荒天の恵み

光柱

 

 朝起きてカーテンを開けたら、雲間から光の柱が立っていた。しばし目を奪われた。どす黒い雲が立ち込め、雨風が強い最悪の天気。でもこんな天気だから、光の柱が見える。これモノクロで撮ったわけでなくカラーなんだけど、白黒の世界。昨日の夕方は白昼夢を見るし、今日はこれ。いつもとは違う時空にいる。


現実の逆襲

紅葉

 

 今年の紅葉は数十年に一度の見事なものだ。色が濃く鮮やか。よく自然の風景で「絵に描いたような」という形容があって、それは逆だろうというツッコミがあった。今年の紅葉は同様で、レタッチし補正したようだ。現実とは思えない。でもホントにそんな色なのだ。現実が仮構(人工)に追いつき追い越してきた。さあ、大変だ。

 

 ジュンク堂で立ち読みしながら、時折り書棚全体を眺めてみた。今の文学だのの書棚を見てもどうってことはない。哲学や歴史の棚を見てみると、時代の変化変遷みたいなものがわかる。ある時代、「これって絶対、究極の真実を突いている」と思えた思潮も(構造主義、ポスト同、脱構築etc)やがて色褪せたものになっている。

 

 その中で魅力が褪せない言葉もある。ヴィトゲンシュタインの「私とは私の世界である」など。ま、魅力が一番だね。

 

 9人の遺体発見事件、「クリミナルマインド」のBAUのデヴィッド・ロッシやDr.スペンサー・リードに来てもらって分析してほしい。と思ったのは私だけではないだろう。

 

 至高の紅葉を見て、感嘆もしたが、何やら不気味な感じもした。単なる自然のめぐり合わせ、プレゼントであることを祈る。


龍見橋の風

たつみばし

 

 ひょっとしたら、一人の人間がこの世で同じ一つの時間の経過の中で、同じ人間として「生きて」いるということは、奇跡に近い出来事なのかもしれない、と気がついた。時空とか物理とか難しいことはわからない。だから理論ではなく、直観だ。

 

 それは恐らく地球という惑星に、人類という種が存在することと同じように超確率的事象なのではないか。ホントは一瞬一瞬で消えているはずの人間。それがつながってあたかも時を通じて存在しているかのように存在している、とみえる。

 

 幼い頃、若い時がなぜなつかしいか。真に科学的にいえば、同じ人間ではないのではないだろうか。紙を束ねる糸と同じように、それを束ねているのは記憶ではないか。かろうじてそれによってつながっている。事故や災害を間一髪免れて、生命感に満ち溢れるようなことなのではないか。

 

 ドラマとかでよく記憶を失くした人物が登場するが、軽々しく扱ってはいけないと思う。本当は、記憶を(とりあえず)失くするということは大変なことなのだと思う。茨城ですぐ農家ができるというものではない。人間じゃなくなるわけだから。

 

 一日一日一瞬一瞬生きているというのは、だから、もうけものなのだ。楽しまなくては。いや実際楽しいはずなのだ。


岬の西方

竜飛崎

 

 竜飛崎は風が強い。年中だ。灯台のある、北海道に面した岬もいいが、ちょっと西側の日本海を望む景色が抜群だ。権現崎や十三湖の方角だ。

 冬は閉鎖される竜泊ラインは竜飛〜小泊ラインの略称だ。かなり高い山を越え、日本海の海岸に至る。急なアップダウンを越え、霧というか雲の中を進み、降りていくと急に海の眺望が広がる。

 夏の日の、その美しさ、迫力は息をのむほどだ。日本海の意外な明るさ、青さ。青森から蟹田(外ヶ浜)、平館の陸奥湾、今別、竜飛の津軽海峡を経て、日本海側を通って津軽半島を一周すると、海のいろんな種類、津軽の広さを実感する。BGMのシャッフルは偶然にも山本コータローの「岬めぐり」、スピッツの「渚」をかけていた。「真珠とり」や「エーゲ海の真珠」もあったけど。

 

 海をいう景色を見る。すると過去に見た海の景色と重なり、そして今の景色が厚みを増す。これはいい景色だけでなく、視界何にでも当てはまる。人はそうして自分の風景を、つまりは記憶を確立している。現在確認というか再認というか。それが生きているということなのだろう。こういうことを感じるのが、夏休みだ。グアムなんかに行く必要は、まったくない。

 

 


弘前公園西堀の夜桜は絶景!

