海は分かれず、奇蹟は起きなかった

 1月12日に亡くなった梅原猛氏が、だいぶ以前だが、三島由紀夫の小説で一番好きなのが「海と夕焼」という短編だと書いていた。こんな小説だ。

 

 ----第5十字軍がいったん聖地を奪回したのに、また奪い返された1212年のこと。フランスの美しい山地の羊飼いの少年・安里(アンリ)の前に、丘の上からキリストが現れて「同志を集めてマルセイユへ行け。その時地中海の水は二つに分かれてお前たちを聖地に導くであろう」という。

 安里はこの啓示に従って仲間を集め、マルセイユを目指したが、途中でペストのため多くの子供が死んだ。生き残った子供たちはマルセイユに着き、海の分かれるのを待った。しかし海は決して分かれようとしなかった。一人の男が「エルサレムに連れていく」という。子供たちは男の船に乗ったが、船はエジプトのアレキサンドリアに着き、子供たちは奴隷として売られていく。

 安里はペルシアの商人の奴隷になり、さらにインドへ売られ、そこで中国から仏教を学びに来ていた大覚禅師・蘭渓道隆に会い、自由の身にしてもらう。安里は禅師に仕え、師の故国に渡り、さらに師が日本に渡る伴になった。安里は日本に来て、鎌倉建長寺で寺男になった。

 安里のなぐさめは、鎌倉の海の夕焼けを見ることだった。耳の聞こえない、言うことができない少年を連れて、毎日、鎌倉の海の見える寺裏の山に登った。安里はあの、決して分かれようとしなかったマルセイユの海の夕映えの美しさをそこに見て、彼の人生を少年に語った。----

 

 梅原氏は上記のように作品を紹介した後、「この短編は、三島由紀夫という詩人の最も根源的な内面の秘密を語るものであるように、私には思われる」という。そして「三島由紀夫は「奇蹟」なしには人生を生きるに耐え得ない人間であった」とする。それは「不幸な幼児体験」などがあっただろうという。

 

 ----彼にとって文学或いは詩は、そういう奇蹟を現出する魔法の杖であったが、彼は作品の上だけでなく、現実にもこのような奇蹟の実現を夢見たのである。----

 

 これに続く文章は省く。つまり高度成長の時代、人々は奇蹟から遠ざかり、三島は戦争時代の天皇を想起し、奇跡の希望の再現を希求して、あの自決に至った、というのである。

 

 三島の作品の中で、「海と夕焼」に注目した点は、哲学者・宗教学者として第一人者だった梅原氏が、文学のセンスでもさすがだったと思わせる。だがその分析は、いささか凡庸ではないか。

 

 おそらく三島自身も、海は分かれない、奇蹟は起こらないことは知っていたのだ。それゆえの作品であり、あの自決だったのではないか。分かれない海だからこそ、マルセイユの海も鎌倉の海も美しかった。この作品の海の夕景の美しさというものを想起して、目からうろこが落ちたような感動を覚えた。

 

 脳裏に聞こえてきた音楽がある。キングクリムゾンの4枚目のアルバム「アイランド」の最後、アルバムタイトルチューンである「アイランド」だ。まさに海の夕景。リーダーのロバート・フリップはこの代のクリムゾンのメンバーをあまり評価してなかったようだが、でもこのアルバム、意外にいい。美しさを追求したクリムゾンの最高到達地点だと思う。


利口なだけの人間

 ----人間は絶対者になることができず、文学は政治に回収されない。この観点から、福田は国家と私の一元論を展開する江藤淳を批判し、絶対の存在を天皇に見いだそうとする三島由紀夫から距離をとった。福田は常に天上と地上の混同を諌め、政治から美学を切断した。福田にとって、「九十九匹」を救う存在が政治だった。しかし、世の中には政治に還元し得ない「一匹」が常に存在する。この「一匹」を救う存在こそが文学であり、「一匹」は常に「単独の私」であった。

