「コールドケース」と脱亜入欧

 この時期、WOWOWでは「コールドケース」の日本版を放送しながら、元祖、本家の米国オリジナル版も一挙再放送している。昨夜は日本版をじっくり見た。ドラマの出来も、吉田羊さんら出演者の演技もよくて、いい作品になっていると思う。

 

 ところがドラマの最後の方で、エルビスコステロの「She」が流れてきた時、ガクンときた。違和感がありすぎるのだ。とたんにドラマが韓国か台湾かどっかアジアの国のイメージになった。

 

 「コールドケース」の日本版についてはいろいろ議論があるようだ。前にも書いたが、時代、歴史、社会背景が日米では異なり、同じようなストーリーでは無理があるのではないかと思っている人は多いようだ。

 

 「She」が流れてきた途端、オリジナルをつくった「米国」が、日本のアジア性を照射してしまった。普段、日本のロックバンドや洋物、洋風な娯楽を何の違和感もなく視聴していても、アジアのそれを見ると、妙な違和感に襲われる。

 

 欧米が認める、中には熱狂する現代日本の文化はある。けれどもロックやダンスやヒップホップなんかを、欧米人に見せたらどんな反応をするのか危惧してしまうことがある。日本がアジアに向けるのと同じ視線を浴びるのではないか、と。

 

 「She」が聞こえてきた時の違和感が、やがて何だか悲しい気持ちへとつながった。WOWOWが、日本版のスタッフ、役者が一生懸命やっているだけに、かえって空しさが漂う。

 

 もともと時代背景にぴったりの洋楽からこのドラマはつくられる。ジャズ、スタンダード、ロック、バラード……。歌詞は(もちろん)英語。元来がこのドラマ、洋物なのだ、「米国」そのものなのだ。

 

 昔、欧米のポップスを漣健児という人がうまく日本語に翻訳して、日本の歌手が歌っていた。あれはあれで成り立っていたと思う。坂本九の「グッドタイミング」とか、弘田三枝子の「ヴァケーション」とかね。

 

 一つ確実に言えるのは、誰かもどこかで言っていたようだが、同じ時期に米国オリジナル版と日本版をやるな、ってこと。離してやればまだいいのに。でも日本版で流れる洋楽はどうしようもないか。

 

 「She」はもともとシャルル・アズナブールの曲で、彼の歌ったのももちろんすばらしい。その名曲のイメージがこわれかけた。寒い。冷たい。私の「コールドケース」だ。


普通の表情

夕雲

 

 タレントの上地雄介氏がテレビでおもしろいことを言っていた。自宅で子育て主夫をやってると、テレビのバラエティーを見て、スタジオと茶の間の温度差を感じるという。そんなに盛り上がっても、こっちは忙しく疲れていて、楽しめない、しらけるというのだ。自分も仕事ではスタジオで盛り上がっているのに。

 

 そうだね。笑い声が気になるというか気にさわることもよくある。とにかく笑い、笑顔、笑い声。スタジオにいる人間はみんな笑わなくてはいけない法律でもありそうだ。そんな落ち込んでいなくても、普通な静かな雰囲気がいい時や人は存在する。朝、イノッチの笑い声も、うるさく感じることがある。

 

 なぜ笑いなのだろう。普段のバラエティーで「笑ってはいけない」をやったらどうだろう。あれだけ笑いが必要ということは、実は事態はよほど暗く悲しいのでは? と思ってしまう。

 

 逆に、この頃思うのだけれど、道行く人、買い物をしてる人、すれ違う人で、不機嫌そうなあるいはガン飛ばすような挑戦的な表情をしている人がけっこう多い。もっと普通の表情で歩いていただけないだろうかと思う。何も笑顔で歩けというのではない。それは気持ち悪い。

 

