもちろん、何かが起こる。


息が粋だね

 昨夜のNHKEテレ「スイッチインタビュー」はおもしろかった。文楽の六代目竹本織太夫さんと中川家礼二さんの対談である。織太夫さんが礼二さんのファンで、ぜひにとリクエストしたとのこと。異なるジャンルの話芸の達人同士、話は示唆に富んでいた。

 

 織太夫さんが言っていた。自分のブレス(息)でやってはだめで、役の人物のブレスでないと、と。そして、人形、三味線とともに語りで観客の呼吸を支配することが目標だ、と。礼二さんに対しては「名もなき人々」の真似をするところがいい、と。

 

 いき、という言葉、大事だね。息、意気、粋、生き、行き、域、活き、閾、位記、そして逝き……か。人の一生だ。

 

 息、呼吸というのは話芸でもそうだが、書き言葉、文体でもそうだ。これのだめな、息苦しい文章がいかに多いことか。

 

 で、今朝新聞の書評欄を読んだら、呼吸以前に、内容のレベルの低さに驚いた。本もだめ、書評もだめ。時代は深刻だ。最近どこかのブログかツィッターで、新聞が大量の木材を消費しているのに、資源やエネルギー問題について、よくいうよ、と指摘していたが、その通り。もう紙の無駄遣い、やめたら?

 

 


テレビと人間

 今朝のNHK「あさイチ」に樹木希林さんが出ていたが、司会者もメッセージ・質問を寄せた視聴者も、根本的に樹木さんという人を間違って認識しているのではないかと思った。「飾らない」とか「時間や何やに制限されない」「仙人のような人」とか。ご本人が怒るのではないかとハラハラしたが、よくこらえて一つ一つにていねいに答え、話していた。マネージャーがいないから時間の管理も大変だし、とか。あさイチに出るのも大変だよね。何にもしばられない、とらわれない生き方なんてできるわけがない。そのわずらわしさと、この人ほど葛藤し戦っている人はいないのではないか。「夫が嫌いです」という視聴者の相談には、その分相手もあなたを嫌い、と答え、「欠点のない人なんていない」と言っていた。スケールが違うんだよね。NHKやメッセージを寄越した視聴者に言いたい。「ボーっと生きてんじゃねえよ!」。

 

 感情移入って何だろうと思う。「あさイチ」の前、「半分、青い」を見ていて、ヒロインより豊川悦司さん演じる秋風羽織に同情してしまう。こんな弟子というか新入社員、がまんできないだろうなあ、と。これは演技力の差で、仕方ないのかなあ、と。誰かに同情とか応援とか思い入れとか、そんなのではなく、小説でいえば文体というか、それに乗って進んでいけるかどうかの問題。ヒロインがあまりにドジで無神経に見える。もしかしてキャスティングあるいは脚本の問題か。って話してたら、カミサンに朝ドラそんなに思いつめて見なくていいんじゃないの? と言われた。それもそうか。笑って見てればいいか。でも、たとえばストーリーでも、所詮ドラマだからフィクションだからと言っても、場面設定など無茶苦茶でいいわけでなく、最低限守られるべきリアリティってのはあると思うのだが。これも大人げないか。


真如の月を眺めあかさん

 テレビの平昌五輪メダリストに関する放送もようやく一段落したようだ。テレビだけじゃないが、会見だの報告会だの、同じようなのをなんであんなに何回もやらなくちゃいけないのか。選手の皆さん、疲れてるうえに同じこと何回も聞かれて、大変だろう。中にはもう次の試合に行く人もいる。なんであんなにインタビューしなくちゃいけないの? 意地汚いというか、むさぼり、しゃぶりつくすみたいな。昔の悪い男が女にとことん貢がせるみたいな。日本のいやな部分だ。

 

 と思ったら女子レスリングに関するパワハラ問題。いやんなっちゃう。でもスカッとしたのが、コメンテーターで出た長田渚左さん。実に明快! ズバッズバッと語ってくれる。で、感心したのが、知らないことについては「知りません!」「わかりません!」とはっきり言うところ。いよっ! 男前! ほとんどのコメンテーターは知ったかぶりばっかり。大体、そんな知識ないくせに、知らないことに関してどうしてあんなにコメントできるのか。テレビ局はおそらく視聴者目線、素人目線でというだろう。そんなの求めちゃいません。プロの、玄人のコメントが聞きたい。

 

 あ〜あ、テレビって。と思っていたら、テレビで視聴できることにも捨てがたいものもあるなあと思わせてくれたのが、昨夜Eテレで見た「玉三郎 歌舞伎女方考」。すごいね、驚異だね。「京鹿子娘道成寺」。玉三郎さんの舞台を流し、その後玉三郎さんが解説するのだが、ただの解説ではない。この世の不条理への恨み、娘が女になってしまったことへの恨みを表現しているのです、とか。

 

