わさお二世?

わさお二世?

 

 わさおのところに小さくてわさおそっくりの犬がいたけど、ひょっとして二世?


夢のお告げ

山稜夕景

 夢の中で、二つの相反する思いが交錯した。目の前の人、一人一人がそれぞれいろんな思いや苦しみ、悩みを抱えて生きてきたことはほぼすべての人に言える。だから、どんなことがあってもリスペクトすべきだ。

 これに対してある時突然、そんなことはしなくていいのだ、と誰かのお告げがあった。あんたはリスペクトし過ぎているというのだ。それをいったんやめてみるべき、と。

 過去のことまで考えてあげる必要はないし、それはおこがましい。今のその人の言動、行動に対して処するべきだ、と。斟酌する必要はない、と。

 それもそうだなあ、と思った。だからって人を軽視するわけではないが。でもこれ、誰にでも言えるのではないかも。あくまでも今の自分に対する夢のお告げなのかもしれない。

 ま、適当にやるさ、バルサ、サルサ。

拾癖

トチの実

 トチの実である。引力とはすごいと思った。公園をウォークしていたら、目の前にボン!と落ちてきた。運命を感じて(大げさ!)拾って持ち帰った。さてどうしよう。もう昨年までのが(別の場所のお寺の境内で拾った)いくつかある。石、ボール、その他拾ったものを持ち帰る癖がある。拾癖という言葉があるのか。

図地さ逆

逆さ地図

 逆さ地図というのが人気を集めているという。富山県が作ったもので、日本海を中心に日本やアジアを逆さにしている。93年に国土地理院が測量分析したところ、富山県沖に日本の「重心」があるのだという。8月に改訂されたが、相変わらずロングヒット商品だそうだ。ものの見方によって、これほど違うものかと思わされる。歴史上、日本が危うい位置にあり、艱難辛苦に耐えてきたのもわかる気がする。

ハイマート・ロースのとんかつ

 ハイマート・ロースって何か。スーパーで売ってる肉のことではない。「故郷喪失」という意味のドイツ語だ。これが近代のキー概念となっているという。

 夢野久作「ドグラ・マグラ」の中の「胎児の夢」から。

 ----人間の胎児は、母の胎内にいる十ヶ月の間に一つの夢を見ている。その夢は、胎児自身が主役となって演出するところの「万有進化の実況」とも題すべき、数億年、ないし数十億年にわたるであろう恐るべき長尺の連続映画のようなものである。すなわちその映画は、胎児自身の最古の祖先となっている、元始の単細胞式微生物の生活状態から始まっていて、引き続いてその主人公たる単細胞が、しだいしだいに人間の姿……すなわち胎児自身の姿にまで進化してくる姿をその順序どおり寸分の間違いもなく母の胎内で繰り返す。しかし、その経過時間は非常に短められているので、人間の祖先代々の動物が、何百万年かもしくは何千万年がかりで鰭を手足に、鱗を毛髪に……といった順序に、少しずつ進化させてきた各時代時代の姿を、わずかに分とか、秒とかで数えうる短時間のうちに繰り返して、経過して来ることさえある。----


 この「ドグラ・マグラ」は、上記の説及び「脳髄はものを考えるところにあらず」という説に基づく。二人の医者(精神科医)がある青年を治療する。青年は先祖返りのように、千年前の先祖の遺伝子がよみがえって殺人を犯したという設定だ。で、開放治療を施したところ、そこでまたまた殺人を犯したという。

 「胎児の夢」ならぬ「童子=童児の夢」つまり「童夢」は、ムーディー・ブルースの傑作アルバム。曲の内容、雰囲気がまた「ドグラ・マグラ」なのよね。
 原題は「Every Good Boy Deserves Favour」(1971)。どの曲もいいが、最後の曲のサウンドが、まるで少年か或いは胎児が遥か昔、遥か宇宙の故郷を夢見ているような雰囲気をつくりだしている。

 夢野久作の「胎児の夢」の考え方は、科学的に裏づけられているところもあるし、そうでないところもあるという。
 でもいいではないか。信じても。彼の言いたかったことは、人間は遺伝子の運び役だということだろう。そのことの宿命、はかなさ、でも素晴らしさ。それが彼の父親や周辺の右翼の大物たちとどこか共通してくる。つまり日本の「宿命」。父の杉山茂丸は伊藤博文の片腕だったとゴーマニズム氏も最近の「SAPIO」で触れていた。でも夢野久作は単なる右翼ではない。いや全然右翼ではない。極めて先鋭的な合理主義者だろう。
 ムーディー・ブルースの「童夢」の出だしの曲にこんな歌詞のフレーズがある。
 Listen to the tide slowly turning.
 
