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唯一者が風なくして呼吸

 中村元著「インド思想史」の最初の方に「リグ・ヴェーダ」についての記述があり、興味深い言葉があった。

 

 ----「リグ・ヴェーダ」に現れる神々の個性が不明瞭であり、かれらの間の区別が判然としていないので、すでに「リグ・ヴェーダ」の中に、諸々の神々は一つの神の異名にほかならないという思想が表明されている。

 

 ----古来の確固たる神々の信仰が動揺し始め、旧来の伝統的観念はもはや自明のものではなくなり、いまや新しい思索が始められた。「われらの祀るべき神は誰ぞ?」。そうして神々をも超越したより根底的な世界原理を探求するに至った。

 

 ----宇宙創造に関する当時の見解は、極めて大まかに分けるならば、大体二種に区分することができる。一つは宇宙創造を建造に比し、他は出生になぞらえるのである。

 

 そして、ここだ。この文言、表現にはなぜかぐっと、ざわっとくるものがある。

 

 ----「有に非ず、無に非ざるもの」を説く讃歌においては汎神論的思索は絶頂に達した。それによると、太初には無もなく有もなく、天も空もなく、死も不死もなく、夜と昼との区別もなく、暗黒に蔽われていた。「かの唯一者」だけが風なくして呼吸していた。宇宙万有は光明なき水波であった。その唯一者に意欲(kama)が現れた。それを原動力として万有を生起せしめた。神々も宇宙の展開より後に現れ始めたという。

 ことば(Vac)を最高原理と解する思想も現れている。ことばは太初において原水から生じたものであるが、あらゆる神々の保持者であり、万有を支配し、万有に偏在している。「自分が欲する者をバラモン・仙人・賢者とも為す」という。ことばの本性は経験論的知覚の領域を超越していて、「見つつある多くの人々も、実はことばを見ざりき。聞きつつある多くの人々も、これを聞かず。」----

 

 ロックでいえばYESやサンタナのジャケットにあったような、YESであれば「海洋地形学の物語」を思わせる。

 

 無もなく有もなかったのだ。そこに、唯一者の「意欲」が現れた。それは何によるものなのか。ひょっとすると退屈しのぎ、暇つぶしだったのかもしれない。どこかの女性教祖なら、愛、というのかもしれない。いずれにしろ、ここが二重の意味で出発点なのだと思う。そしてゴールか。


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