 この「私」は、「自分を超えたもの」とのつながりによって存在している。それは<自然・歴史・言葉>であり、その「型」の習熟こそが生の充実を支えている。福田は常に「後ろから自分を押してくる生の力」を意識し、「過去との黙契」を重視した。そして、その総体を「宿命」として受け止め、与えられた役割を演劇的に生きることこそ人間の本質と捉えた。

 福田の問いは、必然的に言葉へと収斂した。言葉は常に過去からやってくる。それは宿命であり、「私」の輪郭をかたどる存在である。だからこそ、福田は「国語表記問題」にこだわった。----

 

 ----福田は誰にも阿(おもね)らず、利口なだけの人間を嫌悪した。そして、戦後民主主義の欺瞞を批判すると同時に、国家や天皇に没入する俗流保守を斬った。----(浜崎洋介著「福田恒存 思想の<かたち>」の中島岳志氏による書評=2012年1月=から)

 

 江藤淳、三島由紀夫と一線を画したこともさることながら、政治に還元し得ない「一匹」を救うのが文学といった福田氏に、とても惹かれる。今、政治は九十九匹を救えているか。今、文学は一匹を救えているか。クリムゾンではないが、まさに「21世紀のスキツォイドマン」の世界。今こそ福田氏の思想をよみがえらせ、言葉を重んじ、自分の役割を演劇的に生きることの意味を考えたい。

 

 


三島氏の「寂寞を極めてゐる」

 避けて通れない問題なのかな、と思った。「三島由紀夫 ふたつの謎」(大澤真幸著)という本が出た。本の紹介によれば、ふたつの謎とは、あの自決と、「豊饒の海」の結末のこととある。ある書評者は「二つの謎をそれぞれ別の角度から照射しながら、両者が意外な接近を見せていて興味深い」と書いていた。

 

 だが小生の考え或いは感覚では、二つは裏表というかつまるところ一つの両面だ。澁澤龍彦氏は三島氏を、右とか左とかでないが本物の過激派だと書いていた。あのすさまじい自決よりも、小生などは「豊饒の海」の結末が過激だと思う。何もない、無。三島氏が生きていたら、今の日本をどう思うか、とあの自決以来いつでも言われてきたことであった。常に日本人に突きつけられている問題。ないふりをしても、目を背けても、付きまとう問題。考えるのはしんどいけどね。

 

 三島氏は「豊饒の海」の第三巻「暁の寺」を脱稿した後の心境をこう書いている。

 「これで全巻を終つたわけではなく、さらに難物の最終巻を控へてゐるが、一区切がついて、いはば行軍の小休止と謂つたところだ。路ばたの草むらに足を投げ出して、煙草を一服、水筒の水で口を湿らしてゐるところを想像してもらへばよい。人から見れば、いかにも快い休息と見えるであらう。しかし私は実に実に実に不快だつたのである」

 

 「私の不快はこの怖ろしい予感から生まれたものであつた。作品外の現実が私を強引に拉致してくれない限り、(そのための準備は十分にしてあるのに)、私はいつかは深い絶望に陥るもとであらう」

 

 唯識、阿頼耶識がこの作品の大きなカギといわれる。最終巻「天人五衰」の有名な結末。月修寺の門跡=綾倉聡子の言葉で、本多はそれまでの現実を否定されてしまう。

 

 「これと云つて奇功のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰るやうな蝉の声がここを領してゐる。

 そのほかみは何一つ音とてなく、寂寞を極めてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思った。

 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。……」

 

 久しぶりに読み返したが、この結末の、「無」。しかも最後が「……」なのだ! 最後に「豊饒の海」完。昭和四十五年十一月二十五日とある。つまり、あの自決敢行の日付。

 

 苦しいとか悲しいとか寂しいとかでなく、無。普通の空しいでもない。作品のこの状態に対応する現実として、三島氏は自衛隊に突入し、檄文をまき、演説して腹を切ったのだ。楯の会の若者に首をはねさせて。(あの時、どこかの新聞に首が写った写真が載っていた)。あの日のショック。

 

 何度もいわれてきたことを繰り返すが、今の状況に接した三島氏は何と言うだろう。或いは、怖いが、何をするだろう。あの日生きていた人たちも、忘れて、或いはどこかで知らんぷりをして、ビールでも飲んでいるのだろう。ホントは日本は大変な状況にあるのかもしれない。でも、自分を含めて、ボウッと生きている。チコちゃんに叱られる。


女中は大日如来!