 さらに舞は詩である、とか、演じるものが観客に入り込み、観客との間で生まれるのです、とか。「娘道成寺」の言葉、「真如の月を眺めあかさん」には参った。今一番あこがれるのはこの境地だ。それにしても、玉三郎さんのあの舞、動き、相当な体力と鍛錬、研ぎ澄まされた感覚が必要だろう。フィギュアスケートなんて足元にも及ばない。

 

 歌舞伎は、梨園とかえらそうなところが嫌いだったが、その中で松本白鴎さんなんかはその辺わかっているような気はするが、いずれにしても、相撲と同様、実際以上に高貴なものにとらえられていると思っていたが、玉三郎さんは違います。詩であり芸術であり、それ以上のものです。もし玉三郎さんが、といっても誰でもいつかは必ずこの世を去るのでしょうが、同じような存在はもういない。それを思うと悲しい。でも今ハイビジョンで見ることができるのはうれしい。Eテレ、ありがとう。でも今度必ず、歌舞伎座で実物見たい。絶対見る。


AI(実は人類)対人類、勝負あり!

 昨夜のNHK「超絶凄ワザ AI対人類3番勝負」は面白かった。3番勝負とは、デパートのベテラン販売員つまり洋服選び、タクシードライバー、俳句の3種目。洋服選び&コーディネートは、着る女性が選んだ方が勝ち。タクシーはAIの指示を受けた若い女性ドライバーと男性ベテランドライバーが、客の乗降回数を競う。俳句は俳句家3人がいい句を選ぶ。

 

 結果はほとんどで人類が勝った。タクシーでは、AIが人の多く集まる地点などをリアルタイムで分析するが、ベテランドライバーは乗せた客との会話で、どこで何のイベントがあり大勢が集まる、何時ごろ終わるなどの情報を得て、口コミを生かし、また経験から客がいそうな場所に行く。オジサンドライバーが勝ったときは、なんだかうれしかった。

 

 洋服と俳句に共通しているのは、AIの選択、作品が意外にオーソドックスであることだ。本来の勝負とともに、どっちがAIの作品かもクイズみたいにしていたが、ほとんど当たっていた。オーソドックス、無難、つまり面白くない。比べて人類がつくり人類が選んだ作品は、ちょっと奇抜なところもあるのだ。そこが、ファッションでも俳句でも魅力となっている。

 

 AIの作品には破綻、意外性がない。洋服もそうだが、俳句では意外な言葉の連なりがあるのでは、と期待したが、ない。俳句の専門家はAIを担当した人たちに、何かが足りない或いはシステムとして間違ってるのではないか、とちょっと厳しい口調で言っていた。ここは司会のジュニアではないが、夏井先生の意見も聞きたかった。

 

 人類がほとんど勝ってうれしい面もあったが、AIがもっとやってくれると期待もしていた。今回の勝負を見て、AIもやはりそのシステムなどをつくる人間の能力によるのだろうなと思った。結局、人類対人類なのだ。

 

 それと俳句のところで、システムをつくった側が何百万語だかを入れたとか豪語?していたが、人間の脳はそんなもんじゃないんでないかい? もっと複雑でないかい?


静かな実況

 平昌五輪、アイスダンスフリーの上位2組の演技はすばらしかった。まさに芸術。スケートでここまで表現できるのかと思う。フィギュアより、見てて感動する。実況、解説とも口数少なく(やっぱり感動していたからか)、静かなのもよかった。今回は音声多重で言葉なし、会場音だけってできないんだね。残念。

 

 複合見てていつも思うが、解説のO氏、なんであんなにえらそうでうるさいのか。たいしたこと言ってないし、いい間違えてるし。

 

 それに比べて(比べたくもないが)、ジャンプの原田さんの解説、いいなあ。面白いし、出場選手たちへの愛情が感じられる。原田さんと居酒屋で一杯やりながら、いろいろ今までの経験から面白い話なんか聞けたら、楽しいだろうなあ。ホントいい人だなと思う。船木さんもジャンプという競技の機微がわかってよかった。

 

 宇野昌磨選手の話で面白かったのが、待っている間、他の選手の演技を見て、得点が何点か当ててるってやつ。「暇つぶしに」って言ってた。これを聞いた荒川静香さんが「はっ!」って絶句ぎみに、素で笑ってた。あきれてたというか。

 

 カーリングって、戦略や戦術、その局面に応じた臨機応変の作戦も大事だが、根本的な思想がないとだめだと思う。方針というか姿勢というか。その表現の場が、試合なのだと。

 

 小平さんと李相花の感動的なシーンは、五輪が政治で汚されそうだったのを、スポーツの力できれいに吹っ飛ばしてくれた。開会式が終わって本格的に競技が始まる頃、二宮清純氏がテレビで「これからはスポーツの力。スポーツは微力かもしれないが無力ではない」と言っていた。芸術、文化もそうだが、政治には負けない。

 

 でも、じゃないけど、スケートのショートトラックって、政治みたい。やったら性格悪くなりそう。あれを人生の縮図とは思いたくない。誰もそう言ったわけじゃないけど。昔、ローラースケートでガンガン当たりぶっ飛ばすのあった。あれの方がまだマシ。

 

 


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