 あっ、それと甲子園なんかでいやなのが笑顔の球児。投手でも野手でも打者でも、笑顔のがいる。そしてそれは概ね、褒められている。苦しい局面でも、いつも笑顔で。明るくさわやか。けったくそ悪い! 人をバカにしてるのかと思うのだが。

 

 深刻な表情はいつでもいらない。笑顔は時には必要だ(自然発生的に)。普段は普通の表情であってほしい。普通の表情がいい人はいい人、中身、魅力のある人だ(である場合が多い)と思う。


ボケ防止クイズとモンクの夜

 水曜日の夜はBSが面白くてついついグラスが進む。BSフジの「クイズ脳ベルSHOW」は地上波を含めて今最高のクイズ番組だ。「あの人は今」みたいな中年、高齢の芸能人が解答者で、ボケ防止クイズに臨む。司会の岡田さんの仕切りがまた切れ味、スピード抜群。意外な才能、側面をみた。アシスタントの女性アナがまたいい味出している。昨夜ある女性解答者が「最近(人の)名前がなかなか出てこなくて。毎日がクイズ!」と言っていて吹き出した。「毎日がクイズ」と思って生きてれば、お年寄りもポジティブになれる。

 

 その後は「名探偵モンク」。昨夜はついに最終回。モンクに対するこちらのイライラもともかく、脇役がいい。アシスタントのシャローナ、ナタリー、その子どもたち。そしてストットルマイヤー警部、ディッシャー刑事の絶妙なおかしさ。最終回はハッピーエンドで、何か普通の映画の結末みたいだったが、驚いたのはディッシャー刑事がニュージャージーの署長に栄転、しかもシャローナとできてたとは!

 

 ナタリーの美人ちゃんの娘、どうしたかな、なんて思ってしまう。昔地上波で、その後NHKBSでと何度も見てるのだが、ついにこれが最後の放映か。いやどこかの局でまたやるか。小生このごろ、食事の時、手についた油が気になってしようがない。「母さん、ティッシュ!」なんて言ってる。モンク現象、モンク症状、アブナイアブナイ。影響されてる。


狙いの可能性も連絡取れない

 最近テレビのニュースを見て気になるのが「〜〜狙いがあるとみられます」「〜〜の可能性もあるとみて」という表現。「狙い」という日本語には、どこかよこしまな意思がありそうなニュアンスがある。

 「可能性」の方は、なぜ「も」なのかと思う。なぜ「が」でないのか。一つある見方を紹介して、その後に二つめとしてだったらわかる。最初からなぜ「も」なのか。その前の可能性は何なのか。

 

 こうした表現は、英語などの訳から来ているのかな。火事や災害で行方不明か死者の身元がまだ判明しない時の言い方で「@@さんと連絡が取れなくなっていて」とよくいう。連絡って何だよ! これってコンタクトということでしょう。日本語として何か別の言い方できないもんだろうか。

 

 アナウンサーのアクセントや言葉の切り方、強調部分もでたらめだ。もっと教育できないのか。教える人もいないのか。日本語だめになっちゃう。


零戦が優勝!

 昨夜は全仏オープンもさることながら、エアレースに興奮しちゃった。日本の室屋義秀さん! 優勝! かっこいい! 室屋といえばサッカーU23だったが、こっちの室屋は世界チャンピオンだ。

 こんなのをNHK(BS1)でやるって、ちょっと見直した。空のF1、ルールもレースの鍵も面白い。ただ速ければいいってものでもない。オーバーGで即失格なんて。

 各選手の各機体のデザインも興味深かった。室屋さんのがやっぱりいい。すっきりしていて、日本で。室屋さんのレースを見ていてなんか零戦を思いだした。いや自分が覚えているわけでなくて。

 テニスはジョコビッチの生涯グランドスラム達成。マレーも強くなったが、精神面と戦術面で引き出しの豊かさが違う。雨でさんざんだった今大会。

 でも昨夜に関してはエアレースの勝ち。あの突き抜けてる感が爽快! おやそうかい。

一人スタンドバイミーの勝ち!