 今日はこんな気分。


新橋夜来香幻想

胡美芳

 吉田類さんの「酒場放浪記」見て腹を抱えて笑っていたら、思いがけない名前を聞いて驚いた。新橋のある店の店主のお母さんがこの人だというのだ。「夜来香」「シナの夜」などの歌唱がすごくいい。その波瀾万丈の人生。番組収録の「1年前に亡くなりました」と店主=息子さん。今日の「酒場放浪記」は吉田さんの科白にもあったように「昭和を感じる」ところが多かった。

 牛ハラミ喰ってハイサワー呑んでいい気なもんだが、吉田さんの俳句もいいね。

 海月寄る 堀の捌口 パラダイス 

 だって。……すごい。


 胡美芳(こ びほう)(1926年11月20日〜2009年11月7日)は、和歌山県生まれの中国人歌手。戦後日本でデビューし、渡辺はま子や李香蘭の歌のカバーで人気を博した。日本コロムビア所属。1974年にキリスト教に入信し、以後、福音歌手として教会を回っての活動を続けた。
1926年:華僑総会の会長を務めていた父親のもと和歌山市で生まれる。
1941年:官憲の迫害を逃れ、一家で上海に引き揚げる。
1943年:北京芸文学校入学。音楽を学ぶ。
1945年:終戦とともに、家族に会えないまま引き揚げ船で日本へ亡命。
1951年:日劇で行われた「服部良一二千曲ヒットパレード」出演。「夜来香幻想曲」を歌う。
1952年:日本コロムビア専属歌手となり「薔薇薔薇處々開(チャンウェイチャンウェイトウトウカイ)」でデビュー。大映映画「殴りこみ孫呉空」に出演。
1974年:キリスト教に入信。福音歌手としてプロテスタント教会や福祉施設等で活動をはじめる。
1978年:日中国交正常化により帰国し、34年ぶりに家族と再会。
1983年:コロムビア五人会(二葉あき子・並木路子・池真理子・安藤まり子)のメンバーとなり、以後池真理子が急死する2000年まで精力的に五人で、老人ホーム慰問やコンサートなど活動する。
2006年:膠原病の悪化のため、引退。
2009年:11月7日午前0時28分、肺炎のため東京都墨田区の病院で逝去。満82歳没。


250万年前からタバコ!

 面白いニュースを発見した。

 ----【リマ19日AFP=時事】ペルーの古生物学者が19日、アマゾン北部で約250万年前のものとみられるタバコの葉の化石を発見した。
 化石は30平方センチくらいの大きさで、ペルー北部チクラジョのマイヤー・ホニンゲン古生物博物館の科学者が同国北東部のマラノン川流域で見つけた。同博物館は、この発見でタバコの起源が250万年以上前にさかのぼることが分かるとともに、ペルー北部の原産であることが確認されたとしている。
 同博物館は、アメリカ大陸の先住民は西欧人が15世紀にやってくるずっと以前からタバコを吸ったりかんだりしていたほか、目薬から下剤までとあらゆる治療薬として使っており、また戦いに行く戦士の顔や性交前に女性にその煙を吹きかけるなど、儀式にも用いていたと語っている。----

 タバコを吸うというのは儀式なのだ。今はバカだの諸悪の根源みたいに言われるけど。
 そう言えば頭をよく使ってる(であろう)人のタバコを吸う姿はカッコいい。そうでない人はそうでない。それと女性で吸う人もけっこういるが、サマになってる人は少ない。中にはパッパッとせわしなく煙を吐き出す人がいて、安っぽい。女性でサマになってる人はすごくステキ。
 さあ一服。


本マスがうまい

本マス

 マスが好きだ! へたな鮭なんかより断然うまい。淡泊で、味わいがある。フライやムニエルなど洋風の調理も向いている。いい日本酒か白ワインでやれば、シアワセ。


 ----サクラマスは、代表的なマスの別名「本マス」「ママス」とも呼ばれる魚。弥生月(3月)、雪解けの声を聞く頃、海での長い回遊生活を終え、故郷の川を目指し帰ってきます。そして北国で桜の咲く皐月(5月)頃、遡上をはじめ、故郷の川で暑い夏を過ごし、秋も深まるころ産卵します。桜の花が咲く頃に故郷の川へ戻る。サクラマスの名前の由来は、人々に季節の味を楽しませるだけでなく、この季節の桜の花とともにその銀鱗の美しさで人々を魅了することから、そう呼ばれているのかもしれません。

