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世界は気晴らし

 テレビ小説は宇多田ヒカルさんの主題歌がだるくてやる気が出なくて、トト姉ちゃんも「オーッ!」と目をむいて驚いたり走ったりだけで、つまんない。おばあちゃんの大地真央さんが溌剌として一番魅力的だ。あんな若いおばあちゃんいないけど。

 その代わりといっちゃなんだけど、朝日一面の鷲田清一氏の「折々のことば」にはいつも衝撃を受ける。今日のは

「仕事はお芝居でしょ」

 説明するとほぼ鷲田氏の解説の文章そのままになっちゃうが、知人が居酒屋で仕事の愚痴みたいな話をしていると、「酒場の哲人」のような客にこう言われたという話。

 そこで鷲田氏が引くのはなんと17世紀の思想家、パスカル。「パンセ」の中でこんなことを書いていたという。それは

 ----仕事も学問も遊戯もみな、「自分」という存在の空しさに向きあわないで済むよう、意識をたえず他のものへと散らしておくための「気晴らし」にすぎないと書いていた。

 というのだ。すごい!

 でもホントのことだが、小生もそう思ったことがある。さらにいえばテレビはもちろん新聞やマスコミも、企業や経済活動も、この世の大半は、いやもしかしたらすべては「気晴らし」なのかもしれない。つまり「無」に向きあうのを避けるための「有」。そうすると仏教みたいになってくる。

 それと同時に思ったのは、ある人がすごいことを思いついた、発見した、真理を見た、と思っても、先人にすでにそういうことを考えた人がいるということだ。すべては語り尽くされている。考え尽くされている。新しい発見なんてない。自分にとって新しいかどうか、だけだ。New horizon だ。あとはそれをどう表現するかだけだ。表現しなくちゃいけないのだ、きっと。

 真理や悟りなんて、究極のものでなく、永遠に続くものでなく、その場限りの使い捨てぐらいに思った方がいいのではないか。

 ん? それも「気晴らし」? 趣味? 趣味は悟りです、なんちゃって。

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  • 2017.10.19 Thursday
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  • 09:37
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コメント
そうですね〜
みな、すでに生まれていたのですから、まったくもって投げられた石、なんですよね。
何をなし得たとか、それも人生の味付けであって、生きる存在としての己の本質には無縁で。
この世とはまさしく最期のときまでの『お付き合い』だと思います。
  • キハ58
  • 2016/05/05 9:45 AM
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