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「ありのまま」という幻想

 先日ある新聞の文化欄で目にした文章が気になってしようがない。

 ----田中和生の評論「震災前後を結ぶ」(新潮4月号)を読む。震災に反応して書かれた文学の特質を戦後文学との関係において位置づける試みだ。
 福島市在住の和合亮一が震災直後からツイッターで発信し続けた詩に、「こんなことってあるのか 比喩が死んでしまった」(「詩の礫」)という一節がある。田中はこの詩行に、「戦後詩の延長線上に」あって、「すぐれた喩がすぐれた詩であるような現代詩」を否定する兆候を聞き取る。その上で、「美しく堅牢な街の瓦礫」によって比喩が圧殺された被災地から届いた、詩の強度を測ろうとする。
 田中はさらに、角川春樹が句集「白い戦場」で、「震災後の現実に迫ろうとして、結果的に比喩のない」俳句を書いたことに目をつける。被災地と原発事故を正面から見つめつつ、「過去のものとして正しく位置づけて記憶しつづける」詩歌の機能に希望を見いだす。----(栩木伸明「道草派の文学ノート」)

 震災という巨大な現実を前に、比喩は死んだ、圧殺された、比喩のない詩、俳句が、現実を伝える。なるほどなと一瞬思う。

 でも、でも。比喩でなく現実を正面から見て正しく位置づけて伝えるって。それは可能なのだろうか。それこそ幻想ではないのか。比喩よりも。

 というか文学である必要があるのか。

 震災という悲惨な圧倒的現実でも、恐らく人間は比喩も使わざるを得ない。だから苦しいし絶望的だし、しんどいのだ。比喩が観念的あまちゃん的小児的非現実的といっても仕方あるまい。要は従来のありきたりな比喩では通用しないということではないか。

 比喩を使わない詩、俳句、文学。それはあこがれちゃう魅力のある考えだ。救われそうな。でもやっぱり幻想だと思う。

 キングクリムゾンのロバート・フリップは「ものごとをありのままに見ることができるほど荒々しい想像力」と言った。ものすごいエネルギーの、突拍子もない比喩はないのだろうか。人間が自然に拮抗するほどの。

 そうなったら別に文学である必要もないだろう。であってもいいし。

 死んだのは2万人の人間、誰かの親、兄弟、子ども、夫、妻、恋人、友人であって、比喩ではない。

 「比喩は死んだ」というのも比喩ではないか。

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