 サクラマスは川の中では餌も食べずに初夏から秋にわたる長い間、そのエネルギーを新しい命の成熟にそそぎます。それゆえに、桜の咲く時期のサクラマスは、長い河川の生活に備え、からだにしっかりとエネルギーを蓄える必要があることから、その身は、脂の乗りも良く、しっとりとした繊細な味わいを醸し出します。

 一度凍結し解凍して刺身で食べる、いわゆるルイベで食されるほか、切り身にして塩焼きや煮付けにして食べるとたいへん美味。

 料理店などでは洋食として供されることが多いことからもわかるように、ムニエルなどにすると上品な味わいが引き立ちます。その他、マリネなどに調理してもおいしくいただけます。サケと同様、どこも捨てるところがない魚と言われています。----


 北大路魯山人が著書「魯山人味道」の中で絶賛したのが、マス。そうでありマス。

 


東寺とYES

東寺

 出張の合間を縫って、京都に行って来た。時間があまりないので、京都駅の比較的近場に限定。そうすると私の場合、東寺や智積院になる。なぜか真言宗系。
 東寺はいつ行ってもすごい。大体、京都駅の八条口の方は、烏丸口と違って下町的雰囲気がある。東寺は弘法市などもあり、聖と俗というか清濁併せのむ的スケールの大きさがある。今回は五重塔や観智院の特別公開もやっていた。観智院の坪庭、障子から除く竹なんかもステキ。
 金堂、講堂に足を踏み入れて仏像を見ていると、ゾクゾクする。やがて少し頭が痛くなってくる。これはなぜ? 何かエネルギーを感じる。そのせいか。空海の言葉を読んだからでなく、自分のやりたいことをやりなさい、と言われているような気がする。
 智積院は、庭がいい。小ぶりだが、一つの世界、宇宙。竜安寺の石庭みたいなのでなく木や植物、池、石などが調和を醸している。障壁画のふすまの座敷から見るのがいい。また建物、廊下から見える庭がいい。
 忙中閑あり。1日違いで京都駅ビルが停電になり、くわばらくわばら。スピリチャルな充電をしてきた感じです。

 東寺に行くといつもYESの「Tales from topographic ocean」が頭に聞こえてくる。

エリック・クラプトンと小林秀雄

長勝寺

 ミシュランの観光ガイドブック日本編が発売され、星いくつかで全国が一喜一憂している。ばかげたことだと思う。第一にジャンル、エリアの表現がメチャクチャだ。ある一つの建物と、それを含む施設全体が別になったり、@@城と@@公園とかになったり。城とは城郭でその公園全体なのだということがわかっていないのではないか。恐らく@@城とは天守閣のことを言っているのだとは思うが。
 でも、確かに、なるほどという評価もある。弘前市の長勝寺三門などはそうだ。星2つだが、3つでもいい。これまで過小評価されてきたと思う。三門の奥の本殿もいい。風情がある。

 昨日、エリック・クラプトンがジョージ・ハリソンの「Isn't it a pity」を演奏したことについて書いたが、大事なことを忘れた。この曲に出てくる言葉「pity」あるいは「shame」、これは日本的なキータームだ。つまり「もののあはれ」ということだ。エリックがジョージの妻だったパティ・ボイドを愛してしまったことなどは「あはれ」なことなのだ。ジョージがインドや東洋思想に傾倒していたとはいえ、この曲などを聴く日本の若者(当時も今も)で、こうしたことに気づく者がどれだけいるだろう。ブリティッシュ・ロックの大御所2人が、エレキギターを弾きながら「もののあはれ」を歌っていたのだ。もって瞑すべし。ジョージのアルバム「All thing must pass」自体、ヒンズー教だし、仏教だ。生々流転、万物流転。

 エリック、パティ、ジョージ、この関係と略奪愛の後の、男のノイローゼという点で、あっ、似てるなと思い出したのが、中原中也、長谷川泰子、小林秀雄だ。もちろん中原がジョージ、長谷川がパティ、小林がエリックである。小林は奈良へ逃げ出した。同じようなことは起こるものです。
 小林秀雄氏「本居宣長」、ジョージとエリック「Isn't it a pity」。「もののあはれ」つながり・・・。

calendar
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
sponsored links
selected entries
categories
archives
recent comment
recent trackback
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM