唯一者が風なくして呼吸

 中村元著「インド思想史」の最初の方に「リグ・ヴェーダ」についての記述があり、興味深い言葉があった。

 

 ----「リグ・ヴェーダ」に現れる神々の個性が不明瞭であり、かれらの間の区別が判然としていないので、すでに「リグ・ヴェーダ」の中に、諸々の神々は一つの神の異名にほかならないという思想が表明されている。

 

 ----古来の確固たる神々の信仰が動揺し始め、旧来の伝統的観念はもはや自明のものではなくなり、いまや新しい思索が始められた。「われらの祀るべき神は誰ぞ?」。そうして神々をも超越したより根底的な世界原理を探求するに至った。

 

 ----宇宙創造に関する当時の見解は、極めて大まかに分けるならば、大体二種に区分することができる。一つは宇宙創造を建造に比し、他は出生になぞらえるのである。

 

 そして、ここだ。この文言、表現にはなぜかぐっと、ざわっとくるものがある。

 

 ----「有に非ず、無に非ざるもの」を説く讃歌においては汎神論的思索は絶頂に達した。それによると、太初には無もなく有もなく、天も空もなく、死も不死もなく、夜と昼との区別もなく、暗黒に蔽われていた。「かの唯一者」だけが風なくして呼吸していた。宇宙万有は光明なき水波であった。その唯一者に意欲(kama)が現れた。それを原動力として万有を生起せしめた。神々も宇宙の展開より後に現れ始めたという。

 ことば(Vac)を最高原理と解する思想も現れている。ことばは太初において原水から生じたものであるが、あらゆる神々の保持者であり、万有を支配し、万有に偏在している。「自分が欲する者をバラモン・仙人・賢者とも為す」という。ことばの本性は経験論的知覚の領域を超越していて、「見つつある多くの人々も、実はことばを見ざりき。聞きつつある多くの人々も、これを聞かず。」----

 

 ロックでいえばYESやサンタナのジャケットにあったような、YESであれば「海洋地形学の物語」を思わせる。

 

 無もなく有もなかったのだ。そこに、唯一者の「意欲」が現れた。それは何によるものなのか。ひょっとすると退屈しのぎ、暇つぶしだったのかもしれない。どこかの女性教祖なら、愛、というのかもしれない。いずれにしろ、ここが二重の意味で出発点なのだと思う。そしてゴールか。


カナタイプの文学

 昔、ある雑誌に大岡信氏が「ある『変な考え』について」という文章を書いていた。シュールレアリスムの詩人、瀧口修造氏は晩年、ジャーナリズムに距離を置き、知人たちに私的なメッセージ、自家製のオリーブの瓶詰などを送っていた。それは「流通価値のないものを、ある内的要請だけによって流通させる」という、瀧口氏いうところの「変な考え」によるものだった。大岡氏はこう書いている。

 

 ----たしかにこれは「変な考え」である。しかし、ではその対極をなす「流通価値のあるもの」の世界が変なものではないかといえば、これも恐らく、性質は全く別だが、変なものである点では変りがない。数年前には不動盤石のごとく思われていたものが、ある日気がついてみれば、実に頼りなく、やつれ果てた価値下落のさまを見せて落日を浴びているという例は、実業の世界はもちろん、虚業の世界でもーーたとえば文学の世界をこれに含むことができるとすれば、文学界においてもーー決して少なくない。----

 

 例として大岡氏は「カナタイプ」のことを挙げる。その昔、先進的といわれる企業が社内文書、ダイレクトメールなどをカナタイプでつくった。漢字は非能率的、非効率的という理由からだった。この文章を大岡氏が書いた時点ではワードプロセッサーが急激に普及していた。

 

 ----ここまで機械化が進んでくると、カナタイプ時代は一つの過渡期にすぎず、現在の状態もまた新たな次の段階への過渡期にすぎないことがはっきり感じられる。漢字よりカナの方が能率社会に適合しているという考え方そのものが、今では色褪せたものになってしまった。つまり、流通価値を失ってしまった。----

 

 大岡氏はそのかわり「子供たちは漢字の読みはできても書きはできなくなっていくだろう、書きの代わりに、打ちに長じた作家たちが相次いで誕生する日もそんなに遠いことではあるまい」という。「その結果、ある人独自な思考の内容やスタイルの価値が、かえってますます純粋に問われるようになってくるだろう」とも。文章の最後は次のように締めくくられている。

