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「不自由」という言葉はなかった

 正月早々、読んだ本に出てきた数行がいまだに頭から離れない。小松左京/高橋桐矢「安倍晴明<天人相関の巻>」の一節。

 

 ----たとえば、「自由」という言葉。この言葉の意味は平安時代とその千年後では大きく変わってしまっている。千年後の自分はそれが、「FREE」という外国の言葉にあてて「何ものにも制限されずおのれの意思に従って行動する」ことであり、むしろ望ましい姿として、使われるということを体感として知っている。だが、平安にいる自分にとっては、自由とは「規律規範に従わず思うままわがままに振舞うさま」であると感じられる。もう一人の自分がいる世界で使われる「不自由」という言葉は、平安の世にはない。自由でない状態が、本来のあるべき姿、だからだ。

 縛られてなどいない。これがあるがままの姿なのだ。----

 

 安倍晴明が平安時代と現代にいて、行き来しながら考え行動するという小説。その中で晴明が考えたことだ。

 

 「自由」という日本語、訳語は西洋の「LIBERTY」を福沢諭吉があてたらしい。古来中国、日本では自由とは「わがまま放蕩」の意味だったという。

 

 「自由」という表記、漢字の問題と、哲学その他での概念の問題と二つあると思われるが、いずれにしろ上記の文章に接した時、かなりの衝撃を受けた。

 

 自由とは他の自由を阻害することでもあるのか否か。

 

 実は上記の文章による衝撃は、少なからず慰めと癒しを与えてくれた。自由とは絶対的なものではないという点において。

 

 でも……、と考え続ける毎日だ。


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  • 2017.05.10 Wednesday
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