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純粋体験

孔雀

 

 「生命潮流」などの著作で知られたライアル・ワトソン氏が昔、神戸で開かれた若手の神主の集まりである神道青年全国協議会中央研修会で記念講演した。それを伝える新聞記事によれば

 

 ----講演の内容はワトソン氏の神道への思いが表層的なものでなく、生物学に立脚した彼の自然論、宗教論の核心に触れるものであることを示していた。それは技術文明に行き悩む神職たちに一石を投じたのである----

 

 ワトソン氏は語った。

 

 ----神道について西欧人が理解するのは難しい。キリスト教のように論理的に書かれた教義や教典はないからです。神道の信仰は鎮守の森や神域に入ったり、儀式に参加したときの純粋体験を本質にしています。それは赤ん坊が母親に抱かれ初めて神社に行ったときに生まれた過去のきずなの感覚などもベースになっているのかもしれません----

 

 こうした宗教的な純粋体験は日本だけでなく、アフリカのブッシュに沈む夕日感じる気持ちと同じだと、ワトソン氏は言う。「だからこそ人類が世界や地球の神聖さの感覚を回復しなければならない現在、神道が果たし得る役割は大きい」とも。そして続ける。

 

 ----神道の神の観念は重要です。川、山、海、木、風、雷、すべてを神と考えることで、神道は言語を超えて自然をあるがままに受け入れることを示唆しているのです。神の道を伝える”遺伝子”としての神職の方々は伝道師のように言葉で教義を語らず、純粋体験の場を守ってください----

 

 これに対して会場の神職の一人が反論した。「危機にある神道の伝統を守るため、今こそもっと言葉を使うべきだと思う」。ワトソン氏はこう答えた。

 

 ----それは危険です。神道の本質は頭でなく心で感じなければ。----

 

 あるところで目にした言葉で、天皇と神道は一体みたいにいわれるが、神道の方がよっぽど古い、というのがあった。日本国中、田んぼにも山にも海の近くにも、至るところに神社や鎮守の森がある。こんなところにまで、という具合に。

 

 ある時、カミサンと古い神社にお参りしたら、カミサンは頭痛に見舞われた。どうしようと思った時、何気なくカミサンが境内の神木の大樹に手を触れたら、頭痛はピタリと止んだ。こういうこともあるのだ。

 

 上記のワトソン氏の言葉で「人類が世界や地球の神聖さの感覚を回復しなければならない現在」というところに不思議な新鮮さを感じた。なつかしさでもある。10年ほど前まで、しょっちゅう聞いた言葉だが、今はこれすら、というべきか、語られなくなった。ま、ワトソン氏や中沢新一氏らの言説が世間に行き交っていた潮流は、ある事件を境に廃れてしまったというのが定説だが。

 でも、今こそ、真に宗教的な精神が必要なのではないか。

 

 昔、関西出身の女性2人のユニットでシモンズというのがいた。「恋人もいないのに」という曲でブレークした。彼女たちの曲で「愛する喜びを愛する人に」というのがあり、その中のフレーズ「人が言葉に埋もれた今だから」に一瞬どきりとしたことを覚えている。昨今のネット、スマホ社会でいえば、画像(写真)にも埋もれた今だから。


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