 

 ----瀧口修造がみずから「変な考え」と自覚していた、「流通価値のないものを、ある内的要請だけによって流通させるという不逞な考え」も、そういう状況が到来した時、まったく別の文脈において、「変な考え」としての深い意味を持ってくるような気がする。少なくとも次のことは確かだろう。

 今日の流通価値が明日の流通価値でもあることを保証するものは、今日の流通価値の中にはない。また明日の流通価値を生み出す者たちは、明日必ず出現するが、彼らが今日どこにいるのかを言うことは、至難の業である。----

 

 鋭い洞察であり、なるほどと共感する。カナタイプも企業だけでなく銀行、団体その他かなり普及しただろうが、安易な「効率」「能率」は歴史の一瞬に消し飛んでしまった。ワードプロセッサーという言葉すら今は死語だ。

 

 ただし大岡氏の予測で「ある人独自な思考の内容やスタイルの価値が、かえってますます純粋に問われるようになってくるだろう」の部分は、どうかな?と思う。楽観的、希望的観測じゃないだろうか。大岡氏のいうような状況である「べき」だし、そうなるはずだが、現状はどうか。今の文学の劣化、パワーのなさは。カナタイプと同じ運命をたどらないと誰がいえるだろう。


もぐらたたきの時代

樹雪

 

 1994年(平成6年)11月20 日に82歳で亡くなった福田恒存氏を追悼し、月刊「文藝春秋」95年新年特別号は福田氏の未公開の論考(講演録)を掲載している。講演は1970年5月に行われたものでタイトルは「塹壕の時代」。現代現在の状況にあまりに通じているので驚いた。「民主主義」とはそんなにいいものじゃないという言葉から氏の話が始まる。

 

 先の戦争は政府、軍部が押しつけ国民が犠牲になったという戦後の教育に福田氏は否を唱え、氏自らが戦時中一般国民から受けた圧力について語る。在郷軍人らによって訓練が行われ、町の人たちがいじめる。国民が戦争に熱狂していたというのだ。

 

 明治以来の、御上にすべてお任せの体質が戦争を招いたと氏は断言する。そして進駐軍を解放軍と呼び、マッカーサーにひれ伏す姿に氏は嫌悪を感じる。戦争も敗戦も占領も、強制的押しつけでなく、日本人が「民主的」に選び取ったものだとする。そして経済が成長してくると、日本はえらいんだとなることに強い疑問、反感を抱く。

 

 保守反動といわれた福田氏が、この頃(70年)になると「敵がいなくなった」という。学生運動も下火になった時代だ。「右も左も保守も革新もなるたけ目立たなくなって、ちょうど、塹壕時代に入ってしまった」という。

 

 ----困るというのは、問題の所在というものがなくなってきた。人間の考え方が明確でなくなってきた。個人個人の考え方が明確でなくなってきた。元来、私は日本人というものはそうであったと思いますが、この戦後のゴタゴタの二十年間がすぎて、ようやくそういうものがはっきりしてきた。そういう日本人の思考形態あるいは個人主義の未熟というものが明確になってきた。それが民主主義ということばによって実は補強され支えられている。

 

 ----主権在民といっても……代議員を選んでその代議員が議会で多数決で決めて政策を推進するので、自分にとって都合の悪いことも行われます。……民主主義は誰をも満足させない制度なのです。……ただ長い時間をかけてみた場合、個人の一生をとってみた場合に、不満と満足とが差し引きプラスマイナスゼロになるくらいに利害が配分されるのが一番望ましいのではないかというので、民主主義を採用しただけなのです。決してこれは理想的なことが行われる制度ではない。ところが戦後、民主主義が理想的のように錯覚を抱きましたけれども、今ではこの錯覚が破れつつあって、まあこんなもんだというふうにみんな思うようになってきたと思います。----

 

 最後のところはちょっと疑問。ま、何周か巡り巡ってかもしれないが、日本では今も民主主義を理想とする考え方がある。あっ、口だけで腹の中は違うのか。そういうことか。で、今の米国や世界の状況は確かに錯覚が破れつつある、その表れだ。

 

 この後福田氏は文化について言う。T・S・エリオットの「文化とは生き方」という言葉を紹介し、その程度に使うのが一番いいという。

 