 今朝のニュース速報には驚き、本当によかったと思った。水は飲んでいたらしいが、自衛隊員がくれたおにぎりはおいしかったろうね。急に食べて大丈夫かと心配してもしようがない。

 しかし大したもんだ、この子。テレビ各局見てると、コメンテーターたちがまた勝手なこと言ってる。長嶋一茂氏は「この間の我々のストレス」みたいなことを言ってた。ストレスとは何だ! なぜ「心配」と言えない!

 ま、いろんな人を含めて大人の負け。子供の勝ち。心配掛けたのはよくないが、誰かコメンテーターが言ってた、子供は心配を掛けるものって。この発言はまともだ。

 それにしてもラッキーな偶然の重なりに驚く。自衛隊の廠舎にたどり着いたこと、鍵が開いていたこと、水道の水やマットレスがあったことなど。

 映像で近くにはローカル線の線路が通っているのが映されていた。途端に思いだした。スタンドバイミーを想起された方も多いのではないか。ムーディー・ブルースのアルバム「童夢」を思いだした。原題は「Every Good Boy Deserves Favour」。

こころ旅の越後の「想い出の渚」

 今日の「こころ旅」見て泣いちゃった。

 新潟の海岸が「とうちゃこ」の地。59歳の男性の投稿で、小さい時に母に海水浴に連れていってもらったという。普段母は夜の仕事で帰るといない。寂しい思いもしたが、毎年夏に必ず一回、その海岸に海水浴に行く。バスで行き、歩いて遠浅の砂浜の海へ。

 おそらく母一人子一人だったのだろう。海に入って砂浜を振り返ると、母が日傘を差して見ていてくれたという。母は50代で病気で死んだ。苦労しただろう母との思い出の風景。

 キラキラまぶしい夏の海。子供が海水浴してるのを日傘を差して見ている母親。情景が目に浮かぶ、というよりイメージがきれいで鮮烈で、哀しくて。感動の度合でいえば、「こころ旅」でもベストに近い。

 火野正平さん、いつも通り淡々と手紙を読んでいた。でもあるところでぐっと来た瞬間はあったと感じた。でもすぐにまたちょっと高めのトーンで明るく読み続けた。さすがです。だから感動がこっちにそのまま、あるいは増幅して伝わる。

 ゲートボールなんかでくっついた球の一方を足で固定して、それを打つともう一方の球が飛んでいく。あの物理学の法則みたい。歌ったり何かを話したり伝えたり読む人が感動しちゃって泣いたりしたら、聞く人はしらけるか感動が半減してしまう。そんな歌手や役者やタレントが多い。美空ひばりは「悲しい酒」を歌う時必ず涙を流したが、それで歌が乱れたことは一度もない。

 それと昼飯のチャーハン。上にエビとウズラの卵が乗って、飯には刻んだ赤いナルトが入っていて。うまそうだった。チャーハンでナルトが入ってるのが好きだ。

 「想い出の渚」は恋愛ばっかりじゃないのだ。

暮しの手帖を君に

 「トト姉ちゃん」、やっとしっくりきました。宇多田ヒカルさんの主題歌、お母さんの悲しい死を乗り越えた証し。ドラマは主人公と母親、そしてその母親=おばあちゃんとの話。

 激越な、強靱なものを秘めながら、見た目はソフト、パステルカラー。あっ、それは「暮しの手帖」だ。そして宇多田ヒカルさんの主題歌もだ。「ライフ=生の手帖」なのだ。

 そう思ったら、とてもいい歌だ。ドラマもなんだかわかってきた。急いで結論を出さず、じっくり見てみるものですね。

目詰まりのフィルター

 テレビのニュース、ワイドショーを見ても、新聞を読んでも、「自分がよく知らないこともあるかもしれない」という恐れなどないかのように狭い知見の中で何かを伝え、コメントしている。

