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モーツァルトの「僕が、僕が、」

冬の寺

 

 昔、朝日の文化欄を担当していた由里幸子さんという記者がいて、いつもいいものを書いていたし、いいものを取り上げていた。ファンだった。2008年のある日の文化欄では由里記者が吉田秀和氏にインタビューしていた。音楽評論家で当時94歳の吉田氏の著書「永遠の故郷 夜」についてきいたものだ。妻バルバラさんの死の悲しみで、音楽を聞くことも評論執筆もできなかった吉田氏がそれを越えて書いた。吉田氏の印象的な言葉を拾う。

 

 ----人間なんてヘンなものを、人間が作れるはずがない。音楽も、文学や建築と同じに人間が力の限りを尽くして作るが、究極的にはどうしてそうなるかわからない。それがわからないからこそ、僕たちはこんなに音楽を聴くんだもの----

 

 ----現実とは別のもうひとつの人生、世界があることを中原中也に教わった。でも中原は、そこから放逐された失楽園の詩人。あこがれに手を伸ばしているのが文学だとしたら、音楽は美の世界そのものだもの----

 

 2003年にバルバラさんが亡くなった後、しばらくは音楽を聴く元気もなかったという。

 

 ----最初に聴けたのは、バッハ。モーツァルトでさえ、僕が、僕が、という声が聞こえ、わずらわしかった----

 

 わかるような気がする、モーツァルトの「僕が、僕が、」って。で、バッハってのも。

 

 吉田氏はあこがれに手を伸ばした文学から、美そのものに限りなく近づいた人だったのではないか。

 

 それとインタビューをまとめた由里記者の文章、言葉遣い、句読点の正しさにうなった。こんな記者がいなくなった。由里氏のもっと以前には黛哲郎という人もいたが。政治欄でなく、文化欄(の劣化)で朝日をやめた。


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  • 2017.11.27 Monday
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