 ----唐招提寺の建物だとか、宗達の絵だとか、そういうものが文化だと思っている人がいます。片や文化七輪とか文化クリーニング、文化住宅だとかのように便利なもの、西洋から来た便利なもの、あるいは西洋化した便利なもの、というように文化を考えている。つまり日本の過去の古典の中の、伝統の最高級の芸術作品か、あるいは近代化以降のハイカラなものを文化と名付けています。文化人などというのは後者の方ですね。

 本当の文化とはそのいずれでもない。生き方のスタイル、それが文化なのです。そういうものを戦後の日本は全く無視している。無視しただけならまだいいのですが、むしろ破壊したといっていいと思います。----

 

 最後に福田氏は「そういうものがなくなってきた上に個人がぐうたらになってきたということが重なってくると、日本民族というのは、国民としても民族としても滅びへの一途をたどるだけではないかというふうに思います」という。講演が行われた半年ぐらい後に、三島由紀夫氏は割腹し、介錯を受けて首をゴロンと床に落としたわけだが。

 

 これは新聞やテレビに多いのだが、古典的な文化財などには批判的な目は向けない。権威に盲従といっていい。ここにどこか胡散臭さを感じる。逃げというか。一方で欧米や世界の新しいもの、日本でも最新の風俗(変な意味でなく)は持ち上げる。軽薄なものであっても。それがわからないのは古い、ダサいというふうに。「洒落よ、洒落」の世界。それがイジメにも通じているのに。

 

 古典と最新の中間がない文化。日本だけではないと思うが、日本はその最先端を走っている。中間の文化、それは何か、どこにあるのか。福田氏、エリオット氏は「生き方」というが、どうなのか。

 

 あらためて考えると、保守反動といわれた福田氏の思想の何と革新的なことか。古い雑誌をとっておいてよかった。


言葉がつくる視覚

雪紅橋

 

 「諸君」という雑誌の1989年1月号にクロード・レヴィ=ストロース氏と江藤淳氏の対談が載っている。タイトルは「神話と歴史のあいだ」。その中で、視覚芸術と文学における日本と西洋の違いについて語っているところが興味深かった。

 

 江藤氏は芸術空間の遠近法と非遠近法、左右対称と非左右対称についてなどパリで講演して、その内容はレヴィ=ストロース氏も把握していた。浮世絵など非遠近法、非左右対称が日本だ。

 

 浮世絵が西洋のゴッホや印象派の画家に影響を与えたことは知られているが、レヴィ=ストロース氏は「誤解がある」という。

 

 ----印象派の画家たちをまずとらえたのは日本画のエキゾチックな部分でした。都会的な場面の構図と軽やかな色彩、光線の用い方、というような要素に興味を示したのです。ところがそのために素描の絵画に対する優位という根本的な事実がまったく見逃されてしまいました。----

 

 そして普通いわれる時期より早く、フランスの画家アングルは1820年代には日本の絵画を知り、「デッサンこそ一番大切で、彩色は二の次」と考えていたという。また日本の画家にとって絵を描くという行為は何日も何カ月も何年もの「何を描くべきかという深い思索のあとに来るもの」といい、印象派の画家たちは「日本の画家はすばやく自然に描く」と誤解していたという。

 

 その前段でレヴィ=ストロース氏は文学において、ヨーロッパ言語と日本語の決定的な異質さがあり、翻訳の難しさについて指摘していた。

 

 ----私の考えでは、日本語の構造に関する西欧人の誤解と、日本絵画の真に目指しているものについての西欧人の誤解は、ともに同じ誤解なのです。----

 

 続く二人の会話----

 

 レヴィ=ストロース 私は、日本の画家たちは大変に理知的だと思います。

 

 江藤 おっしゃる通りです。非常に理知的な一面があります。しかしその反面、一見まことに飾り気がなく、のびのびとしているかのように見えもします。

 

 レヴィ=ストロース ああ、だからこそ印象派の画家たちは思い違いをしたのですよ。外見は実体とは違いますからね。----

 

 この後、江藤氏はその十数年前、英国のパブで英国の文化人類学者と交わした会話を披露する。当時江藤氏が考えていた問題は、視覚芸術と文学との相互交渉の問題、東西文化の相互作用の問題だったという。

 