 何それ? どんだけ〜! びっくりしたのが江戸時代の女中で大日如来の化身がいたという話だ。知るきっかけは野村胡堂の小説「お竹大日如来」という短編。「奇談クラブ」という本に入っているが、もともとこの本のタイトルが「お竹大日如来」だった。

 

 「銭形平次」シリーズの作者でおなじみの野村胡堂だが、現代劇も書いている。おまけにクラシック音楽の評論の大家だ。この「奇談クラブ」は、資産家の女性の家に各界の人物が集まり、彼らが奇談を語っていくという設定。いわば百物語だが、ミステリーありホラーあり、不思議な物語だらけ。「お竹大日如来」はその一篇だ。

 

 それが実は「史実」として伝えられている。お竹は1623年(元和9年)生まれ、1680年(延宝8年)没。山形県庄内地方に生まれ、18歳の時に江戸の佐久間家に奉公に出て、後に馬込家に移った。東京都北区赤羽の善徳寺に墓と石碑があり、石碑には「その行いは何事にも誠実親切で、一粒の米、一切れの野菜も決して粗末にせず貧困者に施した。そのためお竹のいる勝手元からはいつも後光がさしていたという」とある。

 

 ある時、出羽の国の行者が馬込家を訪れ、「お竹は羽黒山のお告げによると大日如来の化身である」と告げた。主人は驚き、勝手仕事をやめさせ、持仏堂をつくり、お竹は念仏三昧の道に入る。江戸市中に噂が広がり、お竹を拝もうと来る人数知れず。五代将軍綱吉の母堂、桂昌院も信仰したという。

 

 ブームは江戸の町で芝居、講釈、錦絵に描かれ、明治時代にまで及んだという。あの坪内逍遥作の「お竹大日如来一代記」も上演された。その後も信仰は続き、山形・羽黒山の正善院にもお竹の等身大の大日如来が安置されている。

 

 さて、胡堂の小説だ。お竹という美しい娘が佐久間家で働いていた。だが気難しい主人やケチで嫉妬深い妻にこき使われていた。ある時、そのおかみさんが井戸で死体で発見された。続いて奉公人の男も首をつって死んでいた。そのうち、修験者が訪れ、お竹は大日如来の化身だと告げた。この修験者、玄沢坊の策略で、お竹は生き仏に祭り上げられてしまい、江戸中の人気者になる。

 

 小説の結末に、こうした科白が出てくる。「私は如来様なんかになりたくはない」「人間は人間商売に越したものは無いよ」……「正真正銘の人間になって、大飯を食ってうんと働いて誰に遠慮もなく暮そうよ」。

 

 この話を奇談クラブで披露するのは川柳家の男性だが、プロローグでこう語る。「徳川時代にも、幾度か璽光様のようなのが現れました。流行る流行らないは別として、信じ易い日本人は精神病医学のいわゆる憑依妄想を、たちまち生身の神仏に祭り上げたり、預言者扱いをして、常軌を逸した大騒ぎを始めるのです。私はそれが、良いとか悪いとか申すのではありません。兎にも角にもここでは、徳川時代の最も代表的な生き仏の話も皆様に聴いて頂こうと思うのです」。

 

 そうですね。信仰の是非をとやかく言うのではなく、人間は人間なのだということ。小説のフィナーレには最近にない感動を覚えました。野村胡堂という人はすごいな。ちなみにこの小説の初出は1947年(昭和22)の「月刊読売」。作品が収められた「お竹大日如来(奇談クラブ)」刊行は1950年(昭和25)。戦後まもなくのこの発表時期、何やら意味深だと思いませんか?

