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流刑囚、脱走者の自由

 小栗虫太郎の「海螺斎沿海州先占記」という小説は、何度読んでもわくわくさせてくれる。この作品は半分史実、半分空想だと小栗が序章で紹介している。江戸時代の日本の冒険家(?)で、江波戸海螺斎(えばと・べえさい)という人物が、沿海州からウラジオストックを経て、無名の地、ある土地に着く。

 

 ----そこには自由を求めて逃げだしたシベリヤ流刑囚の脱走者や、コサックや、満土人の人殺しや、涜職、清朝官吏などの逃亡者が、実に妙な具合に風のまにまに集ったかのごとく、その人外境にふしぎな一鄹落をつくっていたのである。----

 

 ----しかしそこは、地味は痩せ、半年以上も氷にとざされる。まことに、かれら逃亡者の生活は泥よりも襤褸よりも、いや、万物の霊長でありながら狼群に圧せられるほど、惨めであったのだ。----

 

 海螺斎は山中の川の近くでロシア人らしい男と出会う。その男はいう。

 

 ----俺かね、おれはアヤンから来たよ。黒竜江から陸呈七百露里ほどのところに、アヤンという港がある。そこに、俺がいたといや、いわずと知れた流刑囚だ。また、ここに今いるというのも、脱走の果のことはお察しのとおりだよ。しかし君は、なぜ流刑地だと云ってもここと比較にならんアヤンを出て、こんな獣暮しをしなきァならないところへ、なぜ俺がやってきたのだろうと……、不審がるだろうが、その気持ちだけは分るまい。そいつはね、俺たちほどになると、ひじょうに厳格になってくる。自由と云うものの本質を、徹底的に究明するようになる。むろんアヤンは、野っ放しだが、青空下の牢獄だ。いや、このシベリヤ全体が、広闊たる監房だ。では、自由はどこにある? 自由とは何ぞやーーとなったのだ。しかしそれは、俺たちにはたった一つの場合しか自由はない。−−追われることだ。こいつ捕まえてやろうと、追っかけられてる間こそ……。ハッハッハッハ、この逆説は君にはわかるまい----

 

 流刑囚の脱走者が追いかけられている、それが自由だ、というのだ。男はアヤンから逃げ、氷の上に乗り出し、嵐に遭い、「まるで岩を千切ってくるような烈風と、砂嵐のような雪」に見舞われながら、その土地にたどり着いた。

 

 ----それからだ。くる日くる日の滅入るような単調さ。この平板無味の世界に、とにかく俺は生きていた。兄弟よ、本音を吐きァ、自由は懲りごりだ----

 

 と、からからと笑ったという。うーん。ガーン。

 

 


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  • 2018.10.21 Sunday
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