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ブッダの輪廻転生批判

 口直しにもう一つ、書評から。柄谷行人氏に登場していただかなくては。対象の本は「仏教と西洋の出会い」(フレデリック・ルノワール著)。フランスの宗教学者の著書だ。
 柄谷氏の紹介によると、要するに西洋が仏教を理解するのは「己を見る『鏡』以上ではなかった」。で、最もあこがれたのはチベットであるという。
 チベットは外国人が入れない国で、ラマ教が輪廻転生の教義やそれに付随する身体技法を持つからだという。

 ----要するに、西洋人が「仏教」に見出すのは、西洋に存在しない何か、輪廻転生の理論やそれの基づく魔術の類なのである。19世紀末にブラヴァツキーらが始めた神智学教会は、チベット仏教を賞揚し、心霊的自我が転生するという考えを広げた。それは今日の「ニュー・エイジ」につながっている。著者は、エドガール・モランの「西洋は、自身の東洋を抑圧しつつ形成された」という言葉を引用する。つまり、チベット仏教は、西洋人にとって、みずからの内なる「抑圧された東洋」を開示するものだ、ということになる。----

 まことに明快。で、このあと柄谷氏の刀がばっさり、斬る。

 ----しかし、本書の限界もそこにある。チベットは西洋の外に歴史的に存在する他者である。その社会がかつてどのようなものであり、今どうなっているかを見ることなしに、表象の批判だけですますことはできない。また今や、チベット仏教はたんに西洋の「鏡」としてあるのではない。たとえば、ダライ・ラマ14世が世界を救済する指導者として熱烈に賛美されるとき、チベット仏教は、西洋人が中国共産党やイスラム原理主義者を抑制するための政治的な手段として利用されている。----

 その通りですね。結局植民地と同じだと思う。精神的植民地主義。その国や地域の内情なんかどうでもいい、利用できるだけ利用するみたいな。
 ちなみに中盤あたりで柄谷氏が指摘していることを、あらためて確認しておきたい。

 ----ラマ教が輪廻転生の教義やそれに付随する身体技法を持っていたからだ。これは、ブッダの教えの神髄が輪廻転生するような同一的な自己を仮象として批判することにあるとすれば、まったく仏教に反する見解である。しかるに、チベットでは輪廻転生の考えにもとづいて、ダライ・ラマの後継者が決められている。----

 私はチベット仏教を否定する気は毛頭ない。だが、ブッダとチベット仏教のどちらに賛成かというとブッダだ。西洋だけでなく、日本でも両方が一緒くたになってしまっている部分がある。


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コメント
柄谷氏の書評の情報、有難うございました。
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