伊東きよ子をもう一度

 なんとも不思議な歌を聴いた。独特な女声、歌い回し、待てよこれは伊東きよ子さんではないか、「花と小父さん」の。聴いた歌は調べたら「りんごの花咲く頃」というのだった。作詞・橋本淳、作曲・すぎやまこういち、という。ああ、この伊東きよ子ワールド……!

 

 「花と小父さん」は1967年発表のヒット曲。浜口蔵之助の作品だ。もとは植木等さんのために書かれた曲だという。伊東きよ子さんの歌を調べてきると、「愛のかけら」という自身の作詞作曲のもある。驚いたのは寺山修司作詞、すぎやまこういち作曲、クニ河内編曲の「涙のびんづめ」という歌があったことだ。

 

 ----あたしの涙を小さなびんに入れて 海に流してやりましょう あなたのくれた 涙のびんづめ

 女の子ならば誰でもいちどは流す キラキラポツンの恋のしたたり 海は大きな みんなの涙

 あたしの涙を小さなびんに入れて 海に流してやりましょう  大人になったら 帰っておいで----

 

 てな具合。こういう流れ、ジャンルというか、寺山氏にありますね。1960年代後半は、あらためて豊饒な時代だったと思う。最近、GS=グループサウンズというものを見直している。何年かたってあっという間に消えていったが、ある時期、果たした役割は大きかったのではないか。伊東きよ子さんもGSやフォークの名曲をカバーしている。1972年にはポール・サイモンの曲をカバー、英語で歌ってるアルバムを出している。

 

 伊東きよ子さんの経歴を調べてまたびっくり。宝塚音楽学校に入学し、ミュージカルのオーディションに合格してダンサーとして出演するが、アキレス腱を痛めて踊りを断念、宝塚を退学。流行り始めたフォークソングに傾倒し歌手へ転身、1965年の第1回フォークソングフェスティバルでデビュー。翌年には米国の人気グループ、ニュー・クリスティー・ミンストレルズのオーディションに合格して正式メンバーになった! 翌1967年帰国し「花と小父さん」でデビューと相成った。1970年代前半まで活動という。

 

 シンガーソングライターもいいけど、あの時代、GSやフォークではプロの作詞、作曲の歌も多かった。そして編曲。まさしくプロの時代だった。その後はアマチュアの時代。「戦争を知らない子供たち」の出だしの「せんそう」のアクセントを、永六輔氏が「それじゃ”浅草寺”だろ!」と批判していた。曲も、日本語も本物だったあの時代。年寄りが! といわれるのかな。

 

 


アズナブール氏を偲ぶ

 シャルル・アズナブールさんが死んだ。94歳というから長生きではある。でもとても悲しい。あの歌声、それからにじみ出る人生の悲哀、愛の歓び、品格。本物の人間だと思う。歌手とか俳優とかそういうのを超えて。

 

 「イザベル」「ラ・ボエーム」「帰り来ぬ青春」「忘れじの面影(She)」。エディット・ピアフに認められて世に出たという。シャンソンの歌唱力は特別なものだ。シルヴィー・ヴァルタンのヒット曲「アイドルを探せ」の歌詞も彼の作品だという。

 

 ところでアズナブールさんの曲で「Who(will take my place)」=仏語では「Qui」というのがある。これ、とても美しく悲しい。この曲を知ったのは実はカバーからで、ウォーカー・ブラザーズ解散後にスコット・ウォーカーが歌っている。ソロになって間もなくのカバー・アルバム「スコット・ウォーカーBBC.TVショー」に入っていた。英詩だが、こんなフレーズがある。

 

 Why do the gods above me play this cynical game

 

 Life isn't what it seems, tickle as the wind, fragile as a dream

 

 When I end my years, who will ease your pain 

 

 心変わりした恋人に、狂おしいほどの愛を叫び、嘆く。ホント、いつ聴いても落涙ものです。

 

 スコット・ウォーカーはフランスのジャック・ブレルに心酔してカバーも多い。例えば「行かないで(If you go away)」=仏語では「Ne me quittes pas」。これはダスティ・スプリングフィールドをはじめ多くの歌手がカバーした名曲。これもいいです。

 

 でも、アズナブールの「Qui」はもっと情熱的で、その世界を如実に表している。聴きながら、シャルルを偲びます。

 

