もう一度リンゴを

 テレビから聞こえる言葉で、こんなに一字一句に集中したことは久しぶりだった。NHK・Eテレ「こころの時代」で今日放送の(再放送だが)「大拙先生とわたし」だ。禅の研究で知られる仏教哲学者・鈴木大拙について、鈴木大拙記念館(金沢市)名誉館長の岡村美穂子さんが語る。ニューヨーク生まれの岡村さんの自宅に、鈴木大拙が寄宿し米国での活動の拠点にしていた。岡村さんは15歳の時に80歳の大拙に出会い、以来大拙の活動を支えた。録画ができない場所でたまたまチャンネルを切り替えていたら目にしたもので、記憶に頼らざるを得ないのだが、以下、印象に残った言葉を記す。

 

 ----自由とは仏教用語である。大拙が米国の人びとに説いたのは、西洋(キリスト教)の自由は、初めに何か不自由なものがあってそこからの自由。だが仏教の自由は「自ずからの由」の自由なのだ、と。

 

 ----大拙が「路上」などで知られる作家、ジャック・ケラワックらビート族(岡村さんの言葉=なんかひょうきん族みたい)、つまりビートニク、ビートジェネレーションの人たちと会話した際、西洋の自由とは腕の肘を逆方向に曲げるようなものだと説いた。それは痛いし、腕が使えなくなって不自由だ、というのだ。ケラワックは感心して聴いていたという。

 

 ----同じく米国のキリスト教徒たちに、エデンの園から追放されたアダムとイヴの話をして、禁断のリンゴを食べたから追放された、ではどうすればいいのか、と尋ねた。みんなわからないという。そこが苦しいところなのだと。すると大拙が言った。「もう一度リンゴを食べればいいのだ」と。

 

 このほか仏教における「無」「時空」「今」「現在」など興味深い話がいっぱいあって、全部は覚えきれなかったけど、時間の経つのを忘れるほど聞き入った。「もう一度リンゴを食べればいい」のところでは思わず笑ってしまった。普通の面白いとか可笑しいとかあるいは嘲笑でもない。不思議な笑い。でもなんだか救われるような気がした。勝手にリンゴを酒に置き換えたりしちゃって、もう一杯!とかはだめだろうなあ。15歳の時の岡村さんの写真が映し出されて、ホントにきれい。美少女とかいう次元を超えて、聖なる美しさだった。80歳を超えた仏教哲学者と聖少女……。妖しさを感じるのはゲスの極みだが、恐らくそんなゲス世界を超えた関係なのだろう。悟りの世界に歳(の差)は関係ないのだ。


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