 ----私は、視覚芸術のほうが文学作品よりもずっとスムーズに異文化間に意思を通じあえるという仮説を提案しました。私は当時、このことはほとんど自明の理だと思っておりました。ところが、そのイギリス人学者から反対されてしまったのです。「とんでもない。視覚芸術だって文学作品と同じ程度に誤解されやすい」と。----

 

 江藤氏はレヴィ=ストロース氏の話を聞いて、その夜のことを思い出したという。

 さてそこで、この後江藤氏が話したことが、気になっているのだ。江藤氏は「視覚芸術にも、それ独自の言語がある」という。

 

 ----しかし、文学作品の場合は、何よりもまず第一に、言語によるコミュニケーションによって律せられています。……先生(レヴィ=ストロース氏)が著作の中で一貫して展開なさっている基本的論点の一つは、つまり人間による表現の言語的分野と、非言語的分野の間の基本的関係という点だと思います。しかし非言語的表現に直面した場合といえども、そこから感じ取ったことをあくまで言語的道具を通じて解釈しなければならない以上、やはり人間は言語によって律せられているということになるのだろうと思います。----

 

 う〜ん。江藤氏は非言語的表現の「解釈」について、やはり言語、ということを言ってるが、すでにある非言語的表現じゃなく、表現の進行形つまりつくってる最中もしくはその前段の認識ではどうなのか。

 

 ここで、想像した。普段何気なく見ている風景。それも言語が見方、見え方に影響しているのか。日本語が、あるいは地方の人なら方言が。視覚芸術というより視覚にすでに言語が入り込んでいるのか。恐らく入り込んでいるのだと思う。

 

 そして文学と視覚芸術の相互交渉の問題。突き詰めれば言葉と視覚の問題。ここに今一番興味があります。現代の文化の、何か秘密を解く鍵がありそうな気がします。今、空前絶後の大量写真消費社会を迎えているが、その意味あるいは無意味は何、何故なのか。インスタグラムとはよくいったもんだ。


ゲゲゲの至福状態

雪の朝

 

 新聞に「水木しげる こころの旅」という連載があって、今まであまり気に留めなかったのだが、最終回のを読んだ。サブタイトルが「人生に満足するために」で、見出しは「いまは『至福の状態』」。

 

 この記事はノンフィクション作家の大泉実成氏が書いているのだが、冒頭で祖霊信仰と水木さんについて紹介している。水木さんが育った境港の沖にある「隠岐の島」の「武良祭り」。水木さんの本名も武良で、この祭りを自分の祖先の祭りと考えていたようだという。水木さんの言葉。「祭りでは、祖先と話しているような気分になる。祖先が、幸せになる感じです」。

 

 で、大泉氏はこう書いている。

 

 ----水木は、80代から「神のステージに入った」と言っていました。それを聞いた僕は、初めは水木が思い上がっているのかと考えました。

 しかしじっくり考え直してみると、水木が自分もまた、生きながら祖霊化しているように感じているのではないかと気付いたのです。だからこそ「祖先と話して」みて、祖先の「幸せ」をともに感じることができるのです。----

 

 続いて水木さんの言葉を紹介している。

 

 ----大げさにいうと、いまは「至福の状態」にある。至福といっても、若者みたいにゲラゲラ笑うというわけではない。じっとして「満足感」にひたっているわけだ。……あとは「死の世界」にまねかれるわけだが、日々、恐怖感が去り、平気で待てるようになる----

 

 また遺作となった漫画「わたしの日々」にある言葉。

 

 ----人生になんらかの絶対的な価値を求めるのは、心が弱いからです。

 ----瞬時に消えゆく屁のようなものに価値を見いだし、満足するべきなんです。

 

 上記の言葉に続けて、最後に大泉氏はこう書いている。

 

 ----この考え方はソシュール以降の現代哲学の主流となった「関係主義」と深く関わっています。

水木の死後、次女の悦子さんは、父は「死んでもいつもそばにいる」ように感じると言っていたそうです。

水木の人柄や作品に触れたすべての人たちを、水木は祖霊としてあたたかく見守ってくれている、僕にはそのように思われてならないのです。----

 

 ある意味、悟りのような境地。わかる気がする。わかるとは言えないのだけれど。まだまだ修行が足りなくて、煩悩ばかり。でもおおらかで前向きで健全に歳を取っていった水木さんならそうなのだろうと信じることはできる。「人生に絶対的な価値を求めるのは心が弱いから」という言葉にはけっこう衝撃を受けた。太宰治や山頭火とはえらい違いだ。

 

 水木しげるさんは近年、NHKの「ゲゲゲの女房」で再クローズアップされたけど、あのドラマはあまり好きじゃなかった。ヒロインはともかく、他の主要キャスティングがだめだ。あれじゃ水木さんがかわいそうだ。

 

 なので水木さんにもあまり関心を払わなかったが、この新聞の記事を読んであらためてすごいなと思った次第です。

 

 


モーツァルトの「僕が、僕が、」

冬の寺

 

 昔、朝日の文化欄を担当していた由里幸子さんという記者がいて、いつもいいものを書いていたし、いいものを取り上げていた。ファンだった。2008年のある日の文化欄では由里記者が吉田秀和氏にインタビューしていた。音楽評論家で当時94歳の吉田氏の著書「永遠の故郷 夜」についてきいたものだ。妻バルバラさんの死の悲しみで、音楽を聞くことも評論執筆もできなかった吉田氏がそれを越えて書いた。吉田氏の印象的な言葉を拾う。

 

 ----人間なんてヘンなものを、人間が作れるはずがない。音楽も、文学や建築と同じに人間が力の限りを尽くして作るが、究極的にはどうしてそうなるかわからない。それがわからないからこそ、僕たちはこんなに音楽を聴くんだもの----

 

 ----現実とは別のもうひとつの人生、世界があることを中原中也に教わった。でも中原は、そこから放逐された失楽園の詩人。あこがれに手を伸ばしているのが文学だとしたら、音楽は美の世界そのものだもの----

 

 2003年にバルバラさんが亡くなった後、しばらくは音楽を聴く元気もなかったという。

 

 ----最初に聴けたのは、バッハ。モーツァルトでさえ、僕が、僕が、という声が聞こえ、わずらわしかった----

 

 わかるような気がする、モーツァルトの「僕が、僕が、」って。で、バッハってのも。

 

 吉田氏はあこがれに手を伸ばした文学から、美そのものに限りなく近づいた人だったのではないか。

 

 それとインタビューをまとめた由里記者の文章、言葉遣い、句読点の正しさにうなった。こんな記者がいなくなった。由里氏のもっと以前には黛哲郎という人もいたが。政治欄でなく、文化欄(の劣化)で朝日をやめた。


「生きる喜び」という特権

 昨夜寝ながら本を読んでいたら、あるページに衝撃を受け、本を顔に落としてしまった。ジュリアン・グラック「街道手帖」(永井敦子訳、風濤社)だ。この本は多くの短い断章からなっている。ある断章でグラックは「ごまかさず言おう」と宣言して、大変なことを言って(書いて)いる。

 「生きる喜び」は両大戦間、1936年ごろまで、無教養な社会の底辺に生きる人々に支えられた、ゆとりを持ち文化を謳歌する少数派に特権的に属していた、という。1789年(フランス革命)以降も本当は変わっていなかったというのだ。

 

 グラック自身もそうであったリセの生徒や大学生、ロラン・バルトいわく「王子様」の身分は

 

 ----排除された者たちの脅迫的な要求のうごめきとの対比で際立っていたと言うよりも、むしろ社会の本性の非常に古くから存在する断片との対比で際立っていたのであって、その断片の犠牲によって生きることは心地よいことで、その欠陥を検討しようなどということは、考えられてもいなかった。----

 

 ----締め出された者たちの集団がまだ脅威や裁きとしてではなく、ただ風景と認識されていた時代の終わりかけに、少数の幸福な人々に属することにすでに味をしめ、しかしまだそれに無自覚なままでいたということである。----

 

 言いにくいことを「ごまかさず」よく言ったものだと思う。さて後半には、現代はどうするのかと問題提起している。すなわちブルジョワとかエリートとかの楽園が閉ざされ、文化と生活様式が大衆化した現代。

 

 ----いずこも変わらぬセットを作る「皆と同じ」ものから、いったい何を自分固有の財産として、また自分の失われた楽園と考えて選び取れるのか。選び取られる思い出というのは、多かれ少なかれ排他的な共同体からしか生まれないものである。----

 

 いい悪いは別にして、いわゆる階層というものがあった時代に、少数の特権階級が文化を享受していたということだ。今、平均化してしまった時代に「生きる喜び」をみんなが見いだすことはできるのか、ということだ。

 

 思い出したのは太宰治だ。昔の特権階級に生まれながら悩み、書き、死んでいった。逆説的に言えば「生きる喜び」(=死ぬ喜び)を享受した。そんな高尚な悩みなんか関係ない人々はいっぱいいた。だが今は?