 

 風野真知雄さんの小説に「妻はくの一」というのがあったが、野村胡堂のはまるで「女中は大日如来」! 江戸でブームになって、でもそれを皮肉り茶化す川柳もあって。日本って不思議なバランス感覚がある。いや、あった、か。


閃きを味方に

 地方紙に載る共同通信の書評欄から。みうらじゅんさんが横尾忠則さんの「ぼくは閃きを味方に生きてきた」を紹介していて、なんだか微笑ましくほのぼのと読んだ。最初は。

 

 ----横尾さんの描く絵、装丁、文章、さらにご本人の写真にロックスターのようなカッコ良さを思ったが最後、ずっと憧れ続けてきた。

 だって誰とも違い、誰もマネできない芸術家なんだもの。

 

 ----横尾さんは”閃き”を五感で得、導かれるように絵を描くとおっしゃる。僕は以前からそのことが気になっていたが、「受けたい」とか、「笑ってほしい」など煩悩が先立って、どうもうまくいかない。これでも横尾さんのライフスタイルを完コピしたいなんて思っていた時期があって、いつも本を読んではバカな自分をいさめてきた。

 しかし本書には「芸術っていうのは、大衆にいろんな影響を与えないと意味がないと思う」との一節もあり、ますます横尾忠則という深い森で一人、考える。----

 

 みうらさんの思いに、もちろんウソはないと思う。だがここにはちょっと複雑なニュアンスも感じられる。ま、カッコいい先達にあこがれる人は、誰でもそんなものか。みうらさんがテレビなどでしゃべるそのままの口調の文章だが、なかなかの屈託。やはり一筋縄ではいかない人だ。

 

 「目利きが選んだ今年の3冊」という欄があって、哲学者の野家啓一氏はまず最初にこう書いている。

 

 ----2015年に文部科学省の勇み足で「社会的要請」が低いと決めつけられた人文科学だが、そのせいか逆に、リベラルアーツへの世間の関心は高まったかに見える。人文科学とは何よりも言葉への飽くなき興味であり、それを通じての人間性の探究である。----

 

 野家さんは哲学者大森荘蔵氏とよく対談というか、大森氏への鋭い聞き手をやっていた。上記は全くその通りだと思う。「社会的要請」って、先ごろ問題になった「生産性」みたいだ。リベラルアーツ、人文科学は大事だ。ただ、野家さんが書いてるように「リベラルアーツへの関心は高まったかに見える」は、残念ながら、そうかなあと思う。全然高まっていない、むしろますます低下していると言ったら言い過ぎか。

 野家さんは今年の3冊の,忙葦魂躬涼「孤独の発明」を挙げた。

 

 ----,話者の本業である文芸評論という枠をはみ出た、遠大な射程をもつ論考である。言語の起源を「俯瞰する眼」すなわち視覚の働きに求め、そこから「私という現象」の核心(それが「孤独」である)に迫る。まさに人文知の領野を縦横無尽に踏破して成った大冊だが、全編を貫くのは、先年没した詩人大岡信に対する追慕の念である。----

 

 これはやはり原著を買って読まないことには、よし買おうと決心。ごく短いスペースの書評としては最大限の効果を発揮されました。思い出すのは三浦氏が編集者及び編集長をやっていた頃の「ユリイカ」「現代思想」の、毎号の興奮。吉田健一氏の後半生、というか晩年の爆発的作品量産も、三浦氏がきっかけだったものね。

 

 大学もますます「社会的要請」に応えた下世話な技術、知識の細分化に向かっているような感じだが、もっとリベラルアーツやったら? そうでない状況が、今の社会の質劣化につながっているような気がする。東大卒のエリート官僚なんてなんもホントの勉強してない。うらなり瓢箪、気持ち悪い。

 


無理に読むこともない

 大したケガ・病気ではないのだが通院しなくてはいけないことになって、だが人気のクリニックで待ち時間が最低で1時間半ぐらいなので、行く前に目をつぶって書棚から1冊の文庫本を選んだら、倉橋由美子氏の「偏愛文学館」だった。その最後の章は吉田健一「金沢」についてで、その中にこんな箇所があった。