   When you end your years, who will ease my pain……

 

 

 

 


ここそこどこでも

 ジョン・レノンが唯一ほめたポール・マッカートニーの曲というのを最近ポールが語ったという。

 

 それは「Here, there and everywhere」だって。わかる気がするなあ。とてもいい曲だもの。この曲が収められたアルバムは「リボルバー」で、このアルバムはビートルズにとってとても重要だと思う。それまでの音楽のエッセンスを凝縮させながら、その後の、ビートルズのみならず音楽全体にとって重要な、新しいサウンドを実験的に試みているからだ。「She said, she said」も好きだが、「トゥモロウ・ネバー・ノウズ」がどれだけ未来的で、その後のアーティストに影響を与えたか! 「リボルバー」の中では「For no one」も好き。

 

 ところでポールはジョンとの関係について確かに競い合っていたという。で、その象徴的な例としてジョンの「ストロベリー・フィールズ・フォエバー」とポールの「ペニー・レーン」がシングルダブルA面になったのを挙げていた。なるほど、いかにもだ。しかもビートルズにとって一番いい時代、時期だったのではないか。いろんな意味で。今週は仕事でいろんなやり取りがあって、コミュニケーションの難しさを感じ、ちと疲れたが、上記の曲でも聞いて土日を過ごそうかな。


「わが祖国」は「高い城」から始まるのだ

 この前の日曜日夜、NHKEテレの「クラシック音楽館」を見たら、N響の伝説の名演奏というのをやっていて、ヴァーツラフ・ノイマン指揮のアーカイブが出てきたので録画スイッチをONにした。曲はスメタナ作曲の交響詩「わが祖国」というので、これは必見必聴だと思ったのだ。この曲はやっぱノイマンでしょ。1989年のプラハのビロード革命の時、ノイマンは連日スメタナホールでこの曲を演奏して、活動家を応援したという。二重鍵『』つきの「わが祖国」なのだ。

 

 演奏が始まったら、いきなり第2曲「モルダウ」からだった。いいんだが、ちとがっかり。「モルダウ」は好きな曲だが、第1曲「高い城」がとても好きで、あのハープのソロから始まる曲が流れだすとそれだけで涙が出そう。この曲が流れて、その後に「モルダウ」が演奏されるから「わが祖国」なのだ。だから「わが祖国」はいいのだ。モーツァルトのピアノコンツェルトだってそうでしょ。長調でも短調でも勢いのある第1楽章があって、で、第2楽章でしょ。「こころ旅」案内役の駒村多恵さんの口調でいえば、「高い城から、聴きたあーーーーーい!」。でも構成上だけでなく「高い城」は単独でもいい。まさに祖国への熱情、愛、その秘められた電圧を感じる。こういう音楽を持てたチェコの人たちがうらやましい。ドヴォルザークもいいけどね。

 

 今日の午後1時台、車を走らせ、NHKFMの「歌謡スクランブル」をかけたら今日は時代劇主題歌特集だった。「白馬童子」「すきま風」「赤穂浪士」「銭形平次」などに続いて「子連れ狼」が流れた。橋幸夫さんと子供たちのコーラスの曲である。1番は有名な「シトシトピッチャン、シトピッチャン」。で、一部ファンで昔からもてはやされていたのが3番、冬の巻で「パキパキピキンコ、パキピンコ」と歌う。これ、霜を踏んで霜が折れる音だそう。なぜか数日前、このフレーズが頭に浮かんでいた。それが今日現実に! こんな暑い日が続くと、霜の折れるイメージは気持ちいい! あ、そういえば「必殺仕事人」の「荒野の果てに」「旅愁」も入って、あらためてある時代を思い出した。カミサンが「荒野の果てに」をフルコーラスで歌えていたのには少しびっくり。


スペクターサウンドの機微

 フィル・スペクターとはつくづくすごい人だなあと思った。BSTBS「SONG TO SUL」の再放送でロネッツの1963年のヒット曲「 ビー・マイ・ベイビー 」を取り上げていた。でもロネッツの話より、プロデューサーのフィル・スペクターの話になっちゃうのだ、存在が大きくて。

 