 

 グラックにあえて反論すれば、それでも現代でも若い人たちが自分をつくるものはある。スポーツや音楽、ゲームにアニメ、漫画etc----。ただ文学は? ということでしょう。新たな「排他的な共同体」もあるしね。

 

 でもグラックのいうことはわかる。苛立ちみたいなものも。

 

 街に出かけたり、大型ショッピングセンターを歩いて思う。昔は一部の階層の人たちがやっていたことを、今はみんなやる。高い安いでなく服装に気を配り、おいしい食事を目指す。レンタルで映画を見て、携帯で音楽を聞き、写真を撮りまくっている。ボジョレー・ヌーボーだ、和牛だ、寿司だ。でも、何のため? それが生きる喜び? 

 

 ここで文学の衰退が思い浮かぶ。別に文学賞とか文芸誌の話じゃないのだ。人文学を含めた広義の文学。それが生きる喜びに関係していると思うのだが。雑踏を歩いて「市民」とすれ違う時感じる、理由のわからない寂しさ、悲しさ。それは東京だけでなく全国津々浦々に蔓延してしまった。

 

 グラックが勇気をもって指摘したことは、枠組みとしてかなり有効だ。これでとらえてみれば、けっこう今の欺瞞や偽善の構図がわかってくる。エキサイティングでさえある。


純粋体験

孔雀

 

 「生命潮流」などの著作で知られたライアル・ワトソン氏が昔、神戸で開かれた若手の神主の集まりである神道青年全国協議会中央研修会で記念講演した。それを伝える新聞記事によれば

 

 ----講演の内容はワトソン氏の神道への思いが表層的なものでなく、生物学に立脚した彼の自然論、宗教論の核心に触れるものであることを示していた。それは技術文明に行き悩む神職たちに一石を投じたのである----

 

 ワトソン氏は語った。

 

 ----神道について西欧人が理解するのは難しい。キリスト教のように論理的に書かれた教義や教典はないからです。神道の信仰は鎮守の森や神域に入ったり、儀式に参加したときの純粋体験を本質にしています。それは赤ん坊が母親に抱かれ初めて神社に行ったときに生まれた過去のきずなの感覚などもベースになっているのかもしれません----

 

 こうした宗教的な純粋体験は日本だけでなく、アフリカのブッシュに沈む夕日感じる気持ちと同じだと、ワトソン氏は言う。「だからこそ人類が世界や地球の神聖さの感覚を回復しなければならない現在、神道が果たし得る役割は大きい」とも。そして続ける。

 

 ----神道の神の観念は重要です。川、山、海、木、風、雷、すべてを神と考えることで、神道は言語を超えて自然をあるがままに受け入れることを示唆しているのです。神の道を伝える”遺伝子”としての神職の方々は伝道師のように言葉で教義を語らず、純粋体験の場を守ってください----

 

 これに対して会場の神職の一人が反論した。「危機にある神道の伝統を守るため、今こそもっと言葉を使うべきだと思う」。ワトソン氏はこう答えた。

 

 ----それは危険です。神道の本質は頭でなく心で感じなければ。----

 

 あるところで目にした言葉で、天皇と神道は一体みたいにいわれるが、神道の方がよっぽど古い、というのがあった。日本国中、田んぼにも山にも海の近くにも、至るところに神社や鎮守の森がある。こんなところにまで、という具合に。

 

 ある時、カミサンと古い神社にお参りしたら、カミサンは頭痛に見舞われた。どうしようと思った時、何気なくカミサンが境内の神木の大樹に手を触れたら、頭痛はピタリと止んだ。こういうこともあるのだ。

 

 上記のワトソン氏の言葉で「人類が世界や地球の神聖さの感覚を回復しなければならない現在」というところに不思議な新鮮さを感じた。なつかしさでもある。10年ほど前まで、しょっちゅう聞いた言葉だが、今はこれすら、というべきか、語られなくなった。ま、ワトソン氏や中沢新一氏らの言説が世間に行き交っていた潮流は、ある事件を境に廃れてしまったというのが定説だが。