 現実、事実は、ひょっとしたら素晴らしいものかもしれない(少なくともそんな時もある)。だがマスコミを通したそれはくだらないクソになってしまう。映画、ドラマ、小説などフィクションの一部はとりあえず置いといて(それらの中にもひどいのがある)。

 メディアを通さないで事実を受け、感受する生活がしたい。加工品でなく天然物で。

 福岡伸一氏のキーの概念である「動的平衡」はその通りだと思う。それが寄り集まり、重なり合っているのがこの世界。

 重層的、複合的「動的平衡」なのだろうと思う。

 民放のCMの時間が長すぎる。NHKの「CM」である番宣も多すぎる。それが徐々に視聴者を遠ざけているということに何故気づかないのだろうか。

 三島由紀夫氏の檄文ではないが「本を正さずして末に走り」ばっかり。いやになっちゃことばかり。だからといって山里離れたところに生きるのもなんだかなあ。

 前にも書いたかもしれないが、政治、行政、司法は法律や条令、ルールで物事を仕切る。だがマスコミまでなんでそうなのか。それで割り切れないこともあるでしょ。それを国民市民の立場で追求すべきでしょ。なんかあるとすぐ「責任」。一つの出来事がなぜ起こったか、まずそれを徹底的に調べ、考察することでしょ、仕事は。責任がわかればとりあえずそれでいいのか。えらそうに。一つの事実、真実にすら触れ得てないのに。

「事実」「報道」の断層

 衝撃の熊本地震だ。一昨日の地震だけでもひどいのに、今日未明以降のがひどい。犠牲者の中には、いったん避難しながら自宅に片付けや何か物を取りに帰った人もいたようだ。

 そこで思うのだが、一昨日の地震の後、気象庁や関係者は確かに「今後も震度6弱クラスの余震が起きる恐れがある」とは言っていた。だがこれまでの地震の常識的感覚からいうと、最初の大きな地震の後はいくら大きくても最初のを上回ることはないだろうと、皆思う。

 だが事実はより大きな、それもマグニチュードでいえば16倍の大きな地震だった。結果論かもしれないが、最初の地震の後、関係津局は「もっと大きな地震が起こるかもしれない」「倒壊が進む恐れがあるので自宅などにとどまらずすぐ避難してください」といえば、死ななくてもよかった人もいたのではないだろうか。

 それにしても東日本大震災の時も今回も、地震予知何とかかんとかの無力さはどうだろう。

 それとテレビ各局の中継、リポートのまずさ。記者、リポーターの言語能力レベルの低下は耳を覆うばかりだ。日本語になっていない。失礼な不謹慎な表現も多々ある。被災者の誰かの家が「めちゃくちゃに壊れている」と言った記者がいた。あんたの方が「めちゃくちゃ」だ。

 さらにスタジオの訳知り顔のキャスターが現場やヘリコプターに口を挟む。タイムラグがあったり電波状態が悪かったりで会話がスムーズに進まない。ひどいもんだ。

 スタジオのキャスターは自分の頭で、知識、感覚で現場からのリポートをまとめようとする。狭い常識で。もっとよく現場からのナマの事実を受け、伝えなさいと言いたい。テレ朝のW、日テレ(読売)のSなどベテランが。よくよく考えてみなさい。自分たちの無知、狭量で伝えるべき本当の事実をスポイルしてるんだよ。リポーターのひどいリポートにイライラしてというかもしれないが、それをがまんして今何を視聴者=国民に伝えるべきか、冷静に考えて、さばかなきゃ。あんたたちの能力の高さを見たいわけじゃないんだよ。事実を伝えてほしいんだよ。

 とにかくスタジオと現場の掛け合いなんかはやめて。時間差はもういいよ。一定時間、現場からのリポートに任せて。その後スタジオで何か言えばいい。

 日本の災害時の報道能力も危機だと思った。

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