西堀夜景

 

 青森県弘前市の弘前公園は桜の名所だが、中でも西堀の夜桜は最高だ。天気が良く風もない夜。鏡のような水面に、照明に照らされた桜が映る。幻想的、妖艶、絶景、どんな言葉も足りない。この世のものとは思えない。見渡せる橋の上のスポットに来た人は、なかなか動かない。かなりの時間、見とれている。あっさり通り過ぎる人はまずいない。

 

 近くの演芸場では津軽民謡の生演奏をやっていて、じょんから節や津軽山唄が聞こえてくる。「望郷じょんがら」の中の、「風にちぎれて聞こえてくるよ〜」のように。幻想的な風景に合わないようでいて、合う。それが津軽であり、弘前だ。でも写真でどうやって撮っても、生の風景には近づけない。「雨月物語」や「イザナギ、イザナミ」のように水面に引き込まれそうになる。

 

 揚げたサツマイモのスティックで缶ビールを飲み、おでん、焼き鳥で熱燗のワンカップを飲み、やっと現世に戻れた。


十五夜ナウ

十五夜

さっきの景色

バイオレットスカイ

春が過熱、暑い

ミズバショウ

 さっき「酒場放浪記」で、吉田類氏の俳句。

 魂の 暗渠に落ちて 水温(ぬる)む

 だって。く〜!

 今日は水がホントに温んだ。水道から出る水がつい先週よりかなり温い。どんだけえ〜!?

 って壊れてるほとんど。

 結局人は言語空間で暮らしているんだね。

 いい本は好きだけどいい小説は読むけど。いわゆる文学は好きじゃない。詩は、詩というものは好き。でも今出てる詩とか詩集とかは嫌い。でも自分が書いたら、それは楽しい。

 って女学生みたいなことを考えてる。春宵一刻値千金に。バカ。上は日枝神社のミズバショウ。

時の逆走

田沢湖近くの川

 秋田駅から秋田新幹線「こまち」に乗ると、最初は座席に後ろ向きに走る。大曲駅でスイッチバックし、前向きになる。フル規格新幹線でないからスピードはまあまあだけど、後ろ向きに走ってるってけっこう不思議な感じ。これを時間の流れになぞらえると面白い。我々は時間を後ろ向きに逆走しているのではないか。

 秋田〜盛岡間、田沢湖駅付近の渓谷はかなりの景観だ。川の水の色が違う。

 うるさいおばちゃん二人連れが角館で降りていった。角館が心配になった。

 秋田の和菓子で「さなづら」というのが好き。山葡萄の羊羹みたいな寒天みたいな。ちょっと酸っぱくて、上品な味。これをパイではさんだ「さなづらパイ」というのを新発見して買った。ネーミングは「そのままやないけ!」(どこの人?)のストレートさだが、このお菓子、いい。お茶、コーヒー、紅茶、何にでも合う。

 夕暮れの秋田新幹線、昔だったら田沢湖線、いかにも旅したって感じ。盛岡駅のホームで一服した。東北は各県、各都市の個性がある。それがなだらかに違う町へと流れていく。

雪どけの樹影

雪解け樹木

 雪国の山にも春近し。というよりもう到来か。樹木はあたたかくてその周囲の雪がとけてサークル状になるという。

 こんな光景を目にすると、ジョージ・ウィンストンの中でも特に好きな「Winter into Spring」を思い出す。

 そのフィナーレ「ヴェニスの夢」の加速感。今年の春と似ている。

 春は体調はいまいちだけど、やっぱりいいもんだ。

 樹影という言葉が好きだ。

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