 でも、今こそ、真に宗教的な精神が必要なのではないか。

 

 昔、関西出身の女性2人のユニットでシモンズというのがいた。「恋人もいないのに」という曲でブレークした。彼女たちの曲で「愛する喜びを愛する人に」というのがあり、その中のフレーズ「人が言葉に埋もれた今だから」に一瞬どきりとしたことを覚えている。昨今のネット、スマホ社会でいえば、画像(写真)にも埋もれた今だから。


三島氏と駐とん地

ゼロ戦52型

 

 今日という日はやはりこの人のことになる。三島由紀夫。自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し自決したのが1970年、昭和45年の11月25日だ。「あの時どこにいた?」というのが同じか近い年代の、少なくともあの事件に衝撃を受けた人間同士の会話だったものだ。

 

 「ペルソナ・三島由紀夫伝」を書いた猪瀬直樹氏が、事件から25年に寄せて新聞に寄稿していたのを見つけた。いろいろ書いている中で、印象深い言葉を拾う。

 

 氏はこの本を書くた当時のテレビニュースなどの映像もチェックした。多くの映像の中で、駐屯地の正門が何気なく映されたシーンに手を止めた。看板の墨文字が「市ヶ谷駐とん地」となっていたのだ。駐屯地の「とん」が、かな文字。

 

 ----とたんにすべてが滑稽に見えてきた。やがて悲壮感漂わせた三島の顔と重なり、憐みを覚えた。僕は思わず、「あなたのせいじゃないんだよ」とつぶやいていたのである。----

 

 また三島における「天皇」について、最後の部分でこう書いている。

 

 ----自決までの十年間、三島の心の中でしだいに比重を増すのが天皇という絶対者のイメージだった。だが三島の天皇観は仔細に検討してみると必ずしもひとつの統一した姿では浮き出てこない。三島が夢想する天皇は、価値相対主義の日常性を一気に否定するジョーカーの役割を負わされていたからではないか、と僕は解釈している。----

 

 鋭いですね。やはり都知事なんて俗な仕事は似合わない。思想家で表現者です。

 

 否定というか反転を一気にしてしまう、できるのがジョーカー。でも、三島もそれに気づいていた、そのうえでの天皇だったのではないか。

 

 三島を一気に反転させると太宰治になる、みたいなこと言って(書いて)た人がいた気がする。共感と反発を同時に覚える。

 

 三島の予言=「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう」がその通りになったってことも言われてもうだいぶ経つ。それすら風化してしまった。事態はそれどころでなくて、もはやぶっ飛んでしまっている。

 

 三島が「ピコ太郎」を見たらなんと言うだろう。中間色でもなく豹柄の、アポーペン。

 

 


我って、誰? 何?

 ----“実存”という一概念は、人間の存在の形式として、根源的あるいは究極的なものだと本当に思うかね?
 ----それはきわめて西欧的なーーあえていえば、西欧の歴史風土的な、バイアスのかかった概念だと思わんかね?

 ----それは、古代オリエントの”荒野の叫び”が、西欧近代で増幅されたものじゃないかな……。
 ----たしかに、ある手つづきにのっとって理づめにつめて行けば、その定義に到達するが、その手つづきそのものが、実は大変西欧的なパラダイムに滲透されているものじゃないかな……。”理づめにつめる”というその”理”そのものがな……

 ----西欧的な意味での、人間の”個”や”自我”というものは、本来ない、いかにもたしかにあるように見えるのは人間の迷妄だ、という考え方がある……。”我思う”といっても、その”我”は、実は個をこえた悠久の歴史の流れと、存在自体のある部分が一瞬考えているものかも知れない。だから”我あり”の恒久的な根拠にはなり得ない、という考え方が……


 上記は小松左京「虚無回廊」の一節で、宇宙倫理委員会のメンバー、ラマ教黄帽派のもと高僧、タロ・ダキニ師の言葉だが、この考えは、この作品の重要なテーマの一つだ。これだけではないが少なくとも本質部分だ。

 で、いつもこの問題を想い出す。「実存」という概念は今や西欧でも主流ではなくなってしまった、あるいは端的に死んじゃったかもしれない。でもこの概念は言葉を変えてもまだ根強く生き残っている、いやまだ支配しているのではないか。

 

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