 スペクターサウンドは「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれた。録音で複数のテイクを重ねていくオーバーダビングを何度も繰り返す。重厚なサウンドは当時としては斬新で多くのミュージシャンに影響を与えた。スペクターは偏執的なまでに理想とするサウンド作りにこだわったという。

 「ビー・マイ・ベイビー」をカバーしたのはベイ・シティ・ローラーズ 、リンダ・ロンシュタット、 ジョン・レノン、それに我が国の弘田三枝子氏などなど多数。ドラムの出だしなど、当時としては新しかったとあらためて思う。

 

 曲・アルバムをプロデュースしたり影響を与えたのはキース・リチャーズ 、ブライアン・ウィルソン、ライチャーズ・ブラザーズ、 ビートルズ、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングティーン、大滝詠一氏などなど実に多く、いずれも大物。ちなみに大滝氏が手掛けた松田聖子氏の「風立ちぬ」は、もろスペクターサウンドだ。

 

 ビートルズとのからみでは、ポール・マッカートニーとのエピソードが興味深い。「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」にオーケストラやコーラスをかぶせたスペクターのプロデュースを、ポールは「オリジナル・コンセプトを無視した過剰プロデュース」と強い不満を持ち、憤慨したというのだ。でもオーケストラ、コーラス付きのあの曲が好きです。

 

 ジョン・レノンとジョージ・ハリスンはソロ・アルバムのプロデュースをスペクターにしてもらっている。私は特にジョージ・ハリスンの「オール・シングス・マスト・パス」が大好きなのだが、スペクターサウンドなくしてはあんな名作にはならなかったのでは、と思う。決してジョージの力量をおとしめているのではなく。あのスペクターサウンドの響き、余韻の中には、人生の、世界の機微が含まれている、確実に。

 
 ご承知の人も多いと思うが、フィル・スペクターは2003年2月、自宅で女優ラナ・クラークソンを射殺した容疑で逮捕され、今も収監中だ。何年か後に出所の予定と聞いたが、どうなるのか。

 

 ロネッツの他のヒット曲の紹介を聞いているうちに、耳になじみの曲がテレビから流れてきた。「WALKIN'  IN  THE  RAIN」だ。ウォーカー・ブラザーズがカバーしてヒットした。そういえばウォーカー・ブラザーズのサウンドもフィル・スペクターに似ている。ドラムやストリングス、エコーの使い方が。いや実にスペクターの影響は大きい。20世紀の音楽の功労者だ。

 


ピョートルのモーツァルト最高!

 

 最近頑張ったので自分へのご褒美に久しぶりにCDを買った。ピョートル・アンデルシェフスキ(ピアノ&指揮)、いわゆる弾き振りのモーツァルト、ピアノ協奏曲25番&27番である。特にモーツァルト最期の年の作品、最後のピアノコンツェルトの27番が好きで、ピョートルがどう解釈して演奏しているのか、興味津々だった。

 

 真嶋雄大氏によるライナーノートによれば、アンデルシェフスキは「コンツェルトに関しては、モーツァルトに並ぶものはないと位置付けており、終局的に自身が回帰するところはモーツァルトのピアノ協奏曲と確信している」という。そしてこのように演奏を表現している。

 

 ----鮮やかなピア二ズムを展開している。清冽なタッチからは薫り高い気品が立ち上がり、潤沢な音楽性と厳格なコントロールはモーツァルトの核心に迫る。後期作品に見られる雄渾さと壮大なスケールを丁寧に読み解き、柔和な緊迫感と、端正かつ内的な強靭さを携えた風格は、歩んでいく道程に生命の灯をひとつひとつ燈すようでもある。----

 

 まさにこの通りだと思う。正確で美しい言葉、文章で、アンデルシェフスキのモーツァルトを言い尽くしていると思う。

 

 日本の誰だか忘れたがピアニストが「モーツァルトはシンプルで難しい」と言っていた。当たり前だ。シンプルこそ難しい。だがモーツァルトはただのシンプルではないのだ。アンデルシェフスキは、わかっている。そう思った。


木下忠司氏をもっとリスペクト

 ちょっと前だが連休の最初の頃、4月30日に作曲家の木下忠司さんが102歳で亡くなった。新聞の死亡記事で知ったが、「トラック野郎」の音楽もつくっていたのか。「水戸黄門」は知ってたけど。

 

 さっき「脳ベルSHOW」で、新聞のラテ欄のタイトルを隠し、そのタイトルを当てる問題があった。二谷英明氏ら出演者の名前ですぐわかった。「特捜最前線」だ。あの音楽も木下忠司さんの作品だった。オープニングのテーマミュージック、そして最後の「白い十字架」。チリアーノの哀切なヴォーカルがよみがえる。

 

 さらに思い出す。木下氏の作品でカンツォーネの女王といわれたミルバが日本語で歌った曲があった。とてもいい曲だった。タイトルを今すぐ思い出せない。調べるが、誰か知ってる人いませんか。

 

 それにしても、マスコミの扱い、小さく、少なくすぎないか。もっともっと取り上げられていい作曲家だと思う。氏は音楽というより映画音楽が好きなんだと言っていた記憶がある。あっちでいえば、エンニオ・モリコーネかな。

 

 あっ、ミルバが歌ったのは「二人の星」だったか、「夜空の星」だったか。絶対思い出してやる、調べてやる。


ボストンを LOOK BACK

 昨夜、見るともなく見ていた「SOUL TO SONG」で、再放送だろうが、ボストン「宇宙の彼方へ」をやっていた。ボストンのCDは持っていないが音源はパソコンに仕込んであって、時々車でかけて聴いている。昨日の放送で興味深いことを聞き、なるほどと思った。

 

 それは、アルバムの制作はトム・ショルツが一人で楽器を弾き、ボーカルだけブラッド・デルプに歌わせ、多重録音でトムが一人でミキシングしてつくっていたというのだ。またギターの特徴的な音はトムがオリジナルのエフェクターを開発工夫してつくりあげたというのだ。その後、エフェクターを正式にどこかのメーカーで製造したという。

 

 トムはMITの秀才だった。当時ボストンの情報として、ハーヴァードだかMITだかの学生出身でインテリというのは聞いていた。卒業後は一時、ポラロイドに就職したらしい。

 

 そしてこの点。トムは多重録音に普通は必要なリズムボックスを一切使わず、テンポを手拍子で測っていたというのだ。そのことでかえって迫力が生まれ、一人の演奏なのに、複数人のバンドの演奏のように迫力が生まれたというのだ。

 

 これって意外に重要なヒントを与えてくれていないでしょうか。微妙なズレ、差異が「ナマ」的なサウンドを生む。デジタルに抗したアナログの持つ力。 そういえばマントヴァーニー・オーケストラはストリングスの演奏を何人かずつ、少しずつずらすことでエコーみたいな効果を出していた。

 

 ボストン(というかトム)のギターサウンドの特徴も、アコースティックがそのまま伸びるような音であることだ。ここで思い出すのは1960年代に日本でも人気のあったスウェーデンのバンド、スプートニクスだ。歪みのない、きれいな音のギターが中心だった。あのギターを弾いていたリーダーも確か工科系の大学出身だった。当時、恐らく初めてのワイヤレスのアンプを使用し、客席に下りて来ながら演奏がステージのアンプから聞こえてきた時は、おったまげた。

 

 トムは小さい時からクラシックが好きで聞いて育ったという。本人が「クラシックとロックの融合」なんてことを放送で言っていた。クラシックとロックの融合といえば初期のクリムゾン、イエス、ELPあたりが本家だろうが、クラシックにもいろいろあるから、ややポップ寄りということになれば、ウォーカーブラザース、ムーディブルースなども入るだろう。ボストンはどうか。ジャンルではハード、プログレ系でややポップ寄りということになるらしい。ま、ロックでいいか。

 

 トムは「記憶を純粋に全体的によみがえらせるのは音楽なのだ」といった意味のことを言っていた。やはり70年代のロックはいいなあ。「スモーキン」「アマンダ」なんかをまた聴いちゃった。

 

 ちなみにブラッドは自殺しちゃったらしい。あのハイトーンのヴォーカル、よかった。遅いけど、合掌。

 

 


貝殻減らして

 車で音楽をシャッフルでかけてたら、弘田三枝子さんの初期のヒット曲「渚のうわさ」が流れた。橋本淳作詞、筒美京平作曲というからプロの大御所の作品である。確か出たのは60年代、若い女の子のせつない恋心を、弘田さんが時に繊細に、時に持ち前のパンチ力も生かしながら歌い上げる。いい歌だな、と思う。

 

 終わった直後、カミさんが「えっ!?」「どういう意味?」と声を上げた。「何?」「貝殻へらしてって、どういうこと?」一瞬置いて、小生ふき出してしまった。問題の歌詞は後半のこの部分である。正しくは

 

 ----あなたの いない渚は 青い星屑だけが 貝殻 照らして 濡れていた----

 

 いい歌詞でしょ、ここがポイントでしょ、その「照らして」を「減らして」と聞き違えるなんて。三宅裕司さんの奥さんみたい。すぐに訂正してから、空想がふくらんだ。「貝殻を減らすって大変だろうな。石かなんかにこすって、一つなくなるまでどれぐらい時間がかかるだろう。大きさにもよる、貝の種類にもよるけど」と、どうでもいいバカな会話。

 

 仏教の億劫という言葉が浮かぶ。天女の衣ですり減る岩山。渚に無数にある貝殻、全世界のそれをこすって減らす所要時間。あるいは「一つ積んでは父のため、一つ積んでは母のため」。さざれ石じゃないけれど、気の遠くなるほど長い、無限の時間には石、岩とか固いものがふさわしいみたい。するとカミさんが言った。

 

 「別に一つずつ石にこすらなくてもいいんじゃない? ショベルカーかなんかで大量に運んで処分しちゃえば?」

 

 ショック! こっちはなんとスケールの小さいことを考えるのだろう。そうか、「貝殻を減らす」にはブルトーザーですくってダンプカーで運べばいいんだ。っていうかそもそもあんたの聞き違えだろうが、きっかけは。ことほど左様に、女性は大胆、男は小さい。って小生だけの話を敷衍してはいけないか。

 

 神経をすり減らすようなことも少なくないけど、ショベルカーで運んじゃえばいいんだ。処分場はどこ?


ジョン・ウェットン追悼

ジョン・ウェットン

 

 今日なぜかクリムゾンを聴きたくなって、クルマでかけていたのだが、帰ってパソコン開いたら訃報が載っていた。ジョン・ウェットン、67歳。ああ、この偶然。

 

 ----英プログレッシブ・ロックバンド「キング・クリムゾン」や「エイジア」などで活躍したロックミュージシャンのジョン・ウェットン氏が1月31日、死去した。67歳だった。ジョン・ウェットン氏の公式ホームページ(HP)などで発表された。公式HPによると、長い間、結腸がんで闘病を続けていたという。1月11日には、医療チームの助言を得て新たな治療を行うため、春からの北米ツアーを欠席すると発表していた。

 1949年、英中部のダービー生まれ。70年代前半に、キング・クリムゾンに加入。ベースやボーカルを担当し、アルバム「太陽と戦慄」「レッド」などの代表作を残した。

 82年には、スティーヴ・ハウ、ジェフ・ダウンズ、カール・パーマーの各氏とエイジアを結成。ファーストアルバム「詠時感〜時へのロマン〜」が全世界で大ヒットし、その後も話題作を発表して、エイジアを世界の“スーパーグループ”に押し上げた。公式HPによると、エイジアの活動がウェットン氏のキャリアの中で「最大の商業的成功を収めた」としている。

 その後は、ソロでも活動。来日公演では日本語で来場者に語りかけるなど日本でも多くのファンを獲得した。

 ウェットン氏の訃報に接し、カール・パーマー氏と、ジェフ・ダウンズ氏はエイジアの公式HPにコメントを掲載。「世界はまた1人音楽の巨人を失った」(カール・パーマー)「彼の声は、神から与えられたものだった。彼は文字通り“特別”だった」(ジェフ・ダウンズ)などと、盟友の死を悼んだ。----

 

 あんな男性的な魅力的なヴォイス、ほかにいない。クリムゾン、エイジアといったプログレのヴォーカルとしては最高だった。思い切りロックで、ブラックで。それでいて抒情的な歌声は苦く、切なく。男の哀愁というか。もちろんベースもうまかった。

 

 どの曲もすばらしいが、今思い出されるのはアルバム「レッド」の中の「フォーリン・エンジェル」だ。堕天使。

 

 Westside skyline crying , fallin' engel dying……

 

 西方浄土が泣いているのだ、ジョンの死を悼んで。


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