 

 ----吉田健一の文章は、長くてまわりくどくて何を言っているのかわからない、普通の日本語の文章から外れた癖の強い悪文の代表のように見られることがありますが、これは話が逆で、そういう人は日本語、あるいは日本語に限らず、考えたことを正確に伝える文章というものが読めない人ではないかと思われます。----

 

 そのあと倉橋氏はその真逆な文章として、ちょっと前の時代のある高名な女流作家の文章を引用している。

 

 ----「すべてが、ネオン・サインの紅紫の惑わしの光の夜に転生しようとしている一歩まえの、なにか昆虫が脱皮を待って凝然と横たわっているにも似た、妖しい静止感の漂った舗道は、デパートの包を抱えた女や、気早い銀ブラの群れや、電車や、自動車の騒音のあいだで、かえって遠い山の宿にでもいて噂するように、いない友について語らせた」というような不自然な文章ですが、この種の生硬な文章で書かれた小説を読まされると頭痛がしてきます。ということは無理に読むこともないということでしょう。----

 

 倉橋氏は一種独特なポジションを築いた作家だが、評論やエッセイで他人の文章を引用するのが実に的確でうまい。続きはこう。

 

 ----これに対して、「……文章で読めるものと読めないものを区別することが出来る。それでどれだけ簡単に解り易く言葉が進められてゐても駄文は駄文であり、その反対に言葉遣ひが慎重であつて時には微妙を極めてゐてもこの真実がそこで語られてゐるといふことがあればそれが読むものの力になつて言葉に付いて行けないといふことは起こらない」(「変化」)と言われていることがまさに吉田健一自身の文章にも当てはまります。英語やフランス語の作品を翻訳することを通じて、どんな複雑微妙なことでも日本語で言えるところまで行き着いた結果がこの吉田健一の文章であるということです。

 その特徴はどんな複雑微妙なことでも正確に明晰に言える点にあって、人間が使う言葉がその域に達しなければそれは子供の片言にとどまり、大人が読むに足る小説やエッセイをそれで書くことはできません。----

 

 前半の方ではジュリアン・グラック「アルゴールの城にて」を取り上げ、その最後の方にこう書いている。

 

 ----今日では、普通の人は本を読まず、手紙その他の文章も書かず、読んだり書いたりするとしても、文章らしい文章は敬遠して、しゃべるように、あるいは携帯電話のメールのように書き、またそんなスタイルで書かれたものしか受けつけないようになっています。小説もそんなスタイルで書かれ、それが読まれるというわけです。しかし私は、メールのやりとりみたいな文章で「ぼくは……」「わたしは……」調で書かれたものなど、小説だとは思っていません。----

 

 ----今の若者たちのしゃべり方でしゃべり、メールの文章と同じ調子で文章を書くような人物が登場するような小説は読みたくないし、勿論自分で書くなど思いもよりません。----

 

 要するに、吉田健一についてセンテンスが長いとか読点がないとか、グラックについてセンテンスが長いとか形容が多く複雑だとか、そんなことでなく、いかに明晰かということ。吉田氏、グラック氏に小生が心酔するのは、倉橋さんと同じように「偏愛」するのは、その明晰さだ。複雑微妙なことを明晰に伝えているのだと思う。その複雑微妙とは生の、世界の豊かさと同義だ。それを書かないで何を書くのだろう。

 

 昨今の小説はまるで読まないが、ちらっと立ち読みで開いてみると、思わせぶりな言葉、意味のずらしが続いているだけで、ヘタなシンガーソングライターの歌詞みたいだ。倉橋氏ではないが、無理に読むこともないだろう。古くてもいい本さえ読んでいれば。


あるのは事実だけなのだ

 山田正紀「ミステリ・オペラ」の最後の方に、こんな言葉がある。

 

