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月に叢雲大笑い

 朝ドラ「わろてんか」で、人に笑われるのと人を笑わせるのは違う、とかいうが、昨今はその違いが薄れてきたんとちゃうか、と思う(関西弁うつった)。お笑い番組はもちろん、ワイドショーでも笑いが大きな比重を持つ。芸人同士はお互いの笑いに寛容で、笑ってばかりいる。なぜなのか。ここで、上質なユーモアはいいけどね、と気取るのもまた、なんだかなあ。メディアによってでなく、人と人の直接の会話で、笑いがあればいいな、と思う。あるいは景色や自然や動物を見て。思い出し笑いでなく。

 

 ----唐代の禅僧薬山和尚はある日、僧堂の裏手にある山上を散歩していた。夜中になって薬山はその山上で、突然、大声で一笑した。近隣の村々の住民たちは、その夜同じ笑い声を聞いて、口々に言った。「東隣で人の笑う声がした」。翌朝になって、村々の者は笑い声の主を求めていっせいに東へ東へと探して、ついに薬山の寺にたどりついてしまった。とりつぎに出てきた弟子によれば、「たしかにゆうべは和尚が山頂で大笑いするのが聞こえた」と言う。この話は有名になり、それを伝え聞いた薬山の友人李総理はこんなほめ歌をつくった。

 「静かな住居を見つけて、飾らぬ心を楽しみ、年中、客を送ることもしない。あるときは、弧峰頂上にのぼって、雲のうちから顔を出す月に大笑いする」。----(中沢新一「森のバロック」)

 

 ----この禅僧は月が雲間から顔を出すことによって、大空のしめす連続体にいわば「句点」が打たれたこと、連続体に切断が飛び込んできたこと、ただそれだけのことに身体全体を揺すらせて、笑っているのである。光の放射が、突然に大空に広がり、明と暗の輪郭の明確な差異が、目に飛び込んでくる。その瞬間に、笑いがはじけとぶのだ。空や無や無限そのものから、笑いが生じてくることはない。空を横切る光が、そこに溝や痕跡を刻み込んだとき、空の連続体に、光によって「特異点」が打たれ、トポロジーからひとつの空間構造が発生するときに、存在と意味が生まれ出るまさにその一瞬をとらえて、禅僧は無邪気な大笑いで、あたりを揺るがすのである。----(同上)

 

 上記は中沢氏の「チベットのモーツァルト」フランス語版の一部の日本語訳だそうで、ジュリア・クリステヴァの「笑い」論から始まり、ラブレー的哄笑、スウィフト的嘲笑、チャップリン的な笑いとは違う、東洋の笑い、タオの笑いを指摘する。

 なんだか吉田健一氏の小説「金沢」などの著作を思い出す。そんな世界だ。吉田氏の「金沢」とプログレッシブロックのYESの代表作「危機」(Close to the edge)は、ほぼ同じ年代につくられたが、驚くほど似ている。そういえば「危機」はヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」にインスパイア―されてできた。そういえば吉田氏はケンブリッジ大に学び、英国の文化に通じている。話がそれたが、みんなつながっている。わっはっは。


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  • 2018.05.24 Thursday
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