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米国で禅を広めた千崎如幻について

千崎如幻

 千崎如幻(せんざきにょげん)明治9年(1876年)〜 昭和33年(1958年)本名は愛蔵。
 出身地は日本海に面した青森県西津軽郡深浦町。父は中国人ともロシア人ともいわれ、母は日本人。シベリアとも、あるいは樺太かともいわれる地で、行きずりの日本人の僧に拾われた時、彼は母の冷たい屍の傍らにうずくまっていたという。 船大工の千崎に育てられたことから千崎姓を名乗る。本人の話が残っている。

 「わたくしは、67年前にカムチャッカに生まれたものである。まるでみなし児のように捨てられていたので、だれが両親なのかは分からない。私の育ての父は日本人の仏教学者であった。わたくしは一見日本人というよりは中国人に似ているような気がする。 その当時、日本の戸籍はあまりやかましくなかったので、わたくしは、私の養父の寺の近くに住んでいた千崎家の長男として登記されることになった。日本にいたころは仏教だけでなく、キリスト教も学び、また近代科学や哲学についての講義をうけていた。二十歳のとき、わたくしは宿なき修行僧の道をえらぶことにした」。

 一言で言えば、謎に包まれている。弘前市の私立の名門、東奥義塾で学ぶ。ちなみに東奥義塾はキリスト教系ミッションスクールである。
 真言、曹洞の修行も積む。その後臨済宗の鎌倉・円覚寺の管長・釈宗演と文通するようになり、師を頼って円覚寺に来たときは、肺結核で生死の境をさまよっていたという。死の幻影におびやかされていた如幻は、宗演の示唆に何かを感じ取ったのであろう、奇跡的に健康を回復する。そこでの五夏の修行後、仏苗学園を設立する。
 29歳の時、渡米。師宗演がサンフランシスコ在住のアレキサンダー・ラッセル夫人の請に応じて再度渡米した後、如幻は単身渡米し、ラッセル家のボーイとなる。如幻の渡米の目的は、仏苗学園の資金を稼ぐと共に、日露戦争後、急速に国粋主義に傾斜していった日本を脱出して自分の勉強をするため、そして禅を伝えるためでもあった。この如幻の資質を看てとった宗演は、如幻にむかって米国での布教を示唆し、金門公園の入り口で侍者の任を解き、如幻を未知の大陸に放った。それ以来、生活するだけでも苦しい環境にあって、彼はありとあらゆる仕事をし、金が入ればどこかのホールを借りては仏教講演会を開いていく。「歩々是道場」をモットーにしていた如幻は、これを「浮遊禅堂」と呼んでいた。
 1926年、ドイツ人ハルマン・ルウと共にサンフランシスコのヘート街に「桑港仏教団」を設立するに際し、自ら居士と称し、その後1928年、ブッシュ街1988番地の曹洞宗桑港寺の地下室で、「東漸禅窟」と「群英学園」の二事業を起こした。
 釈宗演を生涯、師と仰いだが、如幻自身は宗派を超えた布教をモットーとし、臨済宗の禅僧というより、むしろ在野を貫いた。「東漸禅窟(とうぜんぜんくつ)」(仏教は西から東へ伝わるという意味が東漸で、その名を冠した禅の道場)をつくる前は、「浮遊禅堂」と呼んで、米国各地の講堂で禅を教えていた。アメリカへの仏教の布教は、浄土真宗や曹洞宗など各宗派が明治時代から競うように行ったが、主に米国在住の日本人を対象にした布教の意味合いが強く、それを嫌った如幻は、キリスト教徒が大半を占める米国人を相手に、本来の禅を伝えようと格闘を続けた。あの有名な国際的仏教学者の鈴木大拙(だいせつ:1870〜1966)と同門。同じ宗演の弟子でありながら、一般にはほとんど知られていない。
 さまざまな職種の米国人が千崎のもとに集まり、座禅のあと、説教を聞いた。説教は仏教に限らず、東洋の芸術や文化全般に及んだ。渡米した日本の僧侶のほとんどは、千崎の力を借りて仏教を広めた、といわれる。サンフランシスコとロサンゼルスを中心に五十年も、米国で禅の普及に努めた。
 太平洋戦争のころ、全米の日本人は4カ所のキャンプに集められた。千崎はワイオミング州ハートマウンテンで3年過ごした。この間、千崎は毎朝座禅と講話の会を開いた。キャンプの米国関係者も尊敬していたという。
 禅はアメリカでトランスパーソナル心理学の源にもなったといわれる。
 昭和32年51年ぶりに帰国。昭和33年5月7日アメリカで死去。81歳。

 20世紀にはこんな偉人がいたのである。前回書いた高岳親王とは時代が大きく隔たるが、ひとりは中国からインドを目指し、マレーで没。ひとりはアメリカで仏教、禅を広めロスで没。しかし通じるものがあったのだろう。だから千崎は「真如法親王」という箏曲の歌詞を書いたのだと思う。

 弟は工藤敬三(くどう-けいぞう)1888−1951大正-昭和時代の彫刻家。郷里青森県で早坂寿雲に師事し、上京後前田照雲、内藤伸に学ぶ。日本木彫会会員となり帝展、院展に出品、のち帝展無鑑査。東奥美術社、六華会の同人。仏像を得意とした。昭和26年5月27日死去。63歳。旧姓は千崎。本名は敬蔵。


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  • 2019.03.24 Sunday
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