 ----「萩原桐子はその手記のなかでしばしばヒュー・エバレットの平行世界(パラレル・ワールド)に言及している。そのことを思い出さざるを得ない。平行世界にあっては、人がなにかを選択し行為するたびに、量子的な波動関数が変化を起こし、無限に”世界”が分岐されることになる……多分、現実にも”歴史”とはそういうものだろう。”歴史”には”真実”などというものはない。あるのは”事実”だけなのだ。しかも、それはどのようにも解釈されうる”事実”でしかない。人間の数だけの”事実”があって、数えきれないほどの解釈があるといっていい」----

 

 「ミステリ・オペラ」の最初の単行本は2001年刊行。裏表紙の惹句はこうだ。

 

 ----平成元年、東京。編集者の萩原祐介はビルの屋上から投身、しばらく空中を浮遊してから墜落死した。昭和13年、満州。奉納オペラ「魔笛」を撮影すべく<宿命城>へ向かう善知鳥良一ら一団は、行く先々で”探偵小説”もどきの奇怪な殺人事件に遭遇する。そして50年を隔てた時空を祐介の妻・桐子は亡き夫を求めて行き来する……執筆3年、本格推理のあらゆるガジェットを投入した壮大な構想の全体ミステリ。----

 

 パラレル・ワールドというと、2つの世界みたいだが、実際(?)には無限にあるということか。唯識みたいだ。信じるか信じないかは貴方次第です。


悟りの大量生産〜選択を誤るから前へ進む

 AIだの量子コンピューターだのといわれる昨今、書棚を見まわしてみると、もうすでに腐ったというか今では通用しない本が多い。それでもまだ生きている本、価値ある本もある。そうした本だけに囲まれて、読んで暮らしたい。

 

 でも、意外なことに雑誌で今読み返すととても興味深い内容が載っていることがある。今日手にしたのは「朝日ジャーナル」の1987年(昭和62)1月16日号で、当時の値段は280円とある。

 同誌主催のシンポジウム「独裁者を生む社会」〜ヒトラーはすでに「神話」か〜。映画「我が闘争」を見た後の座談会である。出席者は評論家の草森紳一氏(2008年没)ら3人、司会は同誌編集長の筑紫哲也氏だ。この中で草森氏の発言が目を引いた。

 

 草森 ヒトラーはやっぱりすごいなって、ふと今日見ていて感じたんですけど、「悟り」の大量生産をやったんじゃないかなっていう気がするんですよね、装置として。要するに、「無」。まあ悪くいえば頭が空っぽになるという、それをみんな期待していたという部分を押さえ込んだといいますか。

 

 草森 倫理的な問題は後からいろいろ言われちゃうけれど、藤田嗣治はやっぱりあれが最高傑作じゃないですか、戦争を描いたやつ。反戦争主義とも言えるぐらいな要素さえ、その絵に内在している。彼の絵のほとんどはデザイン的だが、戦争画はリアリズムなんですね。ナチスもデザイン国家だが、絵画はリアリズムです。これは大いに解かねばならぬ謎ですね。

 

 草森 僕は、ヒトラーの時代のような形の再現はまずないだろうと思う。ナチスはやっぱりヨーロッパの何千年の歴史を全部背負っている。マイナスの徒花みたいなところがあって。で、それが終わってから、また世界中に散ったと思うんですよね。----

 実際はもっと見えない形でナチズムは再編成され、何度も壊れながら再生を繰り返している。ヒトラーのような人物が出てきて何々という形は、いわゆる「低開発国」以外には起こらないんじゃないかなという気がする。

 

 (会場からの質問) ヒトラーというのは同時代人にとって救世主であって、ヒトラーとともに何か彼らの国民的な重圧を解決しようとしたのじゃないか。結局大衆はヒトラーによって夢を実現しようとして、選択を誤ってポシャッちゃったという気がするんですけれども。

 草森 人間の歴史はもうその連続で、選択を誤らないということがまずあり得ないというのが、中国史をつぶさに読み続けた僕の歴史観です。選択を誤るから時は前へ進むんですね、ある意味で。だから、正しかったかどうかという問題は、一応僕は自分の中から外してあります。 

 

 この人は信用できるな、というか尊敬に値すると思う。借り物じゃない、自分のワーク・言葉・思想の持ち主という点で。さてナチズムは今、どんなところに拡散しているのか。日本では、たとえば政府、総理大臣ではありません。ではどこに。既存マスコミはその一つであることは明らかだ。そのほかにも、いっぱい広がっている。たちの悪いことに細かくなって。


よかったねジーヴス!

