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事実の先走り〜逆流する時間

 赤瀬川原平氏と種村季弘氏をめぐるエピソードで、面白くてすごいのがある。

 ----1963年、赤瀬川氏は扇風機などの身の回りの品物を包装紙で包む「梱包作品」を制作した。このコンセプトは最終的に、缶詰のラベルを缶の内側に貼って宇宙全体を梱包したと称する「宇宙の缶詰」に至る。
 また千円札を詳細に観察し、肉筆で200倍に拡大模写した作品を発表。赤瀬川氏はさらに「千円札の表だけを一色で印刷」したものに手を加えたものを作品とし発表する。1965年、これが通貨及証券模造取締法違反に問われ、起訴される。弁護人には瀧口修造といった美術界の重鎮たちが名を連ね、話題となった。1967年6月の東京地裁の一審で「懲役3年、執行猶予1年、原銅版没収」の判決。上告ののち1970年に有罪確定。----

 「宇宙の缶詰」ってだけでもぶっ飛ぶが、問題は「梱包作品」と「千円札」である。種村氏はこれらについての評論で、
 ----はじめに梱包作品があり、その概念が広がって、価値を梱包する紙幣の印刷に至ったとした。しかし、時間的な事実はその逆なので、その旨を赤瀬川氏が告げると、先生(種村氏)からは、間違っていないから訂正しないでいいという返事が来、「違うというひとがあれば論争する」と、当の赤瀬川氏に言ったという。赤瀬川氏は茫然とする。「動かせないのが事実だと思っていたけれど、それが動いてしまった。この世には事実以上のものがあるのだ」。

 また別の機会に赤瀬川氏は、

 ----(種村氏には)人や事物の「石目」のようなものが見えるのではないかという仮説を立てておられる。「種村さんは、ぼくの石塊を前にして、そこに筋目を見たのだろうと思う。――そこで、順序の事実としては千円札の方が先だったとしても、それは事実のミスというか先走りということになって、事実よりもリアリティのあるものとして論理の筋目がどーんと通ってしまうのだ」。----
(高山宗東「ほしいままなフィールドワーク」より)

 時間的事実としての順序は、後先が違っても、論理的には間違っていないというのだ。赤瀬川氏が最初、目を白黒させても(だって自分が作った作品の順序は歴然としてるのに)、不思議はない。でもそのあと上記のように懐の深さを見せて種村氏をリスペクトする点はさすがだ。
 事実とはこういうものではないか。それは物理的日常的社会的ジャーナリズム的な「事実」を蹴散らしてしまう。そうしたものの奥底に、真の事実があるということを教えてくれる。逆流する時間というものがあることを教えてくれる。


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