 最近うれしかったことは、皇后様が誕生日に当たってのコメントで、退位して時間ができたら、ジーヴスものの小説を読みたいと述べられたことだ。ちょうどその数日前から読み返していたのだ。英国のP・G・ウッドハウスの連作小説だが、何度読み返しても腹を抱えて笑ってしまう。シリーズ中の一巻の題名のように「比類なき」ユーモア小説である。

 

 訳者によるあとがきを見たら、面白い対比があった。ウッドハウスの小説には聖書やテニソン、シェークスピアなどの詩が頻繁に引用されている。英国貴族社会が舞台であればある程度はうなづけるが、それにしてもペダントリーの宝庫だ。で、我が国におけるペダントリー爛漫の探偵小説として、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」があるが、これが「新青年」に連載されていた時期とウッドハウスが盛んに作品を発表していた時期が同じだという。1930年代、日本でいえば昭和戦前。だからといって何かのつながりを指摘することはできないが、第一次大戦と第二次大戦の間という時代は不思議に文化の花が咲いた時期とはいえるだろう。英国と日本、二人の作家はそうした文化のある面での象徴ともいえるのではないか。

 

 ってくどくど考えなくたって、面白い小説は面白い。人間の世の中も、捨てたもんじゃないと思わせてくれる。


生物は勝手にルールを変える

 注目した言葉

 

 ----出会いは偶然が多い。

 私は科学者なので、何事も必然、すなわち科学としたい。それでは出会いは科学的に説明できるか。

 経済学者は偶然は科学で説明できる、それが統計学、つまり確率なのだという。しかし出会いをそんな簡単に説明されては困る。出会いは神秘なのである。神秘の中には偶然も必然も入っている。だから人と人の出会いは神秘である。----

 <吉村作治氏=「出会いの神秘」(曽野綾子著)書評から>

 

 ----本書の最大の論点は、人間も含めて生物はアルゴリズムで、生命はデータ処理にすぎないのか。そうだとすれば、私の過去のデータをすべて集積しているアルゴリズムは、私よりも私自身をよく知っていて、人生上の重大な決定を下す際に、私よりも正しい決定を下すことになるのだろうか、というところにある。

 評者はしかし、それにはくみしない。ビッグデータに基づく決定は、過去の経験を統計的に処理して導かれる最適値にすぎないからだ。生物は時に勝手にルールを変える。これはAIにはできない芸当なのだ。----

 <池田清彦氏=「ホモ・デウス」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)書評から>

 

 同じようなことを言ってる気もする。吉村氏の書評ではさらに、出会いの神秘とは日本語では「縁」といって、「今どきはそれをネットワークという安っぽい言葉で片付けているが、縁にはそれを超えた人と人との情念が付いている」と書いている。

 

 でも面白いのは最後の方で「著者はこれまでたくさんの人と出会ったことだろうが、神秘といえる出会いは少ないという。出会いから自分の人生に大きな力を与えてくれてこそ、出会いの神秘性が出てくるのだ」とも書いているのだ。なんかプラマイゼロみたいだが、突き詰めればそうなるのか。

 

 書評を読むのは本を買うかの参考にするのが目的で、本来は原著を読むべきだというのは正論。さらには書評の文章の一部を引用してはだめで、全部読まないとわからないだろうともわかっている。でも言葉とは不思議なもので、一部切り取る方がいいかもという場合もある。野党やマスコミが政治家の発言や文章の一部を切り取って批判するのとは、もちろん訳が全然違うが。


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